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三章 廻り出す円‐omen‐(11)

 リュシーは再び目を閉じる。
「……こちらには、あくまでも確証は無いのですが」
 どこか恍惚とした様子で、彼女は言った。
「想像できるかと思いますけれど、世界樹はそこから動けません。勿論、世界全体に〈マナ〉を供給するべく、根を張り巡らせているからだそうですわ。ですから、自らでは確認しきれない世界の事情を視るべく、ただ一つの存在を選ぶそうなのです。それは、動物であったり、多種族であったり……人であったり」
 うっすらと開かれた彼女の金色の双眸は、その視界にターヤをしっかりと捉えていた。
 しかし、彼女はその視線と、そこに含まれた意味のどちらにさえ少しも気付かず、話の内容を脳内で反復している。
 そして、その末に一つの言葉が浮かんだ。
「世界樹の、目……?」
「あら、御存知だったのでして?」
「え……あ、ううん! その、何となく思い浮かんだ言葉だったんだけど……」
 復習していたら勝手に思い付いた言葉だったのだが、それで正解だったようだ。
「ターヤさんの仰る通り、その存在は『世界樹の目』ですわ。大樹の代わりに世界を視て回る存在ですから。その存在が『人間』であった時、人々はその人物を《巫女》と呼ぶそうなのです」
「みこ?」
 呟きと同時に脳裏に思い返されるのは、なぜか、先程この街の路地裏にて盗聴した〔月夜騎士団〕の会話だった。彼らは確か「何かを見つけた」などという会話を交わしていた筈だ。
 恥ずかしい事に、その後の恐怖や衝撃などもあってか、その肝心の『何か』の部分をあまりよくは覚えていないのだが、どうも似たような感覚を与えられる言葉だった気がするのだ。偶然かもしれないが、それにしても一日で二回も既視感を覚える言葉を聞くのは、尋常ではないように思えた。
(エディット達も、何か、そんな感じの話をしてた気がするような……)
 いや、もしかすると、ただ単に訊き間違いを大きく捉え過ぎているのかもしれない。そうならば、これはただの杞憂だ。
 そこでふと、何も言わずにこちらを凝視するリュシーと目が合った。彼女の眼は鋭く細められ、まるでその姿を瞼の裏側に焼き付けようとしているかのように、瞬きすら無くターヤを視界に収めている。
 その視線に、再び得体の知れない悪寒に襲われる。
「あの、リュ――」
「――ターヤァ!」
 その嫌悪感を振り払うべく声をかけようとしたところで、突如として割り込んできたのは第三者の怒号だった。弾かれるようにして振り向けば、部屋の扉は開け放たれ、そこには怒り心頭という顔をしたアクセルが立っていた。
 急に現実に引き戻された気がして、慌てて立ち上がり、彼の方を向く。
「ア、アクセル!?」
 ターヤが何かしら言う前に、彼はずかずかと室内に入り込むと、彼女の頭を上から押さえ込んだ。
「てんめぇ……いきなり居なくなったと思いきや、隣の部屋で楽しそうにしやがって……! こっちはどんだけ、おまえのこと捜したと思ってんだよ!」
「ご、ごめん! ちょ、ちょっと、いろいろとあって……いたたたたっ!?」
 頭上から垂直に圧力をかけられた為、地味に痛かった。先程の頭痛もあってか、ダメージは二倍に感じられるようだ。止めてと何度も叫ぶのだが、怒気を放つアクセルには聞こえていないようだった。
「この野郎……! 部屋でこってりと絞ってやるからな!」
 彼はそう言うと、血の気の引いた彼女の首根っこを掴み、部屋の外へと向かって引きずり始めた。扉の所まで来ると、彼は一旦立ち止まって、リュシーを振り向く。その時、彼の胸中で何かが渦巻くも、本人にもそれの判別は叶わなかった。
 彼女はその様子を見ても、笑みを浮かべたままだ。
「わりぃ、邪魔したな。それと、こいつが世話になった」

「いえ、機会がありましたら、また御会いできますように」

 礼儀正しく一礼した彼女に会釈すると、先程の感覚の正体を求めて後ろ髪を引かれつつも、アクセルはターヤを連れて完全に退室し、静かに扉を閉めた。

 そして、何かを引きずるような音は、次は廊下から聞こえてきたが、すぐに止まり、一度扉の開かれる音、閉まる音がすれば、後は沈黙が訪れるだけだった。

 基本的に、宿屋は個客のプライバシーを順守すべく、隣の部屋の音はよほど耳が良くないと聞こえないような構造になっているのである。

 しかしリュシーにとっては、そのような事など、どうでも良かった。

「あぁ――」

 思わず、声が上がる。

「あぁ――」

 抑えきれない想いは、どれ程声として表しても収まる事を知らず、ますます彼女の内部で蠢く快感を活性化させるだけだった。

「ふふ――」

 指先で自身の身体を音も無く撫でれば、途端に全身をぞわりとした感覚が駆け巡る。それさえもまた、彼女にとっては自らの想いの大きさを表現する程度のものでしかなかった。

「うふふ――」

 唇が薄く線を引き、獲物を見付けた時のように音を立てる。

「みぃつけた」

 

 

「――聖下」

 とある場所――華美ではあるものの、下品ではなく清楚な装飾に彩られた広大な空間の中、一人の人物が膝を付き、深く頭を垂れていた。

 その先にあるのは、まるで玉座の如き豪奢な椅子と、そこに鎮座する一人の男性。

「どうかしましたか?」

 その人物は、自らへと跪く人物へと問う。

 彼は頭上から足元まで、金縁に飾られた白を基調とする法衣に身を包まれていた。それは聖職者の証ではあるが、数段下で跪く部下よりも威厳と高位とを体現していた。

 部下は一度肯定してから顔を上げ、本題へと入る。

「リキエル司教が、数日間程の休暇を取られたそうです」

「リキエル司教が、ですか」

 その名を聞いた瞬間、その秀麗な顔が僅かに歪む。何とも複雑な感情が、そこからは見え隠れしていた。

 部下もそれは承知しているようで、話を続ける。

「リキエル司教が動き出したという事は、我らも〔月夜騎士団〕同様、内部で二分化するのではないか、との声も上がっております」

「そうですか。報告、御苦労様です」

 労いの言葉をかけると、部下は再び深々と頭を下げ、退室していった。

 残された空間の中で、男性は静かに息を吐く。

(そうか、彼女は遂に《導師》を見付けてしまったのですね。そうでなければ、わざわざ休暇を申請する筈がありませんからね)

 瞳の奥では、相反する感情が反発し合いながらも混ざり合って複雑な状態を作り上げ、彼の内部で蠢いていた。

(となれば、私との対立は避けられませんか)

 再度、溜め息が零れた。

(ですが、幾ら神の使いとは言え、得体の知れない者にこの〔教会〕を任せる訳にはいきません)

 しかし、すぐにそこには決意の色が灯され、僅かながらに野望の色が見え隠れする。

(この〔教会〕を――世界を統べるのは、この私《教皇》なのですから)

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