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三十一章 仮初の現在‐and Emanuele‐(11)

「わっ……! ウィッ、ウィラードくん!?」
 それでも自然と手を引かれつつも足を動かしながら、彼に向けて疑問の声を上げる。
 しかし、先導する彼からは何の言葉も帰ってはこなかった。時おり、咳のような小さな音が聞こえてくるくらいだ。
 どうしたのだろうかと思いながらも、切羽詰まっているらしきウィラードの様子に押される形で、メイジェルは彼についていく。そのまま裏路地に入って曲がり角を幾つも曲がったところで、急にウィラードが足を止めた。そのせいでメイジェルは彼の背中に顔をぶつける。
「わぷっ」
 もしや突き当たりにでも入ってしまったのかと離した顔を動かし、そこに先程の青年を見てしまった。
「!」
 彼が何者なのかは解らなかったが、ウィラードにとって良くない人物だと認識しているメイジェルは、思わず目を見開いて全身を強張らせる。自身の手を掴む彼の手が震えている事にも気付いていた。
 導かれるように、ゆっくりと足が前方に向かう。
「あ、メイジェルさ――」
 制止するかのようなウィラードの声にも構わず、彼を護るように彼女はその前へと歩み出た。
 興味深そうに青年が目を細める。
「ウィラードくんに、何の用?」
 相手の動作から力量を図ろうとしながら、メイジェルはウィラードを背に庇う。
「用も何も、貴女の後ろに居る彼を退治しにきただけですよ」
「それなら、アタシも容赦しないから」
 二人を観察するかのように眺めながら青年が口にした言葉には、一気にメイジェルの険が強まっていた。また、この発言により彼女は青年を完全に敵と認定し、すばやく構えて戦う意思を示す。
 けれども、青年は益々興味深そうな顔になるだけだ。
「おや、良いのですか?」
「待っ――」
「彼は《ニーズヘッグ》という、《世界樹》を枯らす程の力を持った闇魔なのですよ?」
 わざとらしい声に嫌な予感を覚えたウィラードは止めようとするが、間に合わなかった。
 一方、メイジェルは相手の言葉を飲み込めずに目を丸くする。
「……え?」
 ようやく出た声は、実に間の抜けたものであった。同時に、胸の奥底で何かが今までよりも強く蠢いた気がした。
 対照的な二人の様子を楽しみながら、青年は話を続ける。
「まず、闇魔という種族については御存知ですよね? 彼らの中にも魔術のように階級がありまして、下級、中級、上級と上に続くのですが、その上級闇魔の中でも特に力を持った闇魔――《毒龍》ニーズヘッグ、それが貴女の後ろに居る彼なのですよ」
 耳に染み込ませようとするかのように、しっかりとねっとりと言葉は紡がれた。
 まさか、という思いでメイジェルは窺うように彼を振り返る。
 ウィラードは蒼白な顔となって、その場に立ち尽くしていた。
 その反応から、今し方青年が口にした内容こそが真実なのだとメイジェルは理解してしまった。信じたくなくて、頭の中が真っ白になる。
「現在は人の形をとっているようですが、そもそもその身体は、彼が元々寄生していた生命体の物ではないのですか?」
 そんな彼と彼女に追い打ちをかけるように、青年は容赦なく話し続ける。
「流石の私も詳しい事は知りませんが、闇魔が実体化する際には肌の色までは生命体と同じにはなれませんし、その闇色の髪と目が動かぬ証拠です」
 否定すれば良い、とメイジェルは思った。得体の知れぬ相手の言葉など信じなければ良いのだ、ウィラードはまだ自らの言葉で肯定した訳ではないのだから、と。
 それでも、相手の青年の言葉は紛れも無い真実なのだと、奥底で誰かの告げる声がした。
 渦中の本人は、呆然と立ち尽くしたまま微動だにもしない。

 ああ、とそこで何事かを思い出したように青年は声の調子を極端に明るくした。
「そう言えば、すっかりと名乗るのを忘れていましたね。改めまして、私は世界樹の民のリチャードと言います」
「世界樹の、民」
 初めて聞いた言葉の筈なのに、どうしてかそれをメイジェルは知っている気がした。
「では、今日のところはこれで失礼させていただきます」
 それだけ言い残して、リチャードと名乗った青年は一礼すると去っていった。メイジェルとウィラードの中と間に、大きな爆弾を投下するだけしておいて。
 後に残されたのは、ひどく混乱したメイジェルとウィラードだけだった。なぜ彼を退治しにきた筈のリチャードが、何事も無かったかのようにあっさりと引いたのかを疑問に思う余裕すら、現在の二人には無かった。
 そのまま無意味な程に時間だけが過ぎていき、ようやく、恐る恐るといった様子でメイジェルは再びウィラードを見た。今にも泣き出しそうなくらい歪められた顔となって。
「ウィラードくんは、本当に闇魔なの……?」
 震える声だった。否定してほしい、信じたくないのだと、その声が告げていた。
 ここまでか、とウィラードは思う。彼は、できれば彼女にだけは嘘をつきたくはなかったから。
「……はい。俺は、上級闇魔の《毒龍》ニーズヘッグなんです」
 故に躊躇いながらも、しっかりと動作でも声でも肯定してみせた。
 瞬間、メイジェルは自身の中で何かが崩れ落ちたような音がした気がした。
 一気に核となる部分を喪失したかのような彼女に申し訳無さを思いながらも、ウィラードは全てを話すつもりでいた。
「この身体は、本当の『ウィラード・チェンバレン』の物なんです。彼は誰かと対立したのか片腕を失って大怪我を負い、とうとう辿り着いた死灰の森で力尽きたみたいで、偶々その時こっちに出てきた俺が、ちょうど良いと思って身体を貰ったんです。だけど、瀕死だった彼に寄生した事で、僅かに残っていた記憶から読み取ると同時、俺はその重傷をも自分のものにしてしまいました」
「だから、あの時、死灰の森で倒れてたの?」
 初めてウィラードと出会った時の事を思い出しながら、メイジェルは確認するように震える声のまま問う。
「はい。幾ら人の身体を借りたとは言え、かなりの重症でしたから、あの時貴女に助けてもらわなければ、俺はそのまま『ウィラード』ごと死んでいたと思います」
 正直に答えれば、ひゅうとメイジェルの喉から呼吸のような音が上がった。そのような反応になる理由がウィラードにはいまいち解らなかったが、今のうちに彼女に伝えておくべき事を口にしておこうとする。
「だから、メイジェルさんには凄く感謝しているんです。物怖じせずに俺を助けてくれて、〔盗賊達の屋形船〕を紹介してくれて、定期的に会いにきてくれて」
 今の今までずっと大事に抱えてきた想いの宿る胸部を、そっと右手で押さえる。それからウィラードは覚悟を決めた。
「この身体を貰った時、ニーズヘッグとしての俺と『ウィラード』としての俺が混ざり合って、メイジェルさんが知っている今の僕になったんです。だから、俺はもう自分が誰なのかも判りません。だけど、闇魔ではなく一人の『人』になりたいと、ずっと思っていた事だけは確かなんです」
 それが、ウィラード・チェンバレンとしての本音だった。
 これを聞いたメイジェルは、大きく目を見開く。
 彼女の顔ももう見られなくなるのかと思い、悲しさと寂しさを覚えるも、このままではいられない事をウィラードは重々承知していた。
「これまでは闇魔として行動した事はいっさい無いですし、どうやら《世界樹》も不調らしいので見逃されていたみたいなんですが……もう、俺は完全に闇魔として認識されてしまったみたいなんです。だから、俺はもうここには居ない方が良いんだと思います」
 自嘲するかのように苦笑して、そしてウィラードはメイジェルに向かって深々と頭を下げた。
「今まで、ずっと騙していて、本当にごめんなさい」
 怒ったかもしれない、嫌悪されたかもしれない、今度こそ怖がられたかもしれない、見捨てられたかもしれない――そのようなさまざまな恐怖がウィラードの中で回る。もしも大嫌いなどと言われてしまったら、立ち直れなくなる自信が彼にはあった。

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