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三章 廻り出す円‐omen‐(10)

「これが、現在の神話ですわ。実際のところは解りませんけれど、四神がこの世から姿を消したせいで、魔物や《闇魔》などが現れるようになったとの説もありまして」
「あびす?」
 ふむふむ、とそこまでは聞いていたターヤだったが、またも聞き慣れぬ単語が出てきた為、眉根を寄せた。
「あら、そちらも御存じなかったのですか」

 ぱちりと目を瞬かせてから、リュシーは説明してくれる。

「闇魔と言うのは、元々は人々の心の闇などから生じた霧状の存在でしたけれど、現在ではモンスターなどとして具現化する事もあるそうですわ。また、人やモンスターに取り付き、心を惑わせる事もあるとか。ですから〔聖譚教会〕では、滅すべき悪として認識されていますわ。一般的には、悪魔、と称した方が解りやすいかと。神話においても、そう表記されていますし」
「あ、なるほど」
 悪魔、と言われればイメージは湧きやすかった。
 それから〔聖譚教会〕と言う名称を聞いた事も教えてもらった事も無い気がしたが、そちらは〔軍〕同様ギルドで、名前からして宗教関係である事は察する事ができた。
「それにしても、ターヤさんは意外と無知なのですね」
「あ、うん、そうみたい、だね」
 突き刺さった痛みを、曖昧な笑みで誤魔化そうとする。
 ここにきて初めて、随分はっきりとものを言う人なのだと、ターヤはリュシーに対する認識を改めていた。
 そうとは知っているのか知らずなのか、リュシーは笑みを絶やさない。もしかすると、先程の言動も無意識のうちなのかと思えてくる程、そこから自覚の色は窺えなかった。
 そこに不鮮明な感覚を覚えるが、それよりも彼女には入りたい本題があった。
「神話を知ってるのなら、『ユグドラシル』って言葉を、聞いた事無い?」
 四人の神々の物語。そこには、彼らはこの世における全てを創った、との一文があった。ならば、名前しか知らない『ユグドラシル』もまた、その四神によって創られたものかもしれないのだ。
 そして、リチャードは『ユグドラシルの下まで辿り着け』と言っていた筈だ。ならば、それはどこかの地名を差しているのかもしれない。
「ええ、勿論存じておりますわ」
 訊き返してくるどころか、あっさりと肯定したリュシーに、ターヤは聞く相手が正しかった事を知る。無意識のうちに胸の前で両手が組まれ、表情が真剣みを帯びていく。
「えっと、わたし、今どうしても『ユグドラシル』について知りたくて……それで、リュシーの知ってる事、教えてもらえないかな?」
 理由を聞かれるかもしれない、とも思った。答えられるとは思わなかったが、不思議と問うた事を後悔はしていなかった。
 しかし、予想通りにはならなかった。
「構いませんけれど、こちらもまた、私の知る限りになってしまいましてよ?」
「ううん、それでも、聞きたいの」
「解りましたわ。まず、ターヤさんの仰る『ユグドラシル』とは、正式名称を〈世界樹ユグドラシル〉と言います」
「世界樹、ユグドラシル――」
 耳にした言葉を反芻した時、脳裏で何かが閃いた。
「……?」
 しかし、それはすぐに、どこへともなく消え失せてしまう。
 その間にも、リュシーは静かに目を伏せていた。
「そう、世界樹。それは、世界の命の源たる存在。自ら生み出す〈マナ〉により全ての命を育み、今は無き神々に代わって世界を見守る守護者。故に、知る者は、かの天へと伸びる大樹を『世界樹』と称するのですわ」
 淡々と語る彼女は、先程までとは様子が異なっていた。

 そして、彼女の語りに呼応するかのように、再びターヤの脳内を何かが駆け巡る。それは、競うように頭の中へと入り込んできた為、頭痛にも似た軽い痛みを起こし、思わず表情は歪みかけた。

(何なの、これ……)

 

『大好きだったよ、×××××』

 

『ふざけるなっ! 貴様に――何が解ると言うんだ!』

 

『本当に、愚かな人達。私なんかを簡単に信じたりして』

 

『×××××――っ!』

 

 少しずつ鮮明になって来た『何か』は、映像だった。誰かの記憶を覗き見ているかのように鮮明な、けれど名前だけは解らない、その映像。喜びも、悲しみも、怒りも、憂いも、嘆きも、全ての感情が垣間見えては、どこへともなく消えていく。

(これ、って……)

「このように、神の代理人ともされる〈世界樹〉ですから、それを狙う者も少なくはないそうですわ。ですから、そのような輩から大樹を護る者も居まして。彼ら――〔世界樹の民〕と呼ばれる者達は、大樹の周囲に〈結界〉を張って外界から隔離し、その麓に造った街――[世界樹の街]と呼ばれる場所で暮らしているそうですわ」

 彼女の異変には気付いていないのか、瞼を下ろしたまま、まるで暗記しているかのようにすらすらと言葉を紡ぐリュシーに、重たい頭を抱えながらもターヤは目を丸くした。

「どうして、そこまで解るの……?」

「過去に、偶然その場所に迷い込んだ方は、少なからずいらっしゃるのです。ですから、その方を捜し出して訊きましたもの」

 という事は、その〈結界〉も完璧なものという訳でもないようだ。幾ら大樹の守護者が張ったものだとしても、やはり何かしらの欠点が存在しているという事なのだろう。

 頭痛は、大分収まってきていた。痛み自体はそこまで酷いものではなかったが、その割には継続していたのだ。

「でも、素敵だと思いませんこと?」

「へ?」

 突如として投げかけられた言葉には、何とも間抜けな声が出た。ようやく頭痛が鳴りを潜めてきたところだったので、そちらに気が向いてしまっていたらしい。

 そして、しっかりと聞かれていたらしく、眼前にはリュシーの笑う顔。

「世界樹のことですわ。だって、命を育む大樹ですもの」

 表面上は子どものような羨望に満ちた表情だったが、その声には侵してはならない一種の真剣さが含まれていた。

「確かに、そうだね」

「でしょう?」

 途端に変化を遂げるその顔を見て、やっぱり、と密かに思う。

 どうもリュシーは、〈世界樹〉に対して強い憧れを抱いているようだ。幼子のように無邪気なまでに輝いている瞳を見れば、自ずとその事がよく理解できた。

「人は、世界樹の前では一概に平等なのですわ」

 瞳を閉じながら話していた彼女は、唐突にそれを開いた。

「けれど、もし……その『生命を育む樹』と、対等に立てる上、己が意思を持ち、自由に動き回れる存在がいらっしゃったとしたら、どうなると思いまして?」

「……そんな人が、居るの?」

 その言葉にターヤは驚いた。

 全生命の担い手たる〈世界樹〉と対等な位置に立つ事ができ、更には特定の場所に根を張っている大樹とは事なり、自らの意思で自由な移動を可能とする者――それは、まさしく《神》以外の何者でもないのではないのか。

アビス

カテドラル・イグレシア

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