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二十九章 拭えぬ過去‐Axel and‐(8)

「モナトっ!」
『はいっ!』
 そこにすかさず少年の声が響き、何もない場所から突然現れた白猫が、そのひび目がけて思いきり体当たりを食らわせる。それが駄目押しとなってひび割れは一気に加速し、瞬く間に防御魔術は粉々に砕けていた。硝子の如くその破片が光を反射して、周囲に光をばらまく。
 そして、無防備になった《精霊使い》の間合いにはアシュレイが入り込んでいた。
「っ――」
 反射的に身構えようと、ブレスレットを庇おうとする《精霊使い》だったが、それはオーラが許そうとはしなかった。
 その直後、レイピアの切っ先が的確にブレスレットのコアに突き刺さる。アシュレイはそれを瞬時に抜き取るも、その〈精霊壺〉には傷跡を中心として幾つものひびが入っていた。それはそのまま地割れの如く急速に進行していき、最後は全体に回ったかと思いきや、音を立ててそれ自体を崩壊へと導く。
「……!」
 それを目にした《精霊使い》の普段よりは開いている瞼が、更に大きく見開かれた。
 次の瞬間、そこから最初と同じく鈍色の光が飛び出す。それがアルマジロの姿を形作るまでは一緒だったが、顕れた《鉄精霊》は上空から《精霊使い》を見下ろす。その瞳は、実に冷え切っていた。
『……覚悟は、できているな?』
 低い声がその口から流れ出る。それまで溜め込まれた怒りが暴発しないよう、必死に抑えているかのようだった。
 男性は何も言わない。呆然と眼前に迫る死を見上げているだけだ。
「待って、フェルマ」
 だが、それを制止する声があった。
 アルマジロが鬱陶しげに視線を寄越した先に居たのは、一人の少年だった。
『何だ、君は。それに、何だ、その呼び方は』
「ぼくはマンスールっていうんだ。フェルマっていうのは君の名前だよ。『鉄精霊』って意味なんだ」
 邪魔だと言わんばかりに扱われても、マンスは笑みを浮かべたままだった。
『君は、なぜ我の邪魔をする?』
「後できっと後悔するからだよ。精霊も人も同じ命だから、そのおにーちゃんを殺したら、きっといつかフェルマは後悔するからだよ。それに、ぼくは精霊に人殺しなんてさせたくない」
 確信を持った声だった。
 対して《鉄精霊》は胡乱げな表情から驚きの表情へと転じる。
『この我を、精霊として扱うのか……』
「ぼくには、精霊も人工精霊も同じだから。それに、人と精霊は友だちになれるよ。……ね、モナト?」
『はい、オベロンさま!』
 少年が左肩に視線を向けた瞬間、そこにはどこからともなく白猫が現れていた。
 アルマジロの驚きは更に増す。
『君は……《月精霊》か』
『はい、モナトもあなたと同じ人工精霊です。でも、今はマンスールさまの、オベロンさまの……と、友だちです!』
 最後の部分だけは口にするのが烏滸がましくもあり恥ずかしかったようだが、それでもマンスの優しい眼差しに背中を押されたモナトは堂々と言ってみせた。
 それを目にした《鉄精霊》の驚きは治まらない。
『人工精霊が、人と……』
『だって、その子は……いいえ、マンスールは、あたし達が認めた王の器ですもの』
 唐突に第三者の声が割り込んできたかと思いきや、マンスの上空にはいつの間にか四精霊が全員姿を顕していた。
 これには《鉄精霊》だけでなくマンスですらも驚く。
「ウンディーネ! みんなまで……」

『ありがたく思えよ、マンス。おまえがそいつを説得したいみたいだったからな、おまえが時期《精霊王》候補だって事を示しに来てやったんだよ』
 少しばかり上から目線な物言いの《土精霊》だったが、彼らが本当に自分を認めてくれているのだと今になってようやく実感が湧いてきたようで、マンスは頬を綻ばせた。
 そして《鉄精霊》は、呆然と《精霊女王》の側近を眺めていた。
『四精霊までもが……そうか、君が、次の――』
 しかし、そこで言葉は不自然なまでに途切れる。
 何事かとそちらに視線を戻した皆が目にしたのは、全身が薄く透け始めているアルマジロの姿だった。その巨体が、ゆっくりと下降してくる。
「フェルマっ……!」
 慌ててマンスは駆け寄るが、地に伏している筈のその身体には、既に思うように触れる事すら叶わない。まるで立体映像の如く、手を伸ばしてもすり抜けてしまうだけだった。加えて、その身体は端から徐々に分解されて光の粒子と化し、天へと向かって昇っていた。
『〈マナ〉の乖離が始まってしまったか……』
「!」
 苦々しげに《火精霊》が零した言葉で、少年の瞳が限界まで見開かれた。
「そんな……何とかできないの!?」
『乖離が始まっちゃうと……もう、わたし達にだって、どうしようもないよ。タイターニア様なら、何とかできるかもしれないけど……』
『けど、あの方は今は自分のことだけでもいっぱいいっぱいなんだ。これ以上、無理をさせられるかよ……!』
 今にも泣き出しそうな表情で胸元を抑えながら《風精霊》は、震える声で残酷な事実を突き付ける。その最後の言葉が一縷の望みになるかと思いきや、それは他の四精霊が許諾しなかった。
 モナトは、その大きな瞳からぼろぼろと涙を零していた。
 精霊達からそう言われてしまえば、マンスは途方に暮れるしかない。抱き続けたままのわだかまりも忘れて思わず縋るようにオーラを見るが、彼女もまた申し訳なさそうに目を伏せて首を横に振るだけだ。《神器》にすら、どうにもできない状況だったのだ。
 そうなればもう誰にもどうする事もできず、彼らはただ何もできない無力さに打ち震えながら眼前の光景を見ている事しかできない。
「そんな……だって、まだここに居るのに……何で、それなのに助けられないの……?」
 絶望に打ちひしがれたような顔で、呆然とマンスが呟く。
 そんな少年へと、アルマジロは初めて微笑んでみせた。
『その心だけで、我は充分です』
「フェルマ……」
『最後に、君に出逢えてよかった。後を頼みます、我が王よ――』
 それが、《鉄精霊フェルマ》の最期の言葉だった。
 次の瞬間アルマジロは〈マナ〉へと完全に乖離し、無数の粒に霧散して天へと昇っていく。
「フェルマっ……!」
 マンスは反射的に手を伸ばすが、その手はただ空を掴むだけだった。その瞳が再び限界まで見開かれ、全身が小刻みに戦慄き始める。
「……あ……ああ――あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 その小さな口から、大きな絶叫が飛び出した。
 彼に言葉をかけたくても何一つとして適切なものが思い浮かばず、一行も精霊も黙ったままでいるしかない。
『……マンスール』
 その空気を、一つの声が割った。
 重力に従うかのように首を下げ、だるそうに横を見た少年の瞳に映ったのは、いつの間にか傍まで来ていた《鋼精霊》だった。
「アシヒー……」

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