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三十章 秘境の楽園‐Ora‐(4)

 だが、それによりできた隙を見逃さず、アシュレイが牝山羊に一太刀浴びせる。それでもアクセル程の効果は見込めず、すぐに元の撹乱行為へと戻る事になってしまったが。
 一方、エイクスュルニルを相手取っている二人は、エマが引き続き盾で相手の攻撃を受け止め、その間にレオンスがアシュレイに次ぐ機動力を生かして攻撃を加えるという戦法をとっていた。
 けれどもエマも永遠に留めておけるという訳ではなく、限界が近付くと一旦距離を取ってから少し休憩し、再び戦線に戻っているという状態だ。
 また、ターヤが何度もステータス強化系の支援魔術をかけていたが、それでも戦況はその先には進まなかった。
「――〈水精霊〉!」
 かくして場が膠着状態に陥ったところで、マンスの声が堂々と響き渡った。
 瞬間、少年の頭上に巨魚が姿を顕す。
『《水精霊》とな』
 驚いたような色が見え隠れする声をヘイズルーンが上げると同時、《水精霊》は周囲に漂う霧を――つまりは水の粒を操り始めた。それらは逃げる暇を与えず、牡鹿と牝山羊の周囲を取り囲むようにして急速に収束していく。しまった、と相手が思ったであろう時には遅かった。
 一気に収束した数多の水粒は水球を形成し、その中にエイクスュルニルとヘイズルーンをすっぽりと閉じ込めてしまう。幾ら聖域の門番とは言え、陸棲種には水中で思うように呼吸ができる機能など備わってはおらず、牡鹿と牝山羊は苦しげに泡を吐き出した。
「ウンディーネ」
 そうすればマンスは《水精霊》に命じて水球を解き、地に座り込む形となった門番達へと、えっへんと誇らしげに胸を張ってみせる。
「どう? 参った?」
 だが、その頭をおまえだけの手柄じゃないだろとばかりにアクセルに小突かれた為、二人の間で子ども染みた口論が勃発した。
 無論、他の面々がどっと疲れたように呆れ顔や苦笑いになったのは言うまでもない。
 そして、そんな彼らを目を細めて眺めながら、ヘイズルーンは首肯してみせた。
『宜しい、我らの負けぞ、皆通るが良い』
「はい、ありがとうございます、御二人とも」
 脇に避けていたオーラがそっと歩み寄って礼を述べれば、皆もまたそれに倣う。
 それから一行はエイクスュルニルとヘイズルーンとはそこで別れ、再び奥地へと向かって進んでいった。言わずもがな、再びアシュレイはアクセルを盾にしていた。
「それにしても、さっきの……鹿と山羊って、グ……ズィーゲン大森林で戦った猪と違って、特に凄い能力も持ってなかったんだね」
 やはりグリンブルスティの名前が思い出せなかった上、つい先程戦ったばかりのエイクスュルニルとヘイズルーンの名前すら憶えていないマンスである。
 長く記憶しにくい名前故に同じく憶えていなかったターヤは黙っていたが、その気まずそう且つ恥ずかしそうな表情で周囲には知られていた。
 そんな二人に苦笑しつつ、オーラは少年の疑問に対する回答を述べる。
「元々、御二人は戦闘に向いた能力を御持ちではありませんからね。殆ど人の立ち入る事が無いこの場所だからこそ、門番を務める事ができているようなものです」
「「へー、そうなんだ」」
 ターヤとマンスの声は見事に重なり、それにもまたオーラは笑みを零す。
 それからしばらくして、次第に一行の進む先、霧の向こうにぼんやりと何かが見えてきた。
「屋敷……と、庭園みたいね」
「はい。この先に位置するのが、今回の目的地である[ウルズ庭園]です」
 一行では最も眼の利くアシュレイが見たままに呟けば、オーラが首を縦に振ってそこに詳細な説明を付け加えた。


 そのまま霧を完全に通り抜ければ、そこは緑豊かな庭園に囲まれた豪勢な屋敷の敷地内だった。

「! オルナターレ様!?」
 そして、ちょうどそこに居た人物が瞬時に反応を示す。群青色の前髪に左目を隠された、同色の眼を持つ青年だ。通常ではお目にかかれない程に神聖な雰囲気を醸し出す白銀の鎧を身に纏い、優美な細工の施された鞘に収められた動揺の剣を腰に差す姿は、まさしく物語に登場するような姫を護る騎士だった。
 聞き慣れない、しかし以前にも何度か耳にした事のある名に一行が驚く前に、オーラはスカートを軽く摘んで彼へと優雅に一礼していた。
「御久しぶりです、ベルナルダンさん」
 青年はそれで我を取り戻したらしく、慌てて、けれどはっきりとした臣下の礼を取った。
「いえ、御変わり無いようで……安心しました」
 そして立ち上がる彼に、オーラは申し訳無さそうに笑う。
「御心配と御迷惑を御かけしてしまい、申し訳ございません」
「とんでもない。貴女様が謝られる必要など微塵もございません」
 大げさとも言える様子と動作で否定の意を露わにした青年にオーラは苦笑する。
「ありがとうございます。ところで、アルテミシアさんは今どちらにいらっしゃいますか?」
「アルテミシア様でしたら、今は自室で仮眠を取っていらっしゃいます。御呼びしますか?」
「いえ、そこまでしていただかなくて結構です。代わりと言っては何ですが、アルテミシアさんが起きられるまで、どこかで待たせていただけませんか?」
「畏まりました。……ところで、後ろの方々は?」
 今まで柔らかで温厚そうな笑顔を浮かべていた青年の顔が、急に冷めて警戒の色を見せる。
 その代わりようにターヤは反射的に一歩下がり、アクセルとアシュレイは同じように眉を潜めた。エマはどうしたものかと思案げになり、マンスはおろおろと右往左往し出し、レオンは楽しそうに眼を細めて哂いながら、スラヴィは相変わらずの無表情を浮かべるだけだ。
「彼らは私の仲間です。決して危険ではありませんよ」
 しかしオーラがそう言って微笑みかけるものだから、青年も敵視はできなくなったようだ。
「オルナターレ様が、そう仰るのであれば」
 まるで忠義に厚い従者の如く、青年は少女の前で膝を付いて頭を垂れたのだった。
 先程からのオーラに対する言動と言い『様』付けの呼称と言いこの跪きようと言い、ベルナルダンと呼ばれたこの青年は彼女に絶対的な忠誠心を抱いているようである。そう一行は認識していた。
 青年は皆の推測を肯定するかのように、十分跪いてから立ち上がると再度一礼した。
「では、御部屋に御案内いたします」
 そして「失礼します」とオーラの手を取ると、エスコートするかのように彼女を連れて屋敷へと向かって歩き出す。
 レオンスが苦々しげな顔になるも、すぐ何事も無かったかのように正す。
 だが、それを見てしまったアシュレイは呆れたようで理解できるような、本人としては何とも言えない表情になった。
「御連れの方々も、どうぞこちらへ」
 そして、完全に蚊帳の外となってしまっている五人はどうしたものかと立ち尽くしていたが、ベルナルダンの言葉に促されて歩き出す。
 そのまま屋敷の一室に案内された一行は、しばらくそこで待たされる事となった。いろいろとオーラに訊きたい事のあった彼らだが、彼女の傍には常にベルナルダンが付きっきりで、しかも一行への警戒は残っているらしく威圧してきていたので、どうにも質問しづらい雰囲気であった。あのアシュレイでさえもが口を開かなかったところからも、それは窺えよう。
 かくしてしばらくの間、一室で無言且つ居づらい時間を過ごした一行であった。しばらくしてアルテミシアなる人物の様子を確認する為にベルナルダンが一旦席を外した際、ようやく一行は息をつけたのだった。
 随分と疲弊した様子の彼らを見てオーラが困ったように、けれど楽しそうに笑う。
「申し訳ありません。ベルナルダンさんは、なかなかに生真面目な方でして」
「そう言う割りには、随分と楽しそうよね」
 アシュレイが苦し紛れに指摘するも、それは全く効果は無かった。

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