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三十一章 仮初の現在‐and Emanuele‐(1)

「さて、と。いつまでもここに居る訳にはいかねーし、クンスト辺りにでも移らねぇか?」
 死灰の森の中に張られた〈結界〉内部にて、後衛組の疲労もとれた事を確認したアクセルが皆へと話題を持ちかける。
 すると皆は雑談を止め、彼の方を見た。
「そうだね。このままここに居ると、いつかスタントンが発狂するかもしれないし」
「そこまでじゃないわよ!」
 本気なのだか冗談なのだか判別できないスラヴィの発言に速攻で噛みついてから、アシュレイは話の軌道を僅かにずらす。
「けど、〔軍〕の動向も気になるわ。あれから何か情報は入ってない訳?」
「少々御待ちください」
 彼女が視線を寄越せば、オーラは静かに目を閉じる。そのまま彼女はしばらく無言を貫き微動だにもしなかったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「いえ、昨夜から〔軍〕が他のギルドを襲ったとの記述は見受けられません。どうやら、昨日のカンビオ襲撃が最後でしたようです」
「ニールの奴、いったい何を考えてるのよ」
 この報告には、全くもって掴めないと言うようにアシュレイが怪訝な顔となった。
 そこについては同じように感じながら、別の疑問を抱えていたレオンスはエマを見る。
「ところで、騎士達はどうやって撒いてきたんだ?」
「いや、撒いてきた訳ではなく、なぜか騎士達は本部の外までは追ってはこなかったんだ」
 これにはほぼ全員が目を丸くし、ターヤは思わず反芻してしまう。
「え、誰も追ってこなかったの?」
「ああ。まるで最初からそのつもりであったかのように、誰一人として正門を越えようとはしなかったな」
「クレッソンの奴、本当に何を考えてるのよ」
 エマが頷いてみせれば、益々アシュレイの眉間にしわが寄っていく。
 同じ疑問にぶち当たったものの、オーラならば何か知っているのではと思い浮かび、ターヤは彼女に視線を移す。
 他の面々も同様の思考から彼女を見ていたが、当の本人は首を横に振っただけだ。
「残念ながら、私にもあの方の考えが完全に解る訳ではありません。ですが、今回に限って言えば、おそらくは私に現時点での計画の進行度を見せつける事と、ターヤさんと一度対面しておく事が目的だったのではないかと」
 前半の方に反応して、再度ターヤは目を丸くした。
「え、わたし?」
「はい。推論ではありますが、今代の《世界樹の神子》の顔や実力などを、自らの目で見ておきたかったのかもしれません。表に出す事は好みませんが、非常に計画的で慎重で努力家な方ですから」
 そうは言われても、常に余裕を崩さず掴めない人物、というのがクレッソンに対するターヤのイメージであった。故に、はいそうですかと簡単には信じる事ができない。
 アシュレイも同じであったらしく、そんな馬鹿なと言わんばかりの顔になっている。
「見せつけるって、どこのガキだよ」
「一般的な印象とは異なり、あの方にも意外と子ども染みたところが御ありなのですよ」
 対して前半の方に脱力したように呆れ顔でアクセルが肩を落とせば、まるで姉や母のようにオーラが苦笑してみせた。まるで見てきたように知っているところからして、よほどクレッソンは頻繁に〔アメルング研究所〕に出入りしていたのだろうか。
 そこで元々の話題から外れている事に気付いたマンスが首を傾げる。
「それで、結局どこに行くの?」
 あ、と皆がようやく気付いたという顔で彼を見たのは言うまでもない。
 無論オーラだけは気付いていたらしく、あらあらと微笑ましそうな顔になっただけだが。
 彼女に便乗するかのように、レオンスはすぐさま同意するように顔を取り繕った。
「それで、どうするんだ?」
「ここから近い所だとクンストかゼルトナー、カンビオだよな。ターヤにニルヴァーナを呼んでもらえりゃ、他の所にも行けるけどよ」
 そんな彼に呆れつつも、アクセルはとりあえず候補を幾つか挙げてみる。

 そうすればエマが何事かを思い出したように口を挟んできた。
「ならば、ゼルトナー闘技場に行かないか? あの近辺のリンクシャンヌ山脈で闇魔を見た、という情報を耳にしたんだ」
「闇魔を?」
 聞いた瞬間久方振りに《世界樹の神子》としての仕事をこなせるかもしれないという思いが生じ、ターヤは反射的に、にじり寄るようにしてエマの言葉に食い付いていた。
 彼女の勢いに押されかけて頷くエマだったが、すぐに注意書きを付け足す。
「あ、ああ。ただし情報源は〔騎士団〕本部で偶然耳にした会話だからな、信憑性は定かではないのだが」
「〔騎士団〕が? まさか、これもクレッソンの……?」
「そうかもしれません。クレッソンさんも表に姿を見せるようになりましたし、ターヤさんを――《世界樹の神子》を誘い出す為の罠の可能性も捨てきれないかと」
 眉を潜めたアシュレイにはオーラが同意を示してみせた。その眼がエマへと向けられる。
 それを真っ向から受け止めてエマもまた首肯し、そしてターヤを見た。
「ああ、その可能性も充分にある。だから、行くかどうかはターヤが決めてくれ」
 必然的に皆の視線が集中し、ターヤはそれに押されるかのように後退しかける。それから、どうしたものかと思考を巡らせ始めた。
(本当に闇魔が居るなら放っておけないけど、もしかしたらアシュレイやオーラの言う通り〔騎士団〕の罠かもしれないし……でも)
 ちらり、とエマを見る。
 突然視線を向けられた彼は驚き、皆も何事かというような様子になる。
 だが、ターヤはすぐに目を元の方向に戻す。先程感じた得体の知れない胸騒ぎとアシュレイの変な様子と、そして彼を警戒しているかのようなオーラの態度から、もしやという思いを抱き始めていたからだ。
(エマは、何だかそこに行ってほしいみたいだった)
 それは全くもって根拠の無い、ターヤ一人の直観であった。それでも彼女は自身の勘を信じる。
(だったら、そこで何があったとしても、わたしはエマを信じたい。ううん、信じるの)
 なぜそこまで彼を信じたいと思うのか今のターヤには判らなかったし、まずそこに辿り着く事も無かった。それでもその感情のままに、彼女は再びエマと目線を合わせる。
「わたし、行ってみるよ」
「え、行くの?」
「まじかよ」
 予想外の判断だったらしくマンスが目を見開き、アクセルが呆気にとられる。
 似たような表情の皆へと――主にエマへと向けて、ターヤは首を縦に振ってみせる。
「だって、もしかしたら本当に闇魔が居るかもしれないんだよね? だったら、わたしが行かない訳にはいかないよ」
「それはそうなんだけどな。それが相手の狙いかもしれなくてもかい?」
 確認するようにレオンスが問う。そこに浮かんでいたのは紛れも無い心配だった。
 故に、大丈夫だと言う為にターヤはしっかりと答える。
「うん。わたしは、エマを信じるよ」
 その言葉で、ターヤを見ていたエマが驚いたように目を見開く。
「流石にここからだと、闇魔の有無は判らないわよね」
「こんなに離れてるとなぁ……流石に俺でも判らねぇよ」
 彼を横目で見つめながら独り言のようにアシュレイは呟くが、リンクシャンヌ山脈の方向を向いているアクセルは、そこには気付いていないようだった。
 調停者にも判らないとなれば、マンスがスラヴィとオーラを見る。
「おにーちゃんとおねーちゃんにも分からないの?」
「俺は世界樹の民とはまたちょっと違うからね、闇魔の気配には敏感って訳じゃないんだ」
 しかし、スラヴィは何事でもないかのように否定するだけだ。
 言われてみれば確かに、スラヴィが闇魔の気配に反応するのは他の面々と同じく、ターヤとアクセルとオーラの中の誰かが気付いてからの事が多いように思えた。彼の闇魔に対するセンサーは、常人と同じくらいなのかもしれない。

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