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三十一章 仮初の現在‐and Emanuele‐(3)

「エマニュエルさん。一昨日、私が申し上げた言葉を御忘れなきよう」
 しかしオーラは念を押すようにして、後半部分を強調した言葉を紡ぐ。エマだけを見るその顔は、懇願するかの如く苦しげに歪んでいた。
 エマはそちらを振り向く事も応える事もしなかった。
 相手の反応を見極めたオーラは次にアクセルへと近づくと、耳打ちするように声を潜めた。
「アクセルさん、しばらくはエマニュエルさんと二人きりにはならない方が良いかと思われます。宜しいですね?」
「あ、ああ……」
 何が何だか全くもって解らないアクセルだったが、相手の真剣な様子に押されて念を押すような言葉に頷いてしまう。
(確かに、最近のエマはどうも俺に対してだけは変だしなぁ。しばらくは声とかかけねぇ方が良いのかもしれねぇな)
 オーラの発言の意味は少しも理解できなかったが、とりあえず、しばらくはエマと距離を置いた方が良いのかもしれないと考えるアクセルであった。


 だが、リンクシャンヌ山脈に足を踏み入れてからしばらく進んだ所で、一行は思いも寄らぬ人物に遭遇する事となった。
「「!」」
「エルシリア!」
 全員が警戒心を跳ね上げて武器を手にし、ターヤだけは思わず彼女の名を呼ぶ。
 しかし、リンクシャンヌ山脈内部にて一行を待ち構えていたと思しきエルシリアは、鉱山の麓ベアグバオの時と同様に反応する事は無かった。その顔は無表情で覆われている。
「まさか、〔騎士団〕じゃなくて〔教会〕が待ち伏せているなんてね!」
 瞬間的に気合を入れ、そう言いながら即座にアシュレイがレイピアを抜刀して構えれば、同じく懐から抜き出した短剣を手にしながらレオンスが続けるように補足する。
「〔教会〕と〔騎士団〕は同盟を結んでいるから、何もおかしくはないけどな」
「それで、君はここで何をしてるの?」
 警戒は保ちながら探るようにスラヴィが問いかける。
 これにも答える事はせず、エルシリアは交戦の意思を表すかのように重力の赴くままに下げていた大鎌をゆっくりと持ち上げ、一行へと刃の部分を突き付けるかのように構えた。
「戦えって事かよ」
「その通りですよ」
 独り言のつもりであったアクセルの呟きには応える声があった。
 即座に皆が反応し、オーラが光源の明度を上げれば、エルシリアの背後から歩み寄ってくるクライドの姿が誰の目にも映った。
「エルシリア・フィ・リキエルと言い、クライド・ファン・フェルゼッティと言い、随分と上手に気配を隠していたみたいだな」
「そのような魔道具も存在するという事です」
 レオンスの皮肉を含んだ疑問には、余裕に塗り固められた回答がなされた。
「こんな狭い所で戦おうとするなんて、狂気の沙汰とは思えないけど?」
 そちらには反応する事はせず、アシュレイは彼らの行動に指摘を入れる。
 彼女の言う通り、現在一行と〔教会〕の二人が居る坑道は、ぎりぎり人二人が通れるくらいの幅しかない。このような狭所で戦闘を行うのは、一行からしてみれば無謀としか思えなかったのだ。
 しかし相手の顔から、この場で自分が優位に立っているという色は消えない。
「貴女方には、私の崇高な思考など理解できないのでしょうね」
 うわこいつめんどくせぇ、とアシュレイどころか皆もまた思ったのは言うまでもない。
 はぁ、とアシュレイは気の無い返事を出した。
「あたしは〔教会〕でもあんたでもないんだから、他人の考えなんて解る訳無いわよ。だいたい《教皇》ともあろう者が自らこんな場所まで来るなんて、それこそ迂闊で愚かだとは思わない訳? それに、まるで〔騎士団〕の手先みたいな行動よね」
 最後に付け足したのは確証の無い一言だった。これが〔騎士団〕の――クレッソンの仕かけてきた罠であるのかどうか、それを見極める為の意図も含んだ、相手に腹を立ててついつい口にしてしまった一言だった。

「黙れ!」
 瞬間、クライドの形相が一変して激しい声が上がる。
 当たりどころか図星なのか、とアシュレイは内心で呆れ果てて溜息を零した。
「なぜ私達〔教会〕が〔騎士団〕などという下賤の輩に従わねばならないのだ!?」
 最早、言葉遣いまでもが一変していた。
 その苛烈さに思わず肩を竦ませてしまったターヤだが、そもそもなぜ〔教会〕が〔騎士団〕に従うような形になっているのかという疑問を覚える。確か、この二つのギルドは対等な同盟関係にあるのではなかったのだろうか、と。
「〔騎士団〕や〔軍〕などという下々の輩が私達〔教会〕よりも力を持っているなどとは認めない! 《世界樹の神子》などという物も要らない! 私達〔教会〕こそが――貴族こそが、この世で最も尊く偉いからだ!」
 それは紛う事無き《教皇》クライド・ファン・フェルゼッティの本音であった。
 彼が曝け出した本心に一行は唖然とし、アシュレイは今度こそ表に呆れを露わにした。
「あんた、そんな事を思ってたのね」
「私こそが、この世界を総べるのだから!」
 けれども、クライドは最早自分以外は意識から排しているに等しいようで、彼女の言葉には反応しなかった。代わりにどこからともなく本を取り出す。
「魔導書?」
「いえ、あれは光魔術専用の魔道具〈聖書〉です。ただし非常に貴重且つ高価であり、加えて扱いが難しいので〔教会〕の、しかも《教皇》にしか出回っていないと聞きます」
 眉根を寄せてよく見ようとしたターヤには、オーラから若干の訂正が入れられる。そのような魔道具もあるのかと感心しかけたターヤだったが、それよりも早く光の球が一行目がけて飛んできた。
「〈結界〉」
 だがエマが動かなかった為、唯一空いている上空を通って瞬時に先頭へと躍り出たスラヴィが、即座に〈結界〉を構築してそれを阻む。
 ただし、これにより一行の攻撃手段は魔術のみとなってしまい、慌ててターヤやマンス、オーラといった後衛組は各々の武器を構えた。
 未だに一言も発さないエルシリアが気にかかりつつも、ターヤは支援魔術を唱え始める。
「〈光槍〉」
 再びクライドが魔術を構築し、エルシリアが開けた空間を使い一行目がけて放つ。
 一直線に飛んできた光で模られた巨大な槍は、数秒ほど薄い膜と力比べを繰り広げるが、これもまた最終的には〈結界〉に阻まれる事となった。
「〈影の腕〉」
 その間、魔術発動後の術者にできた隙を狙い、オーラはクライドの死角にできている影から巨大な腕を出現させて差し向ける。
 しかし、それは間に滑り込むようにして割り込んできたエルシリアの大鎌に防がれた。
「〈影の千本腕〉」
 けれども、それを見越していたオーラは続けて強化版の方を構築した。
 二人を取り囲むように何本もの腕を模った影が出現し、いっせいに襲いかかる。
「エルシリア」
 こうなるとエルシリア一人では裁ききれるとは思えなかったが、余裕を崩さないままクライドは彼女の名を呼ぶ。有無を言わさぬ強さを宿した声色であった。
 直後、エルシリアが一行に背を向けたかと思えば、大鎌をクライドの背後に回して盾とし、自身もまた覆い被さるようにして彼の正面と横側の盾になっていた。
「「!」」
 全くもってエルシリアらしくない行動に皆が驚く間に、全ての腕が彼女を殴打する。それでも彼女の身体を使った防御は最後まで崩れる事は無かった。その顔は見えなかったが、踵を返す直前に見えた表情は憎しみと悔しさとに歪んでいるようでもあった。
 彼女が首に付けられている魔道具でクライドに従わざるをえないのだという現状は、誰の目にも明らかだったのだ。

バラツドンバラ

ミリブラッゾサンバラ

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