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二十九章 拭えぬ過去‐Axel and‐(6)

「師匠……」
 救いを見つけたかのようにアクセルは顔を明るくし、
「ところで、貴君に良い人は見つかったのか?」
 いきなり急激に変化した調子で続けられた言葉に、思わずぶふぉっと吐き出してしまった。
「しっ、師匠!?」
「何だ、まだなのか。いつまでも初心な奴であるな」
 顔を真っ赤にして口元を腕で隠さんばかりの反応は芳しくなかったようで、途端にキュカはつまらなさそうな顔になる。
 しかし、アクセルはその発言に反論するかのように口を開こうとする。
「い、いや……お、俺は……」
 ちらりとその視線を向けられ、アシュレイは思わず後退しかけた。エマに向けていた意識も全て吹き飛ばされるくらいに動揺してしまった。
 だが、それらを目にしたキュカの表情が瞬く間に元に戻ったのは言うまでもない。
「何だ、居るのならばさっさと言わぬか。貴君が早く言わない為に無駄な心配をしてしまうところであったであろう」
「えっ、あっ、いや、俺達はまだ……」
「そ、そうよ! あたしはまだ、別に……」
 二人はしどろもどろになって弁解しようとしながら、互いの様子を窺うかのように視線を向け合う。しかしそれがばっちりと合ってしまった為、同時にすばやく逸らした。
「まだ、と言う事は、いずれそうなる間柄なのであろう?」
 益々その様子を興味深そうに眺めるキュカである。
 そしてその反応から、それまでの二人の様子と合わせて、ようやくターヤは確信を持てた。
(やっぱり、アクセルとアシュレイはお互いが『特別』なんだなぁ。エマに対するアシュレイの気持ちは何だかちょっと演技っぽいところもあったような気がするし、どっちかと言えば尊敬って感じだったけど、アクセルに対してはそのままの自分って感じみたいだし)
 これが恋なのか、とその方面については疎い少女も何となく理解できた。
(それにしても、この二人、意外と年が離れてたような……ん?)
 けれども、そこでふとターヤは引っかかる点があった。そう言えば以前、アクセルはターヤとそうなる事に関しては『面妖な趣味』などと言ってなかっただろうか。確かにアシュレイの方が大人びてはいるが、一応彼女の方が年下なのだが。そこに関してのみもの凄く納得のいかなかった彼女は、とりあえず彼を睨み付けておいた。
 当の本人はその視線を察知してぞわりと背筋に悪寒を走らせていたが、それが誰のものなのかまでは気付けていないようだった。
 と、そこでターヤはエマのことを思い出した。場に生じた甘い雰囲気にすっかりと飲まれてしまうところだったと自身を少しだけ咎め、そっと扉の方を窺ってみる。
 彼は、背後に背を預けるようにしてその場に立ち尽くしていた。その顔は俯き気味になっていたのでちょうど前髪の陰になってしまっており、今はどのような目をしているのかまでは判らない。
 だが、どうしてかターヤには彼が独りに思えた。皆には気付かれないようにそっと椅子から立ち上がり、彼の方へと向かう。
「……エマ?」
 そろりと手を伸ばした瞬間、それを掴まれた。え、と声を上げる間もなくそれを引かれ、重力に従ってその胸部に顔から飛び込んでしまう。背中に何かが回ってきた感触があった。何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
(……わたし、エマに……抱き締められてるの?)
 真っ白になりかけた思考のまま、何とか現状を推測してみる。そしてその予想に行き着いた瞬間、ターヤはぼっと顔から湯気を発生させた。
「エ、エマ!?」
 反射的に逃げ出そうと身を捩りながら名を呼ぶも、相手からの反応は無い。寧ろ、腕の締め付けが更に強さを増しただけだった。

「エマ……?」
 抱き締められたという衝撃ですっかりと忘れかけていたが、今のエマは様子がおかしいのだという事をターヤは思い出す。その理由までは察せなかったが、このまま彼の好きにさせていた方が良いのかもしれないと、そう思った。
 この辺りで二人の様子に気付いたアシュレイは驚きに目を見張り、マンスはぱちぱちと大きく見開いた目を瞬かせ、スラヴィは聞こえない程度にひゅうと口笛を吹き、キュカは更なる獲物を発見したような目付きになるも、弟子が相手ではないので何も言わない。
 そして、アクセルは思わず照れ隠しに彼らを弄ろうと口を開きかけたが、それを見越していたオーラが先手を打っていた。
「ところで、御一つ御伺いしたいのですが宜しいでしょうか、スティヴァレッティさん?」
「何だ? 小官に回答できる範囲で頼みたいのだが」
 向けられた声色から真剣な色を読み取り、キュカもまた真面目な顔付きへと転じる。
「現在、〔軍〕が他のギルドに侵攻しているという事態は御存じですか?」
 さっとアシュレイが顔色を変えた。
「なるほど、その事か。昨日の事であるから、当学院内においても既に結構な話題となっている。まだ有名なギルドは襲われてはいないようだが、小さなギルドは次々と襲撃されているようだ」
「それって、全部〔ヨルムンガンド同盟〕のだよね?」
「聞くところによればそうらしい。しかし〔同盟〕の要且つ戦力でもある〔軍〕がこのような凶行に走るとは、今までのように〔同盟〕が対処に当たるという事は不可能だろうな」
 頷きを返されたスラヴィは顔色こそ変えなかったものの、一行全員を見渡した。
 現在の体勢故に後方を振り返る事は叶わなかったターヤも、なるべく耳はそちらへと傾ける。
「やっぱり、俺達もエスコフィエのところに行った方が良いんじゃないかな?」
「そうね。ちゃんと……向き合った方が、良いわよね」
 スラヴィの提案には、誰よりも先にアシュレイが同意してみせた。その口元が引き結ばれる。
「じゃあ、里まで戻る? もしかしたら、おにーちゃんから伝言が来てるかもしれないし」
「いえ、そのままカンビオに向かった方が宜しいかと思われます。レオンスさんもあの御様子ですとすぐには戻られないでしょうし、〔軍〕が次に彼らを狙わないとも限りません」
 マンスの提案はすっぱりと切らさせてもらい、オーラは最善と思える新たな案を掲げてみせた。
 案の定少年は不満そうに剥れたものの、彼女の頭は認めているので文句は飲み込む。
 今後の方針が固まったところで、アクセルはキュカを振り返った。
「師匠、来てすぐにで悪いけど……」
「うむ、行くのだろう。ならば好きなようにすれば良い。貴君はもう子どもではないのだからな。だが、またいつでも帰ってくると良い」
「……はいっ!」
 気にした様子も無く大人の余裕を見せる師匠へと、嬉しそうに弟子は頷いてみせる。
 それと同時に、ターヤもまたエマの背中をぽんぽんと軽く叩いてみた。すると、ややあって彼女の背中に回されていた腕がゆるりと動き、拘束が解ける。そうしてようやく目にする事のできたエマの顔は、ひどく複雑そうに歪められていた。
「エマ、大丈夫?」
 答える声は無かったが、彼は小さく首を縦に振ってみせる。
 ひとまずその事に安堵したところで、こちらに視線を寄越していたアシュレイと目が合った。彼女は気まずそうな表情になるも、ターヤへと一度頷いてみせる。まるでエマを頼むと言わんばかりの動作であった。
 全員が揃ったところで、一行はキュカの用意してくれたゲートを通ってカンビオの傍まで直行する事にした。
「アクセル」
 その直前で、アクセルは名を呼ばれて振り返る。
「焦るでないぞ」
 ほんの少しの心配と不安とが含まれた、師匠からの忠告の言葉だった。ゆっくりと思い出せば良いと、そう言ってくれていた。

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