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三十一章 仮初の現在‐and Emanuele‐(5)

「ちょうど良いや、おまえに訊きてぇ事があったんだよ」
 ごくりと唾を一飲みする。
「おまえさ、この前から俺を避けてるだろ?」
 ずっと気になっていた事を、当の本人へと向けて問うた。
 直後、時間を止められたかのように、ぴたりと足どころか彼の身体までもが停止する。
 続けてアクセルもまた足を止める。今度こそ答える声があってほしいと、何もあってほしくないと、緊張から僅かに冷や汗を出現させながら。
 いつの間にか二人は狭い坑道から開けた空間へと出ており、天井の小さな穴からは一部の微かな光が差していたが、その事に彼は気付かない。
 しばらくエマはそのままだったが、やがてゆっくりと振り向いた。ただし、その顔は暗闇に隠されてよくは見えない。
「お、おい、エマ――」
 その様子がとても不気味に感じられて、思わずアクセルの声は震えて上ずる。
「ずっと、二人きりになりたかった」
 だが、エマがここに来てやっと初めて口にした言葉は、吐き捨てるかのように乱雑だった。同時に、ゆっくりとアクセルの方へと近付いてもくる。
 普段とは真逆なそこに驚きつつも、そちらからは目を背けた彼は言葉自体に反応する。
「は、はぁ? こんな時に、何を言い出して――」
「そうでなければ、集中して貴様を殺せそうにないからな」
「っ……!?」
 ちょうど光の下までエマが来た事により前髪の間からようやく覗いた、その差すような鋭く冷たい瞳に、アクセルの背筋が凍りかけた。


 突如として己が疲弊している事も忘れて焦燥を顕わにしたオーラに、皆は戸惑うばかりだ。
「いけません、御早く御二人を捜し出さなくては! でないとエマニュエルさんが――」
「え、何? エマがどうしたの、オーラ?」
 必死な様子の彼女からただ事ではないと悟り、ターヤは詰め寄るように問いかける。
 反射的にその疑問にオーラは答えようとして、けれどそれでは駄目だと気付き、レオンスを促して速足気味に歩を進め始める。その顔には真剣さしか浮かんではいなかった。
「いえ、歩きながらにしましょう。今は一刻を争いますから」
 そうすれば皆も駆け足気味についてきた。
「まず、この理由に答える為には、エマニュエルさんの過去について御話ししなくてはなりません。……宜しいですか?」
 オーラが了承を求めたのは、他ならぬアシュレイであった。
 彼女はひどく逡巡した様子を見せるも、比較的すぐに苦渋の決断とばかりに頷く。
 そしてターヤは、自分の事でもないというのにどうしてか強い緊張に襲われていた。
(エマの、過去……)
 それらを己の目で確かめてから、オーラは重い腰を上げるかのようにして口を開く。
「それでは、御話しさせていただきましょうか――」
 一方、アクセルは訳が解らずにいた。皆とはぐれてエマと二人になってしまったかと思いきや、彼がまるで仇敵に向けるかのような態度をとってきたからである。その混乱により言葉を失いかけるアクセルだったが、信じたくないという気持ちから慌てて声を紡ぐ。自身の顔が引きつった笑みを浮かべている事が、見えなくとも解ってしまった。
「何、言ってるんだよ……冗談、だよな?」
「エマニュエル・リュー・パーペンブルック」
 しかし間髪入れずに返されたのは、同じ声と態度による、答えになっていない言葉だった。
「その名に、本当に聞き覚えは無いのか?」
 アクセルを置いて進行していく事態に、当の本人はついていけない。

「それって、おまえの名前……なのか?」
「聞き覚えがあるのか、無いのか、どちらなんだ?」
 困惑する彼にはいっさい構おうとはせず、エマは自らの速度で話を先へと進めていく。まるで怒りを押さえ付けているようだと、その震える握り締められた拳が示唆していた。
 けれども、やはりアクセルは理由に心当たりが無いので事態を飲み込めずにいる。最近の様子と合わせて、いったいどうしたのかと思うしかできなかった。
 そして、その様子から否定の意をエマは汲み取る。ぎり、と噛み締められた歯が音を立てた。
「そうか……」
 同時に最後の砦が決壊するのも彼は感じていた。もう後戻りはできないのだと残念に感じる面は残っていたが、それよりも何とか押し留めていた怒りが防波堤を突破し、更に膨れ上がっていく方が強かった。
 故に、彼は今度こそ最終的な覚悟を決めた。
「私の本名は、クラウディア・エヴァ・パーペンブルックという」
 よく解らない問いを投げ付けられたかと思いきや、今度は本名を明かし出すエマを益々怪訝に感じるも、そこでアクセルはふと気付く。
「クラウディアって……確か、ブレーズの龍と――」
「彼女の名は、ブレーズが私の名から拝借したそうだからな。同じなのも無理はない」
 最後まで言わせようとはせず、エマは努めて淡々と話を先へ推し進めていく。
 だが、それを聞いたアクセルは肝が冷える思いがした。
「って事は、おまえブレーズと知り合いなのか!?」
「そうだと言ったら、貴様はどうするんだ?」
 思い浮かんだままに問えば、元より刺すような冷気を放っていた眼光がいっそう強められ、アクセルは何も言い返せなくなってしまう。ブレーズとクラウディアに対する罪悪感が、エマにも向いてしまいそうだった。
 けれども、そこでアクセルは他にもまさかという思いを覚えた。
「ま、待てよ! クラウディアがおまえの本名って事は、おまえ……」
 言えなくて途切れてしまった先は当の本人が引き継いだ。
「ああ、私は女だ。そして、本来の『エマニュエル』の双子の姉でもある」
「!」
 眼前に突き付けられた二重の事実、主にその前半部分に、アクセルはこれ以上無い程の衝撃を受けた。
(エマが、女……!? それに『エマ』っつーのが本当は双子の弟の名前だと!? いや、そう言えば確かに、あいつと風呂に入った事はねぇけど、それは背中に醜い傷があるからって、あいつが誰かと入るのを嫌がったからで――)
「俺を、騙してたのか?」
 気付けば、口からはそのような言葉が飛び出していた。あまりに唐突で脈絡の無い言葉だとは自分でも思ったが、同時に悲痛な表情になっているのも手に取るように解った。
 それでも相手が何を言わんとしているのかエマはすぐに悟ったらしく、首を横に振る。
「背中に傷があるのは事実だ。ただ、口実として実に申し分無かったから使ったまでの事だ」
「っ……!」
 しかし肯定には変わらず、アクセルは言葉にならない声を上げる。相棒だと思い信頼していたのは自分だけだったと言われたようで、やるせない感情に襲われたからである。
 それ故に、彼はエマの眉間のしわがまたしても険しくなった事には気付けなかった。
「つーか、確かにおまえは中性的だけどよ、どっちかっつっても女には見えねぇよ」
 信じられないでいるアクセルは引きつった表情で、否定や冗談だという言葉を引き出そうとするが、エマの様子は何ら揺らぐ事は無い。
「両性具有、という言葉を知っているか?」
 寧ろ、またしても唐突な話題の派生を行ってきただけだ。
 何億人に一人の割合で生まれるとされる、身体における〈マナ〉の構成が基本とは異なった状態の者――特異体質。その例としては不老不死や無性、奇形などが挙げられ、男女二つの性を同時に持つ両性具有もまた、そのうちの一つである。

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