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三十章 秘境の楽園‐Ora‐(7)

(そっか、オーラは自分なりに考えて悩んで苦しんで、苦渋の決断でその結論を出したんだ。でも、やっぱりそんなのって――)
「ばっかじゃないの?」
 しかし、ターヤが最後まで思う前にアシュレイが鼻を鳴らしていた。
「前から卑屈な奴だとは思ってたけど、まさかそこまでだとは思ってもなかったわ」
 咄嗟にベルナルダンが動きかけるが、これもまたアルテミシアにより制される。だが、彼女もまたアシュレイへと険しめの眼差しを向けた。
「お主、オリーナがどのような想いで、それを選んだかは聞いたであろう?」
「それが馬鹿だって言ってんのよ。家族の為に自分が犠牲になれば良い? ……残された奴がどんな気持ちになるのかも知らないくせに、よく言うわ」
 その眼に宿っていたのは、本気の怒りだ。まるで知っているかのようだった。

 対して、オーラは――『オリーナ』は、言い訳をするかのように反論していた。

「それでも、例え恨まれたとしても、護らなければならないものが、あったんです」
「信じてた家族に裏切られたあいつらの気持ちまでは解らないけど、きっと身を引き裂かれるような思いだったんでしょうね。あたしなら、きっとそうなる。それに、その悲劇のヒロインぶったような態度と言い方も気に入らないわ。……何が運命よ。そんなものがあって堪るかっての」
 だが、どこか苛立ちを含んだ声色で、アシュレイはばっさりと切り捨てるように言い放つ。これ以上はもう何も言う事など無いらしく、彼女は尤もだとばかりに肩を落とした少女からレオンスに視線だけを移す。
「それにしても、驚かないところを見ると、あんたは知ってたのね?」
「あ、ああ。前に、少し、な」
 驚きつつも曖昧に肯定したレオンスに、ふぅんとだけ返して、それ以上は何も言わなくなる。
 オーラの過去と彼女達が〔十二星座〕を裏切った理由については知れたが、場の空気は重いものから気まずいものへと転換していた。
 その一応の原因であるアシュレイは我関せずと言った態度になり、壁に背を預けている。
 彼女に声をかけるべきかとターヤやエマは思うも、それはレオンスに無言で制された。そうすればアクセルは何となく察しがついたようで、仕方ないと言うように息を吐き出してから引く。
「少し、風に当たってくる。ベルナルダン、お主はオリーナについていてやるのだぞ?」
「解りました」
 思うところがあるらしくアシュレイを変わらぬ目付きで見てから、ベルナルダンに指示を出してアルテミシアは部屋の外へと出て行った。
 それを見送ってから、ターヤはそっと窺うようにアシュレイを見た。
(最近は前よりは遠慮するようになってきてたけど、今日のアシュレイは、何だかオーラを諭そうとしてるみたいだった。でも、何を――)
「「!」」
 そこで何かを感じ取った面々が即座に扉の方を見た事で、ターヤの思考もまた遮られる。何事かと察する前にベルナルダンが先陣を切り、その後に続くようにアクセルやアシュレイ達も部屋を飛び出していた。
 もしやアルテミシアに何か起こったのかもしれないと思い、ターヤとマンス、そして最後にオーラも廊下へと出る。
 そこで皆が目にしたのは、アルテミシアを羽交い絞めにする男性の姿だった。
「アルテミシア様!」
「あんた……!」
 瞬時にベルナルダンが主の名を呼ぶのと、植え付けられた本能に従ってアシュレイが細剣を構えるのと、そして侵入者がアルテミシアに武器を突き付けるのは、ほぼ同時だった。
「動くなよ、《暴走豹》共。この娘がどうなっても構わないと言うのであれば、特段止めはしないがな」
 その人物ことオッフェンバックは見透かしたような笑みを浮かべた。
「くっ……!」
 ベルナルダンが、彼にしては珍しい類に含まれるのであろう苦痛の表情になる。
 今し方出会ったばかりでそこまで親しい仲ではないとは言え、アルテミシアを人質に取られている以上、一行もまた誰も迂闊に動く事はできなかった。
 もしかするとアシュレイならば問答無用で動いていたのかもしれないが、それを危惧していたオーラが彼女の武器を掴んでいる。

 しかし、今の彼女にはそのような気など殆ど無いに等しく、悔しげに表情を顰めていた。
 そんな彼女を目にしたオッフェンバックは、失望を含んだ意外と言わんばかりの表情になる。
「かの《暴走豹》が〔軍〕を辞めたという話は耳に届いていたが、まさかここまで腑抜けていようとはな。実につまらない」
「いったい何の用だ、《道化師》。これは〔騎士団〕の意向なのか?」
 わざとらしく残念だとばかりに器用に肩を竦めてみせるオッフェンバックだったが、それを流すかのようにエマが話を逸らしていた。
 元々そちらに大して興味は無かったらしく、男性はすぐに応じる。
「いや、今回は自分の独断だ」
「ならば何をしに来た?」
「決まっている、自分の女神を迎えに来ただけだ」
 途端に彼の瞳に輝きが発生したような気がして、思わずターヤは寒気を覚えていた。
 そんな彼女の耳にアクセルが口を寄せて小声で話しかけてくる。
「こいつ、発言が痛ぇな」
「う、うん、そうだね……」
 後方で引いている人々は放置し、オッフェンバックとエマの会話は続く。
「女神?」
「そこに居るだろう? 銀の女神が」
 怪訝そうに眉根を寄せたエマに返されたのは、確信を持った答え。
 銀。その色で表わす事のできる人物は、この場には一人しか居なかった。
 指し示された人物ことオーラは、無言でオッフェンバックを見返している。集中する皆の視線も特段気にせずに、ただ時おり見せる影を背負った無表情で。
「御久しぶりですね、ウェイド」
 随分と抑揚の無い声で、彼女はそうとだけ言った。
「ああ、久しいな。自分だけの女神――」
 対して、オッフェンバックは彼女の言葉を耳にした瞬間、恍惚とした表情で異なる笑みを浮かべた。それは先程までの嘲笑ではなく、純粋な尊敬の笑顔だ。
 そのような彼を目にしたオーラの眉根が悲しげに、困ったように中央へと寄せられる。
「まだ、私のことを覚えていらっしゃったのですね」
「当然だろう? 自分が貴女のことを忘れる筈が無い」
 しかしオッフェンバックの顔付きは変わらず、益々彼女は眉を顰めていく。
「忘れていただけたのなら、どれ程良かった事か――」
 他ならぬ自分自身だけに向けていたのであろうオーラの呟きを、しかしオッフェンバックはしっかりと聞き取っていた。その表情が悲しげに歪む。
「忘れる、だと? 自分にそのような事ができる筈が無い! 自分は貴女に救済していただいた身――その恩を忘れるなど!」
「ウェイド……」
 必死になったかのように声を荒らげる男性を、少女はただ見つめる事しかできない。
 だが、すぐに彼の面は元の様子に戻った。ただし、真剣みは残して。
「なるほど、それが《道化師》の本名なのね」
 片や、アシュレイはオーラの口にした『ウェイド』という名に反応を示していた。
 他の面々もまた同意の言葉を口にはしなかったが、その殆どは彼女と同じ考えであった。
 片や、オッフェンバックはただ一心にオーラだけを見ている。
「だからこそ、自分は貴女を迎えに来た。このままでは、貴女はそこの《巫女》に消されてしまうのだから」
「え――?」
 突如として名指しされたターヤは反射的に驚きの声を上げるしかできず、皆もまた彼女に視線を向ける事しかできなかった。
「え、えっと……どういう事?」
 場違いだとは解りながらも、ターヤは間の抜けた声で尋ねるしかできない。

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