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三十章 秘境の楽園‐Ora‐(8)

 けれども、オッフェンバックはオーラ以外など元より眼中には無いらしく、その問いに答える事はしようともしなかった。
「クレッソンさんに、そう言われたのですね」
 逆にオーラが答えらしきものに触れれば、男性はしっかりと頷いてみせた。
 瞬間、アルテミシアとベルナルダンの目が大きく見開かれる。
「《団長》を信用している訳ではないが、貴女に何かあると自分が困るからな」
 本人から確認の得た彼女は、ふう、と小さく息を吐き出す。そして彼の方へと向かって足を進め出した。
「「!」」
「オーラ!」
「オルナターレ様!」
 彼女の選択に皆は驚き、レオンスが彼女の名を呼び、オッフェンバックの表情が動き、慌ててベルナルダンがその腕を掴む。
 オーラはそちらを振り向き、その手に優しくそっと触れた。
「ベルナルダンさん、貴方が優先するべきはアルテミシアさんでしょう?」
 そして、そのまま振り解く。後はもう、その前と同じだった。
 痛いところを突かれてしまったベルナルダンは、苦渋の決断をしたかのような顔でそれを見送るしかない。
 オッフェンバックの前までオーラが来れば、彼はアルテミシアを解放した。
「大丈夫ですか、アルテミシアさん? すみません、私達の事情に巻き込んでしまって」
 申し訳なさそうに微笑みかけるオーラへと彼女は詰め寄る。
「そのような事など、どうでも良い! それより、本当にこやつと――」
「積もる話もいろいろとありますので」
 しかし最後まで言わせぬオーラの言葉と圧力とに遮られ、アルテミシアは沈黙した。
 そんな彼女をベルナルダンと皆の方へと軽く背を押すように行かせてから、オーラはくるりと身を翻してオッフェンバックに向き直る。
「では行きましょうか、ウェイド」
「ああ、自分の女神」
 悦楽とした表情のまま男性は少女の手を取り、自分達二人を取り囲むようにトランプを展開して転移魔術を発動させた。
 すぐさま二人の足元に魔法陣が出現する。
「オーラ!」
 レオンスの声にオーラは首だけを振り向かせ、申し訳なさそうに微笑みかける。
「すみません、皆さん。少し出かけてきます」
 そのまま背後の全てを振り切って、彼女は彼と共にその場から転移した。


 二人が転移した先は、見知らぬ一室の内部だった。だが、クレッソンの思惑に気付いているオーラには、そこが〔騎士団〕本部であるとの察しがついていた。
 その手をエスコートするかのようにさりげなく手に取りながら、オッフェンバックが彼女に声をかける。
「さあ、リベラ。こちらへ」
 向けられた呼称に対し、彼女は息を一つ落とす。
「オッフェンバックさん。その呼称はもう使わないでいただけますか? 私はオーラです」
「だが、自分にとって貴女はリベラだ。それ以上でもそれ以下でもない。それから、自分のことは昔や先程のように、ウェイド、と」
 暗に要求を拒否する意を示しつつ、自身の要求は通そうとするオッフェンバックである。
 そんな彼に対して、オーラは呆れ顔で再び息をつくしかなかった。
 と、そこで誰かの気配が近付いてきたかと思えば、一つしかない扉が外側から開かれる。

「あれ、何だ、もう来てたんだ」
 扉を開けたのはフローランだった。彼はオーラの姿を認めるも、すぐにオッフェンバックへと視線を移す。彼女など視界に入れたくもないと主張しているかのようだった。
 逆に、オッフェンバックはたいそう不満そうな顔付きとなる。
「何の用だ、ヴェルヌ」
「下の噂だと《副団長》が呼んでるみたいだったよ。大方、君が堂々と《騎士団長》の執務室に入っていった事についてだろうけどね。面倒な事になる前に行ってきたらどうかな」
 向けられる怒りは難無くかわし、扉の前からは除けて室内に足を踏み入れてきたフローランは、暗に邪魔だから出ていけと告げる。
 対して、オッフェンバックは不機嫌を隠さないどころか開戦も辞さない心構えであったが、彼の言葉に従うようにオーラに目で訴えられてしまった為、渋々と頷いてみせた。
「では、少し席を外させてもらう。すまない、自分の女神」
 それから、そう言って彼は持ったままだったオーラの手を持ち上げ、自身もまた少し腰を屈めると、その甲に軽い口付けを落とした。そして無反応の彼女からようやく手を離し、室外へと消えていった。
 彼の背中が枠外に消えても、オーラはそちらから目を離さなかった。
「自分の女神、だなんて、聞いてて呆れるよ。随分と骨抜きにしてるんだね」
 口火を切ったのはフローランだった。その顔には常と同じ笑みが浮かんでいたが、眼は笑っておらず、ただ真っすぐに突き刺さんばかりに扉へと伸びている。まるで仇敵を見ているかのようだった。
 オーラもまた扉から視線を逸らさなかったが、向けられた言葉には応えた。
「私は彼のことを弟くらいにしか思ってはいませんが、どうやら彼の方は私を神聖化しすぎているようですので。ところで、私にいったいどのような御用件でしょうか?」
「随分と、わざとらしくて冷たい言い方だよね。けど、僕的に後半には賛同できるよ」
 す、とその面から消しゴムで綺麗さっぱり消されたように笑みが失せる。
「十年前まで、僕は北大陸のある小村に住む幸せな人間だったよ」
 唐突に過去を語り出したフローランを、やはりオーラは見ようとはしなかった。
「けど、〈龍神の逆鱗〉によって、みんな死んでしまった。生き残ったのは、僕だけだった。それまで僕の光だったデイファも、その災厄で死んでしまった」
 フローランの眼が、そこでようやくオーラへと向けられる。
「僕は村のみんなと大切な恋人を一瞬にして失ったのに、それを引き起こさせた主犯である君はのうのうと生きてるなんて、理不尽以外の何者でもないよ。ねえ、君もそう思わない?」
 少女は青年を見ない。逆に顔は動かさず、反対側へと視線を逸らしてすらいた。
 それを彼は見逃さない。その眉間にしわが寄っていく。
「後悔してるくらいだったら、何であんな事をしてくれたの? おかげで、僕もデイファも村のみんなも大迷惑だよ。後悔するくらいで無かった事にできるとでも思ってるの? 君って本当に自分勝手だよね。僕がいったいどんな思いになったのか、君に解――」
「でしたら」
 矢の如く、そこで初めてオーラの視線がフローランへと飛ぶ。
「でしたら、私も言い返させていただきます。――貴方に、私の何が解ると言うのですか」
 無表情など既に無く、そこに浮かび上がっていたのは同じくらいの怒りだった。ただし彼のように熱されつつある訳ではなく、どこまでも凍てついている。
 青年の形相は益々加速していき、少女の眼は益々据わっていく。
「そこまでにしてもらおうか」
 だが、その殺伐とした雰囲気を壊すように間に割って入る者が居た。
 弾かれるように二人の視線が扉へと戻り、そして、そこにいつの間にか現れていた男性へと向けられる。一目で〔騎士団〕関係者だと判る青を基調とした服を身に纏った、銀髪銀目の人物であった。
「ニスラさん」
 冷えきった声のまま、オーラが彼の名を呼ぶ。

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