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三十一章 仮初の現在‐and Emanuele‐(2)

「私も、この距離ですと判断がしにくいかと。確かに、リンクシャンヌ山脈の方に闇魔のような気配を感じない事もないのですが、それが世界全体に広がるものなのか、その場所だけなのかまでは現時点では判別しかねます」
「って事は、結局は行ってみないと判らないって事?」
「そうなりますね」
 続くオーラの言葉を、つまりそういう事なのかと解釈すれば、当の本人から肯定を頂いたターヤである。
「なら、行ってみよーぜ。〔騎士団〕の罠かもしれねぇけど、それなら慎重に行けば良いだろ?」
 そうと解れば、闇魔の有無が気になっていたアクセルもまた同意を示した。
 相変わらずそうと決まったら即行動という側面を持つ彼に呆れ顔を浮かべつつ、アシュレイも頷く。
「それもそうね。それにゼルトナー闘技場に行くまでにも首都の傍は通らないといけないし、道中は用心深くしていた方が良いわ」
「それに、もしかしたらそこに〔ウロボロス連合〕のアジトがあるかもしれないんだよね?」
 真剣みの籠ったマンスの声で、一行もまたそこに関連する話を思い出す。簡潔に言えば、他のことに気をとられすぎて、随分と端の方に追いやってしまっていたのである。無論、一行がマンスへの申し訳なさに襲われたのは言うまでもない。
 そこを誤魔化すべく、レオンスは確かめるようにアシュレイへと問う。
「そう言えば、〔ウロボロス連合〕のアジトは未だに判明していないんだよな」
「ええ。殆どのメンバーの戦闘能力は大した事が無いけど、アジトの隠蔽に関しては徹底しているわね。捕らえたメンバーから訊き出した話だと、アジトから出る際も戻る際も、一方通行の転移系の魔術しか使わないそうだし。……全く、地味に厄介な連中よね、本当」
 似たような気まずさから渋々アシュレイは彼の思惑に乗るも、途中からは完全に元軍人としての思考に移行していた。本人もその事に気付いたらしく、流そうとするかのようにオーラを見る。
「で、あんたでも知らない訳?」
「はい。何かしらの強い力で〈結界〉を張っているのか、〔ウロボロス連合〕の方の気配を追いかけても、毎度毎度途中で消え失せてしまうので」
「隠れるのだけは一人前って事ね」
 ちっ、と忌々しげに舌打ちを零したアシュレイに苦笑しつつ、レオンスは肩を落としかけているマンスを励ます為の言葉を紡ぐ。
「けど、奴らのアジトなら今は〔屋形船〕も独自に探しているよ。俺達の人脈と情報網なら、これまでとは別の視点から、手がかりや情報を見つけられるかもしれないからな」
「! 本当?」
 瞬間、少年は下がりかけていた顔を瞬時に持ち上げて青年を見上げた。
 昨日〔軍〕の襲撃を警戒するべくカンビオに戻っていた時でもマンスへの配慮を忘れなかったのか、とターヤはレオンスの思いに感嘆する。とは言え、つい先程まではオーラの事もあってか忘れかけていたのは事実なのだろうが。
 期待の籠ったマンスの瞳へと向けて、しっかりとレオンスは首肯してみせる。
「ああ。昨日ギルドに戻った時、一部のメンバーに調べておくよう頼んでおいたんだ。時間はかかるだろうが、必ず見つけてみせるよ。だから、もう少し我慢していてくれないか?」
「うん! ありがと、おにーちゃん!」
 途端に表情を輝かせた少年の頭を、青年は優しい手つきで撫でる。
「とりあえず、今日はゼルトナー闘技場に向かおう。この時間だと、リンクシャンヌ山脈に向かうのは明日の方が良いだろうからな」
 場を纏めようとするエマの言葉に皆は同意を示してから、死灰の森を後にした。
 道中、特に首都の近くを通る時は全員の警戒レベルが一気に跳ね上がったが、呆気ないくらい何事も無くゼルトナー闘技場に到着できてしまったのだった。呆気にとられつつも一行は宿屋で一晩明かし、翌日になってからリンクシャンヌ山脈方面へと向けて出発した。

 かくしてツィタデーリ峡谷と、レングスィヒトン大河川を挟んだ北側のズィーゲン大森林の間の方角を目指すような形で歩きながら、ふと気になる事があったターヤはエマへと問いかける。
「それで、闇魔が居るっていうのはどの辺りなの?」
「いや、それがあまり詳しい事は聞き取れなくてな、あくまでもゼルトナー闘技場近辺のリンクシャンヌ山脈、という事しか解らないんだ」
「あ、そうなんだ」
 少しだけ肩を落とすターヤだったが、すぐに気合を入れて気分を浮上させた。
「それなら、まずはツィタデーリ峡谷だね」
「でも、人の足であそこをどうやって登るつもり?」
 しかし即座にスラヴィに指摘を入れられてしまい、確かにその通りだと言葉を無くす。ニルヴァーナを呼ぶのはターヤの最終手段なので、完全に状況の把握できていない今現在は使おうとは思わなかった。
 すっかりと黙り込んでしまった彼女を宥めるかのように、その頭にエマが手を乗せる。
「いや、実はツィタデーリ峡谷ではないが、あの辺りのリンクシャンヌ山脈の内部に入る道があるそうだ」
「え、そうなの?」
 目を瞬かせてマンスが小首を傾げれば、エマは再度肯定の意を表す。
「ああ。どうやらズィーゲン大森林の中から、リンクシャンヌ山脈の内部へと入る事ができるようなんだ。内部では坑道が枝分かれしているが、中にはクレプスクルム魔導術学院の近くまで続いている物もあるそうだ」
「クレプスクルムまで……」
 これを聞いて思わず呟いたアクセルを、エマは一瞥する。それからすぐにターヤを見た。
「ターヤ、ここから闇魔の気配があるかどうかは判るだろうか?」
「うーん……やっぱり、もうちょっと近付かないと判らないかも」
 言われてすぐに意識を集中させてみたターヤだったが、まだ少し距離があるからなのか、それともリンクシャンヌ山脈の外に居るからなのか、ともかく気配は掴めなかった。
 返答を聞いたエマは、そうか、と相槌を打つ。
「ならば、先程話した場所からリンクシャンヌ山脈の中に入ってみないか? そうすれば判るかもしれないだろう?」
 その言い方から、彼はその坑道を使いたいのだとターヤは判断する。しかし彼女がそれに頷くよりも先に、レオンスが疑問を示していた。
「おまえは、その入り口がどこにあるのか知っているのか?」
「詳しくは知らないが、リンクシャンヌ山脈寄りにズィーゲン大森林の中を歩いていけば見つかるだろう。クレプスクルム魔導術学院よりは、ツィタデーリ峡谷側だと聞いたからな」
「あら、エマニュエルさんにしては意外と適当な御考えなのですね」
 からかうようで探るような意味深な視線をオーラがエマへと寄越すも、ターヤとマンスはついつい、そちらよりも別の方向に意識をとられてしまう事となった。
「おねーちゃん、おにーちゃんを名前で呼んだね」
 マンスの言葉通り、今の今まではどこか頑なまでに苗字を呼称としかしていなかったオーラが、今し方ファーストネームを使用したのである。そこについて前から気になっていた彼としては驚くに値するものだったのだ。
 ターヤもまた同じことを思っていた為、少年へと同意する。
「この前レオンのことは呼んでだけど、エマをそう呼ぶのは初めてだよね」
「うん、そうだね。やっぱり、オーラのおねーちゃんはこっちの方が合ってる気がするよ」
 うんうんと二人が和やか且つほのぼのと会話する中、逆にどこか固い様子でエマはオーラの言葉に応えていた。
「私は、必ずしも慎重という訳ではないからな」
「では、もしもこの先に何かしらの罠があったとしたら、どうなさる御つもりなのですか?」
「それは――」
「ともかく、まずは行ってみれば良いのよ。無論、警戒は怠らないように、だけど」
 試すようなオーラの言葉には、弾かれるようにしてエマは応えようとするが、それはアシュレイによって阻まれる形となっていた。
 それを合図に、エマはオーラからそちらへと身体ごと顔を向ける。

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