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三十章 秘境の楽園‐Ora‐(10)

 ベルナルダンはそれを一瞥し、視線を若干落として続けた。
「あの御方の過去は壮絶だった。《神器》であるが故の苦労は、俺にはとうてい計り知れないものだった。その時に気付いた。オルナターレ様は俺と同じ対極であると。だからこそ、護ろうと決めた。あの御方が最も信頼していらっしゃった人物は、既に彼女を傷付けるだけの存在でしかなかったのだから。……これで、満足できたか?」
 再び質問者へと目を戻し、ベルナルダンは険と僅かな挑発を伴って確認する。
 レオンスは答えなかったが、何も言わないところを見るに言うことは何も無いようだ。
 今度は、過保護な従者と彼女に恋する男との間で火花が散ったようにターヤには思えた。
「本当、恋愛っていうのは面倒なものよね」
(アシュレイも人の事は言えないと思うんだけどなぁ……)
 そんな二人を眺めながら呆れたように息を吐き出したアシュレイへと、ターヤを始めとする皆が内心でツッコミを入れたのは言うまでもない。
 そして、またしても空気があまり良くない方向に傾きかけている事に気付き、ターヤは少し慌てたように話題を変える。
「そ、そう言えば、《神器》が廻るっていうウルズの泉って、ここと同じ名前なんだね」
「あ、ああ。この場所もまたヴァルハラ樹海同様、聖域であるからな。……あの後、オリーナはここで養生する必要があったのだ」
 突然変えられた話題に驚きつつもアルテミシアは答えたが、後半では言いにくそうに言葉を濁した。一行に聞かせると言うよりかは、独り言のようだった。
 しかし、それが〔十二星座〕を裏切った後だという事は誰もが予測できていた。
「養生?」
 その言い方に引っかかるところのあったアクセルは訝しげに首を傾げるも、アルテミシアもベルナルダンも答えようとはしなかった。
 何かあると踏んだアクセルは続いてスラヴィを見たが、彼は我関せずと言う態度である。
(《神器》が聖域で養生する、な。なーんか引っかかるよなぁ)
 だが、肝心なその部分まで辿り着けず、もやもやする彼は頭を掻いた。
「その、お主達に頼みたい事があるのだ」
 すっかりと静かになってしまった空気の中、アルテミシアが振り絞るように声を出す。
 何事かと一行の視線が集えば、彼女は全員を見回しながら口を開く。
「オリーナを、助けてはもらえぬか?」
 予想外の内容に一行が驚いて言葉を失ったのは言うまでもない。
「我は、もう戦えぬ身体だからな」
 彼らの様子に気付いているのかいないのか、アルテミシアはそっとスカートに手をかけた。
 この行動に一行は何事かと面食らうも、捲り上げられたスカートの中の光景に、その事を指摘する間も無く絶句する。
 彼女の両足には幾つもの痛々しい傷跡が走っており、それらは爪痕としてくっきりと残っていた。もう決して完治する事は無いのだと、誰の目にも明らかな有様である。
「この十年で、日常生活は滞りなく行えるまでは回復したのだがな、激しく動く事はもうできぬのだ。昔の我ならば、あやつに遅れなどとらなかったものを……!」
 自嘲気味な笑みから一転、音が上がるくらい強く噛み締められた歯が、人質にされてしまった自身の不甲斐なさを悔やんでいた。
 その右肩にベルナルダンの手が置かれる。
 彼の手に左手で触れてから、アルテミシアは再度一行を見回し、そして頭を下げた。
「頼む、オリーナを助けてやってくれぬか?」
 冗談などではなく、どこまで真剣に懇願するような顔だった為、どうしたものかと一行は顔を見合わせる。
「助けてやってくれって言われてもね」
「オーラのことだから、自分で何とかしちゃいそうだとは思うけど……」
 何とも緊張感の無い様子でスラヴィが言えば、ターヤもまた困ったように同感の意を示す。
 けれども『家族』であるアルテミシアが知らない筈も無く、彼女はそうではないと首を振る。
「それは解っておる。だが、相手はあのクレッソンなのだ」
 登場した名にはアシュレイだけではなく、ターヤ達もまた反応せざるをえなかった。

「あやつは、十年前も今も、執拗にオリーナを追いつめようとしておる。《神器》としての力を利用する為に、オリーナの精神的な防衛を崩す為にな」
 アルテミシアの発言により、先刻の――そして以前ニルヴァーナとの契約の理由としてオーラが語った内容が、ターヤ達の脳内に回帰する。クレッソンが《神子》と《神器》の力を利用しようとしている、という話が。
 ここまで来れば、レオンスには彼女が何を言いたのか予想がついていた。
「つまり君は、クレッソンという男からオーラを助けてほしい、と言いたいんだな?」
 確認するように問うたレオンスに、アルテミシアはしっかりと頷いてみせる。
「ああ、その通りだ。我はもう、オリーナに二度とあのような思いをさせたくはない。だが、今の我では足手纏いにしかならぬ。故に、我はお主達に頼みたい。……頼む、オリーナを助けてやってくれ!」
 先程よりも深々とアルテミシアは頭を下げた。
「俺からも頼みたい。俺は、アルテミシア様の傍を離れる訳にはいかないのだから」
 同様に、ベルナルダンもまた首を垂れる。
 二人の主人以外の面々はあまり信用していないようであった彼がそのような態度をとった事で、一行は相手が真剣なのだと理解する。それから互いに視線を合わせたり頷き合ったりし、それから視線をアシュレイへと移した。
 その場の全員から見られる事になった彼女は、気まずそうに口をへの字に曲げる。
「な、何よ」
「いや、おまえはどうするのかと思ってよ」
 暗に後はおまえだけだと言いたげなアクセルに対し、アシュレイはふんと鼻を鳴らす。
「あたしも行くわよ。クレッソンの話を聞いたからには〔騎士団〕を放ってはおけないし……まあ、あの女の事も少しは心配してるし」
「おっ、デレが見え始めてきたみてぇだな」
 視線をあらぬ方向に向けながら頬を若干染めたアシュレイを見逃さず、アクセルが意地の悪い表情となれば、それに悪乗りするようにレオンスが彼に耳打ちするポーズをとる。
「いや、この前新しい服を買いに行った時からアシュレイは――」
「そこ! 何勝手に話そうとしてんのよ!」
 案の定、当の本人から鋭く大きな叱責が飛び、その言葉は中断させられる事となったが。
 一方、受けてくれると知ったアルテミシアとベルナルダンは、少しだけ安堵したような表情となる。そして、もう一度頭を下げてきたのだった。
「すまない、頼んだ」
「オルナターレ様を、御願いします」


 かくして一行はウルズ庭園を後にし、首都ハウプトシュタッとへと向かう事にした。無論、ターヤの呼んだニルヴァーナに乗って。
 念には念を入れて死灰の森を着地点とした彼らは、そこで作戦会議を行うことにした。勿論この場所で行うことをアシュレイは渋ったが、スラヴィが〈結界〉を張る事で妥協したのだ。
「で、どうするんだ?」
 円になるように集まった皆を見回しながら、アクセルが纏め役を買って出る。
「勿論〔騎士団〕に潜入するわよ。別に突入でも良いけど」
 機嫌があまり宜しくないのか、何ともらしくない発言をするアシュレイにアクセルは思わず呆れ顔となり、頭に手を当ててしまった。溜め息まで出てくる。
「おまえな……地味に無茶言うなよな。で、潜入するとして、どうする? 二手にでも別れるか?」
「そうだね。片方が囮役になって、もう片方が潜入すると良いと思うよ」
 スラヴィが賛同の意を見せ、皆もまた異論は無いとばかりに頷いてみせる。
 全員の意見が一致したのを確認してから、アクセルは話を進める。
「で、囮役は誰がやるんだ? 俺がやっても良いぜ?」

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