The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
三十章 秘境の楽園‐Ora‐(13)
一触即発の事態だと踏んだターヤは出したままだった杖を握り締め、いつでも詠唱に入れるように気を引き締める。それからもう大丈夫だろうと考え、レオンスの左肩を軽く叩いて下ろしてもらった。
オッフェンバックは、レオンスの激昂ぶりに対しても余裕の笑みを崩さない。
「自分も、君達などに女神を任せられるとは思えないな」
「いや、後は私に任せてもらえないだろうか、オッフェンバック氏」
けれども、その主張を翻させるように声を挟んでくる第三者が居た。
それに反応して視線を動かしたターヤ達が目にしたのは、オッフェンバックとオーラの向こう側からこちらに向かって歩み寄ってくる、一人の男性だった。
「これはこれは《団長》、いったい何用だ?」
誰なのかと近眼で遠くを見るかのように眉間にしわを寄せたターヤだったが、回答はオッフェンバックの口から紡がれていた。普段のものではなく、どこか固い声色である事には気付けなかったが。
(この人が、クレッソン……)
眼前の人物の素性を理解して一気に緊張を生じさせれば、その頃には全貌どころか顔の見える距離まで男性が近付いてきていた。
そしてその瞬間、ターヤはつい先程までの自分自身の思考を撤回したくなった。
(この人は……何か、危険だ……!)
眼前の男性に対して、頭どころか全身が警戒の合図を出し始めていたのだ。ぶるりと背筋を悪寒が奔ってすらいた。無意識のうちに片手が胸元の服を握り締める。これは得体の知れないものに対する恐怖だと、ターヤは本能で理解していた。
既に立ち止まっていたクレッソンは少女を一瞥してから、斜め前に立つオッフェンバックへと向き直る。
「彼らが来てしまっては、最早時間切れという事だ。今回は諦めた方が良いだろう」
「了解した。……ではまた、自分の女神」
反論や異論を述べるかと思われたオッフェンバックはしかし、あっさりとクレッソンの言葉に了承する意を示してみせた。名残惜しげにオーラの手を取っていた手が離れていく。
まさかの事態に唖然とするターヤとレオンスの目の前で、彼は未練を見せつつもその場を後にした。
そうして残されたのは二人とオーラと、そしてクレッソンだった。
「ニスラ……」
「不満そうだな。十二年前に切り捨てた筈の相手に、今更どのような用があると言うのだ?」
未だ疲弊した様子ながらも、文句があると言いたげな表情で睨み付けるオーラの隣まで来ると、クレッソンは彼女に視線だけを移して彼女の痛いところを突く言葉を投げかける。
「十二年前? 切り捨てた?」
それらの単語に疑問を感じたターヤは首を傾げて反芻し、知っているレオンスは弾かれたように顔色を変え、目を戻して二人の様子を確認したクレッソンは興味深げに笑みを深める。
「――ターヤ! レオン!」
と、そこで背後からアクセルのものらしき声が飛んでくる。振り向けば囮役に回っていた四人と、つい先程エディットとフローランの相手を買って出てくれた筈のアシュレイが、ターヤ達の許まで向かってくるのが見えた。
「みんな!」
ターヤはそちらを振り向いて声を上げ、レオンスは何かを悟ったように慌てて眼前に視線を戻し、オーラが目を見開く。
「なるほど、彼らにはまだ話せてはいないようだな」
「ニスラ!」
その先を――彼が言わんとしている事を即座に理解したオーラが、叫ぶように名を呼ぶ。それは疲労の色など感じられぬ鋭く強い一撃だったが、クレッソンは意にも介さなかった。彼は笑みと共に、爆弾を投下する。
「貴女が、リベラ=フルージオであったという事実を」
時が、止まった気がした。
リベラ=フルージオ。それは十二年前までは神出鬼没であった、史上最大の殺人鬼の名である。突然ふらりと現れては悪事を働く者を容赦無く惨殺するという一見すると弱者の味方であったが、その幽鬼の如き異常性により、誰からも恐れられる存在であった。
ある日ぱたりと出現しなくなったので、いつしか人々の記憶からも薄れていったのだが、まさかこのような場所で名を聞く事になるとは誰も思ってなどいなかった。特に合流してきたばかりの面子は寝耳に水という感じらしく、自然と皆の視線がオーラに向く。
彼女は何も言わなかった。ただただ苦しそうで蒼白な顔のまま、立ち尽くしていた。
一瞬クレッソンの嘘かとも思ったが、本人とレオンスの様子から真実なのだと皆は理解する。
(そっか……オーラは、これを知られたくなかったんだ)
十二年前という事は〔アメルング研究所〕から逃げ出して〔十二星座〕に入るまでの間なのだろうか、と比較的落ち着いたままターヤは考える。かの殺人鬼については知っていたが、実際に見た事は無いので、現実味をあまり感じられないでいるのだ。
寧ろ、アクセルやアシュレイ達の方が顕わにした驚きは強かった。その顔は青白くなっている。
「あんたが、あの……」
「おまえが……」
「おねーちゃん……」
マンスに至っては信じたくないと言うような、まるでムッライマー沼の時と同じような表情になりつつある。
そちらの方がやばいとターヤは直感していた。そこでまさかという思いが発生し、弾かれるようにしてクレッソンを見る。
男性は少女の視線を真っ向から受け止め、その通りだと言わんばかりに笑んでみせた。
「……!」
最初からクレッソンはこれが狙いだったのだと、そこで初めてターヤは気付いた。何をどうすると《神器》と《神子》を利用するという目的に繋がるのかはまだ解らないが、どうやら彼はオーラを精神的に弱らせたいようだ。
どうしよう、と脳内が一気に混乱し始める。また溝ができてしまったら、このままクレッソン思惑通りになってしまったら、と不安ばかりが募っていく。
「でも、きっと、何か理由があったんだよね?」
しかし予想外の声が、ぐちゃぐちゃになりかけたターヤを現実へと引き戻した。
驚いてその方向に顔を向けた彼女の視界に映ったのは、真っすぐにオーラを見つめるマンスの姿だった。
「おねーちゃんが本当はどういう人かなんて、ぼくはずっと見てきたんだから。この前と同じで、ちゃんと理由があるんだよね? ぼくはまだ、この前の理由も聞いていないよ。だから、レオのおにーちゃんにだけじゃなくて、ぼくらにもちゃんと話してよ、オーラのおねーちゃん」
純粋なまでに彼女を信じたいという気持ちを優先する、少年ならではの真摯な言葉だった。
これには一行どころか、クレッソンすらも舌を巻いてみせる。
「なるほど、真に警戒すべきは少年の方という事か。……今回は一旦引かせてもらうとしよう」
そう言うや、男性は興味を失ったかのように瞬時に踵を返した。
「! 待ちなさい!」
慌ててアシュレイが追撃しようとするが、それを阻むように一行とクレッソンの間にはどこからともなく現れた大量の騎士達が割り込んでいた。
突然の刺客に、一行はそこで止められる事となる。
「ここまで計算付くとはね」
「何を感心してるんだよ! とっとと逃げるぞ!」
感心したスラヴィに叫ぶような声をかけ、アクセルはもしも挟み撃ちされた場合の為に先頭へと飛び出した。
逆にエマは殿を務めようと騎士達の前に飛び出し、普段よりも大きめに盾を展開する。