The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
二十九章 拭えぬ過去‐Axel and‐(5)
「ああ、私は大丈夫だ。すまない、ターヤ」
しかし、彼は申し訳なさそうに微笑み返すだけだった。
正直なところ大丈夫なようには見えなかったが、本人にそうも念を押すように強く言われてしまっては追及もできず、ターヤは黙って椅子に戻るしかない。なぜか、また頬が熱を持ちそうになった気がした。
その話題が一段落ついたところを見計らってから、アクセルはキュカへと問う。
「そう言えば師匠、何で俺が来たのが解ったんですか?」
「貴君は、小官が昔に渡した御守りをまだ持っているであろう? そこには術式が刻まれており、貴君が近付いてくると小官には解るようになっているのだ。貴君のことだ、いつか小官を訪ねる用事があるかもしれないと思っていた」
「師匠……!」
感極まったようにアクセルが両目を輝かせる。それはマンスくらいの年頃の少年のようでもあった。敬語と合わせて違和感ばりばりの彼に、現役の少年が若干引きかけたのは言うまでもない。
けれどもアシュレイは、そんな彼を呆然と、どこか惚けたような表情で見ていた。だがすぐに我に返ったように気付き、慌てて首を激しく横に振り、頬を限界まで引っ張る事で振り払おうとする。
そんな彼女と、そしてもう一人の彼女を、オーラは優しい面差しで眺めていた。
「それで、今回小官を訪ねた用は何だ? 貴君のことだ、懐かしいなどという感情でこの場所には戻ってこまい」
今までは散々脇道に逸れていた話題を、ここでようやくキュカは軌道上に戻してやる。
そうすればアクセルの面もまた緊張で引き締まり、僅かに強張る。躊躇しながらもゆっくりと、その口が本題を紡ぎ始めた。
「その、師匠は、ここに居た時の俺のこと、全部知ってますよね?」
「ああ、小官は稀代の落第生である貴君を押し付けられたようなものだからな、ほぼ最初から知っている。だが、今更小官に何を訊きたいと言うのだ?」
言葉だけならば貶しているようでもあったが、彼女の声にはそのような意図など微塵も無い。
だからこそ、アクセルは彼女を師匠として心から尊敬していた。
「その……俺、最近、よく同じ夢を見るんです」
「同じ夢だと?」
「はい。これまではおぼろげだったんですけど、昨日はやけに鮮明で……」
ぴくりと扉の前に立つエマが僅かに反応を示したのを、密かに彼の方を窺っていたターヤは見逃さなかった。
同じく、アシュレイもまた。
一方、キュカは弟子の言葉からまさかと思い立つものがあったものの、まだ確信は持てないので更なる質問を投げかける。
「それで、それはどのような夢なのだ?」
直球なその質問には、すぐには答えは返ってはこなかった。
「……俺が、誰かを、殺す夢なんです」
躊躇った末に、ようやくアクセルは今にも消えそうな声で答える。
一瞬アストライオスの件かと思ったが、それにしては彼の様子がおかしい。その話題の時に必ずと言って良い程浮かべている達観したようなものではなく、見えない何かに押しつぶされそうな不安めいた様子だからだ。
「けど、アストライオスの時のじゃない。夢の中の俺は……ここに居た頃の、昔の俺なんです。その俺が、血塗れの誰かを見下ろして、ただ茫然と……愕然と、震えながら、その名前を呼んでるんです……」
自分は過去にも、誰かをその手にかけていたのかもしれない。それが今、アクセルが抱えている不安だった。
「……師匠!」
弾かれたように顔を上げ、アクセルはキュカへと縋り付こうとする。
「俺……俺、何をしたんですか?」
今にも狂ってしまう寸前かのような笑みで、弟子は師匠へと必死に問いかける。答えを求めて、唯一の頼みの綱である彼女へと。
キュカはそのような彼に驚くも、すぐにとある一つの可能性を思い浮かべた。
「貴君は今から小官の問いに答えろ。反論は認めない、良いな? ……まず、貴君は調停者一族の者として、ここに特別入学をしてきたな?」
「は、はい……」
いきなり何を言い出すのかとアクセルは困惑するも、彼女は無意味な事も無駄な事もしないのだと思い出し、とにかく言う通りにしようと向けられた問いに答える。
すると、すぐにキュカは次に移った。
「だが、すぐに魔術の才が皆無だと解るも、調停者一族故に退学にはさせられず、厄介払いのような形で小官の許に来た」
「はい」
一々区切ってアクセルの答えを待つキュカは、まるで彼に過去を思い返させているかのようでもあった。
「貴君は何とか魔術が使えるようになりたいと私に請い、小官はその気概を見込んで貴君を弟子とした」
「はい」
図らずとも彼の過去を聞いてしまう形となった一行は、ただ困惑するしかない。
「だが、貴君は一向に魔術を扱えるようにはならなかった。その事で、裏では苛められる事もあったようだな。だが、小官は精神的に弱い貴君が強くなる好機だと捉え、あまり介入する事はしなかった」
「……はい」
嫌な事を思い出したかのように、返事の時期と速度が鈍る。
彼に対する苛めを積極的に止めようとしなかった事を今では少なからず悔いているようで、キュカもまた苦しげに眉根を寄せていた。
「そんな時、御前は一人の少年と出会ったな?」
「え……は、はい」
最も歯切れの悪い返事だった。
そこでついに気になって視線を動かしたターヤは、見てしまった。
昨夜と同じ冷えきった目付きで――怖いくらいの無表情で、ただ一点のみを見ているエマを。
「彼のことを、覚えているか?」
「い、いえ……あまり、覚えていないです」
再度、エマが僅かに反応を示したのをターヤは見逃さなかった。
「貴君はその少年と親しくなり、親友となったが……ある日、事件が起こった。貴君が、ここを自主退学した日だ」
この発言に思い当たりがあるのかアクセルは何事かを言いかけて、けれど、それが何であるか解らないかのように呆然とした表情になる。無意識下での行動のようだった。
ここでようやくキュカは自身の予測が正解であったと知ると同時、驚愕すら覚えた。
「覚えて、いないのか?」
自分でも珍しく呆然とした声が出たと思った。それでも、そう問わずにはいられなかった。
「あ、ああ……師匠……いったい、あの日、何があったんですか? 俺は……いったい、何をしたんですか?」
それはアクセルも同じ事だったが、途方に暮れたような顔で縋るように彼はキュカへと再び問いかける。その時の記憶が、彼の頭の中からはすっぽりと抜け落ちていたのだ。
しかし、彼女はゆっくりと『師匠』としての厳しい顔付きへと転じるだけだった。
「あの日の事は、自分で思い出せ。それが貴君のけじめだ」
その言葉にアクセルは思わず顔を俯ける。未だ何一つとして思い出せてはいないが、彼女にそう言われるという事は、自分に何かしらの非があるのだろうと理解したからだ。
「とは言え、幾ら考えても思い出せなかったのならば、最終的に小官を頼る事は認めよう」
だが、続けて発された内容には思わず顔を持ち上げた。
決して甘やかしすぎる事は無く、けれども過度に突き放す事も無い。キュカ・スティヴァレッティはそういう人間だった。