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三章 廻り出す円‐omen‐(6)

「なら、あたしやエマ様、それにあいつは、彼女に巻き込まれたって事?」
「アシュレイ」
 思わず口を突いて出てしまった言葉に、エマの静かな叱責が飛ぶ。しかし、アシュレイは敢えてそれを聞かず、思うがままに眼前の青年にぶつけた。
「それに、あんた、あいつらの――《殺戮兵器》と《死神》が一緒に居る意味を知っているんでしょう? 彼女を心配するのなら、何であの二人と引き合わせようとしたのよ? もっと安全な方法だってあるでしょうが」
「ですが、それではケテルの力は目覚めません。あくまでも必要なのは、死なない程度に危機的な状況なので」
 あくまでも笑みを絶やさず、特に感情の起伏も無く、当然の事であるかのようにリチャードは言う。
 おかしい、と脳内で叫ぶ声が聞こえた。この男は、どこか狂っている。あの少女が大事ではないのか、だから死なせてしまうかもしれなかった事を危惧しているのだろう。それだと言うのに、なぜそのような台詞を吐けるのか。
(でも、そんなふざけた案件に、あたし達は巻き込まれたのよね)
 先程感じた、やりきれない気持ちが内心を渦巻く。同時に怒りが白い少女に向きそうになるのも、先刻同様だった。
 だが、先に〔騎士団〕の二人が入った事でモンスターが奥から出てきたのなら、例えどのような状況であろうとも、自分達はあの場で仕事を成そうとしただろうし、その過程で同僚達は皆《殺戮兵器》に殺されていただろう。
 それに、そのような状況になったからこそ、眼前の男性はターヤ達を[研究所跡]に向かうよう仕向けたのだ。しかも、彼らが来なければアシュレイは一人きりでしかなく、あの二人相手に更に苦戦していたであろう事は確かだった。
 そして、実際の実行者はターヤであるとはいえ、彼女はただリチャードの計画を、知らぬ間に行わされていただけだ。彼女に当たるのは理不尽でしかない。
 だからこそ、相反する感情がないまぜになって、複雑に感じるのである。
「では、用件も済んだので、私はこれで失礼します」
 アシュレイが思考の渦に嵌まっている間に、伝えるべき事は全て話し終えたリチャードは、相手の反応を待たず、現れた時と同じく頭を下げた。
「ちょっ、待ちなさ――」
 しかし、慌ててアシュレイが手を伸ばした時には、既に青年の姿は消え去っていた。
 周囲にかけられていた時魔術も同時に効果が終わったようで、叫びかけて手を伸ばした姿勢で固まっているアシュレイに、再び動き出した人々の訝しげな視線が飛んでくる。
 それに気付き、彼女は手を下ろす。
 そうすれば人々もすぐに興味を失ったようで、意識が自分達の事に次々と戻っていき、彼女に目を向ける者は居なくなる。
 だが、すっきりとしない感覚を抱えたままのアシュレイは、憮然とした表情になっていた。
(いったいぜんたい何だっていうのよ、あの男。これだから〔PSG〕の連中は苦手なのよ。全く、この事をどうニールに報告すれば良いんだか)
 思考を巡らせた結果、最終的に彼女の中で定まったのは、あのリチャードと名乗る黄色髪の男性は信用ならない、というその一点だけだった。
 同時刻、自分が話題に上がっているとは知らず、ターヤはとある人影を追いかけて、気が付けば路地裏へと入り込んでいた。
(どこまで行ったんだろ……)
 しかし、やはり流石は暗殺ギルドの一員、簡単に追跡をさせてはくれなかった。
 その事に気を落としつつ、それでも見かけてしまったからには後を追うべきだとの思考が働き、更に奥へ、奥へと踏み入っていく。進路は殆どが勘だったが、なぜか少女は選択した道が正解であるという確信を持っていた。
 足音を立てないよう、慎重に、慎重に。まるで盗人のように摺り足で進みながら、ターヤは残り半分の神経全てを聴覚に注ぎ込んだ。

「……は……ことだ……」
「……なら……」
「……に……こくし……」
 徐々に聞こえてくる複数の声、その全てをターヤは知っていた。言葉の内容までは把握できなくとも、誰の声かを理解できるのは、ごく最近耳にした事のあるものばかりだからだろう。そのまま壁のぎりぎりまで擦り寄ると、そっとその奥に目を凝らす。
「――ああ、そうだな。確かに、それは少しばかりやり過ぎたようだ」
「気を付けてよ、オッフェンバック。君が行きすぎた行為に走れば、僕とエディがその後始末をする羽目になるんだから」
「……同感」
 路地裏の奥――開けた場所に居たのは、先刻フィナイ岬にて邂逅、戦闘になった青年――ディオニシオ・オッフェンバック、そしてロヴィン遺跡でこれまた戦闘になった〔月夜騎士団〕のフローラン・ヴェルヌとエディット・アズナブールだった。
 三人は何事かを話しているようで、現在の位置からは言葉が聞き取れる。
「図星を突かれると痛いな」
「自業自得だよ」
 笑顔は絶やさずに、しかし明らかに刺々しい声に対して、オッフェンバックは僅かに苦笑しただけだった。
「そうだな、まさにその通りだ。だが、この情報には君達も驚いてくれると思うが?」
 急に真面目な表情に転換した青年につられて、フローランの顔も引き締まる。
 エディットは綾取りの動きを止めた。
「何かな?」
 青年はもったいぶるように少し間を置いてから、その内容を告げる。
「《エスペリオ》を見つけた、と言えば良いか?」
「「!」」
 彼の言葉に、二人は驚愕の色を示した。
(えすぺりお?)
 一方、ターヤは謎の感覚を覚えるものの、その言葉が意味するところは解らなかった。
 しかし彼女など知るよしも無く、三人の話はそこから徐々に発展していく。
「それは、本当なのかな?」
「……懐疑」
 疑わしげな二人の視線を受けて、オッフェンバックは肩を竦めた。それから呆れ顔となる。
「まさか。嘘を話して何の得になる? 自分が得になる事しかしないのは、君達も知っているだろう?」
 フローランとエディットはそれを認めたのか、反論せずに押し黙った。だが、その眼はまだ強い嫌疑の光を宿しながら、青年を視界に収めている。やはり完全には信用できないとでも言いたげに。
 それにしても、と思う。確かフィナイ岬からエンペサル戻る途中でのエマの話によると、エディットとフローランは団長率いる『クレッソン派』に、オッフェンバックは副団長率いる『アンティガ派』に所属している筈だ。そして二つの派閥は、二大ギルドの関係とまではいかないものの、現在は対立状態にあると聞いた。
 だというのに、派閥が異なる三人が、人気の無いこの場所で密談を行っている理由が、ターヤにはかなり気になると同時、疑問として生じていた。
(もしかして、表向きは対立してるように見せてるけど、実は嘘だとか……? で、そうやって〔軍〕の目を欺こうとしてたりするのかな?)
 けれども、内部事情を知らない部外者に真実は推測できず、結局は解決できない得体の知れぬ靄として彼女の内に残るだけだった。その疑問を解明する為にも、三人の会話を聞き逃さないようにしながら、ターヤは同時に葛藤もしていた。

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