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二十九章 拭えぬ過去‐Axel and‐(9)

『《鉄精霊》も、救えなかったのか』
 残念そうな彼の発言が、ぐさりと胸に突き刺さった。それでも確かにその通りだった為、《羽精霊》の時と同じくマンスは返す言葉も無い。
 けれども、今のアシヒーはそこで終わらせる事はなかった。
『だが、あいつらを……フェルマとプルーマを救おうとしてくれて、礼を言う』
「っ……!」
 その言葉で弾かれたように少年は《鋼精霊》を見上げる。同時に、堰を切ったように涙がぼろりと零れ始めていた。
「……ごめん、助けられなくて、本当にごめん……!」
 そのまま少年はモナトに寄り添われたまま、しばらく嗚咽を零していた。
 一方、《精霊使い》はその場から動けずにいた。《鉄精霊》が消滅する光景を目にし、少年の悲痛な絶叫を耳にした瞬間、頭の中が真っ白になってしまったのである。それがどうしてなのか解らなかったが、そこでふと涙を拭っていたマンスが顔を向けてきた事で目が合った。
 少年は《精霊使い》を強い憎しみの籠った眼で睨み付けるが、以前のようにそれをぶつけてくる事はしなかった。その強く握り締められた拳が、必死に怒りに耐えているのだという事実を示していた。
 そして《精霊使い》は、それにより思い出した言葉があった。

『そうやって精霊を物みたいに言わないで!』

『精霊だって生きてるんだよ!? ぼくたちと同じ命なんだよ!』

 いつだったか少年が彼へとぶつけた言葉と、つい先程ぶつけてきた言葉。その時は戯言だとばかりに聞き流してしまったが、今ならばそれは愚かな選択だったのだとよく解る。
 自身が今まで好き勝手に使役してきた人工精霊は――《羽精霊》と《鉄精霊》は、確かに生きてこの世に存在していたのだ。
(俺、は――)
 もう何も言えず、何もしたくなかった。よろりと身体が後方に動き、それを合図としたかのように足が動く。そのまま彼は逃げるように踵を返して、その場を後にした。
 誰も追ってくる事は無かった。軍人どころか、少年や《鋼精霊》すらも。
 男性に残されたのは徐々に拡大していく胸に穿たれた傷跡と、消えそうにない後悔だけだった。


「……マンス、落ち着いたか?」
 しばらく前に《精霊使い》も去ったその場所で、アクセルは膝を折って目線をなるべく合わせるようにし、労わるようにマンスへと優しく声をかけた。
 対して少年は残っていた涙をも袖でぐいぐいと拭ってから、ゆるゆると頷く。
「うん……もう、だいじょぶだから」
 明らかに大丈夫ではなさそうな少年に、モナトはへにゃりと眉尻を下げた。
『オベロンさま……』
『マンス、無理をしては駄目よ?』
『そうだ、少し休んだ方が良いだろう』
 そんな彼を諭すように《水精霊》が注意すれば、援護するかのように《火精霊》が同意する。
『おまえは充分頑張ってんだからさ、少しくらい休んだって誰も怒らねぇよ』
『そうだよ。みんなもこう言ってるんだし、ね?』
 続けて《土精霊》と《風精霊》もが宥めにかかれば、渋々といった様子で少年は頷く。
 それを見届けてから、アクセルは皆を見回した。
「この状態のマンスを連れていくのは心配だし、二手に分かれねぇか?」
「その方が良いでしょうね。あたしは、行くわ。あんたも来なさい」
 彼の提案に同意を示しから、決意を他でもない自分自身に言い聞かせるかのようにアシュレイは言った。そして彼をまっすぐに見る。

 元々そのつもりで断る理由も無かったアクセルは、内心驚きつつも了承する。
「ああ、解った。それで、他の奴らは――」
「私は、この場に残ろう」
 言い終わる前に意思表示をしたのはエマだった。
「どうやら、あまり体調が芳しくないようだからな」
 確かに彼の顔色はマンス程ではないが、誰が見ても若干悪い。
 しかしターヤは、それが身体の方ではなく精神の方の不調ではないのかと推測していた。
 どこか様子が変だとようやく気付いたらしく、心配そうにアクセルは彼へと問いかける。
「あ、ああ。けど、おまえの方こそ大丈――」
「私は大丈夫だ。何も、問題など無い」
 またしても最後までは言わせずにエマは答える。その目は、頑なにアクセルを見ようとはしていなかった。
 アシュレイは何事かを言いたげに彼を見るも、すぐ気まずそうに視線を逸らした。
 結局、カンビオに先行する事になったのはターヤとアクセルとアシュレイとスラヴィ、残って後から行く事にしたのはエマとマンスとオーラだった。未だマンスとの関係が修復まで至っていないオーラは先行組の方が良いのではないかと皆が思ったが、当の本人は頑として譲らなかった。
 かくして先行組となった四人は三人をその場に残し、小走り気味にカンビオへと向かう。
(エマもマンスもオーラも、大丈夫かな?)
 不安と心配が尽きず、ちらりとターヤは後方を窺った。三人の姿はどんどん小さくなっていたので、もうよくは見えなくなっていたが。
「エマ様なら、多分大丈夫よ」
 そんな彼女に気付いて声をかけたのはアシュレイだった。
 思わずそちらに視線を移したターヤだったが、相手は前だけを見ていた。
「あたしは、マンスとオーラを一緒に残す事の方が不安よ。あいつ、いったい何を考えてるんだか……」
 彼女の呟きに答える者は居ない。誰もオーラの意図など解らないからだ。
 そのままカンビオに辿り着けば、特に襲撃された様子も戦闘が行われている様子も見受けられなかった。ただし〔屋形船〕が警戒を促したのか、街中に漂う空気はどこか重くぴりぴりしている。四人の方をすばやく険しい顔で向くも、軍人ではないらしいと判断してすぐに表情を和らげる者も居た。
「酒場まで行けば、エスコフィエとは会えるの?」
「そうだと良いけど……」
 スラヴィに問いかけられるも、無論知っている筈も無いターヤは曖昧に答えるしかない。
「とにかく、行ってみようぜ」
 尤もな言葉と共に先頭となってその方向に向かおうとしたアクセルだったが、即座に足と動きを止めた。
 どうしたのかとターヤはその視線の先を追うも、案の定よく解らない。
 しかしアシュレイとスラヴィもまた、何かに気付いたらしく彼に倣っていた。
 ここまで来れば、ターヤにも彼らが何に気付いたのか判断できた。どうやらレオンスがこちらに向かっている事を、三人は気配から読み取っていたようだ。
 そしてその通り、数秒と経たないうちに街の奥から二つの人影が出てきた。一つはよく見知った青年のもので、もう一つは見た事のある少女のものだ。
「レオン……と、ファニー?」
「やっぱりな、君達だったのか」
 以前メイジェルが口にしていた名前を記憶の奥から引っ張り出しながら、こてんとターヤが首を傾げたところで、近くまで来たレオンスの方から一行へと声をかけてきた。
 その後ろに隠れるかのようにファニーもついてくる。
「その様子だと、ここはまだ大丈夫みたいね」
「ああ、まだ〔軍〕は来ていなかったよ。ただ、街の人達も耳に挟んだらしくてかなり不安がっているから、皆には充分警戒するように言い聞かせたけどな」
 やはりそうだったのか、とターヤは再び周囲を見回す。レオンス達が現れたからか、先程よりも人々の様子も空気も落ち着いている。この街で〔盗賊達の屋形船〕がどれ程慕われているのか、彼女は何となく察せた気がした。

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