The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
二十九章 拭えぬ過去‐Axel and‐(4)
その声に弾かれるように、一行と門番が見た先――ゲートから出てきたのは、一人の女性だった。栗色の短髪に、長身で筋肉質で引き締まった身体と、実に体格の良い女性である。
彼女を目にした瞬間、アクセルが驚き声を上げる。
「師匠!」
「教官と呼べ! ……全く、いつまで経っても貴君はその呼び方を直さないな」
鋭く叱責にも似た訂正の声を上げてから、その女性は呆れたように小さく息を吐き出した。
そのやり取りから知り合いである事を感知したらしく、すっかりとばつが悪そうな顔で丁寧さを身に纏った門番達が、恐る恐る女性へと問いかける。
「あ、あの、スティヴァレッティ殿、この方々は……?」
「ああ、小官の不肖の弟子と、その友人達だ」
「「しっ、失礼しましたぁ!」」
「いや、貴君らは自身の職務をこなしただけだ。悪いのは、何の連絡も無く唐突に訪れる我が不肖の弟子だからな」
きっと鋭い視線を一直線に向けられて、思わずアクセルは後退しかけた。図星なので反論の言葉も無い。
逆に、その言葉に安堵しかけた門番達だったが、その後には続く言葉があった。
「とは言え、貴君らの態度はいささか横柄すぎる。次からはもう少し態度を改めるように」
「「は、はいっ!」」
険しい目付きで指摘された門番達は、弾かれるように背筋をぴんと伸ばして気を付けの姿勢をとる。
「「では、どうぞお通りください!」」
それから一行へと向かって、と言うよりは女性に対して過剰なまでにきっちりと敬礼した。
彼らの変わりように驚いたり呆れたりしつつも、許可を貰った一行は女性の後に続きゲートを通る。瞬間、不安定な場所を通るかのような感覚になり、ぴりっと電流のようなものが走った気もしたが、それも一瞬の事だった。
そして、すぐに視界に入ってきた光景にターヤは目を奪われた。
「ここが、魔導術学院クレプスクルム……」
一行の眼前に広がったのは、他とは異なる光景だった。崖に段々に建てられている家々、その頂上にそびえ立つ城、そしてその周囲を飛び回る人々と、各所から発される炎や水などのさまざまな現象。
それらはターヤの目には、この世のものではないかのような幻想的なものとして映る。
(……何か、まるで前に呼んだ本の舞台みたい)
ぼんやりとそう思ったところで、はっと我に返った。
(今のって、もしかして元の世界での――)
ゆっくりと、だが着実に、少女は自身の記憶を取り戻し始めていた。
ターヤがそのような思考になっているとは露知らず、一行もまた、その殆どが眼前の光景に視界と意識を占拠されていた。
「高い技量を持つ術師《職業》が集まっているだけあって、なかなかに他では見る事のできぬ光景であろう?」
呆気にとられた顔をしている彼らを振り返り、したり顔で女性が問いかける。
そんな女性に対しては、アシュレイが普段通り不審の眼差しを向ける。
「で、あんたは誰な訳?」
「ああ、すまない、自己紹介が遅れたな。小官はキュカ・スティヴァレッティと言う。この学院の一教師にして、そこの愚か者の教官に当たる」
さりげないどころか堂々と弟子を貶すキュカへと、アクセルが遠慮がちに催促を入れる。ただし、これ以上けちょんけちょんに言われないようにしている訳ではなさそうだった。
「師匠、その……」
「ふむ、そうであるな」
最後まで言わずとも言いたいことは解るとばかりに途切れた話に首肯し、キュカは懐に手を入れて何かを取り出した。それを操作しながら、彼女はなるべく一行に一か所に集まるよう告げる。
皆がそれに従うとキュカもまた近付き、そして手中の何かを操作した。
瞬間、先程のゲートを通るかのような感覚を覚えると同時、周囲の景色が一変していた。先程までは外だった光景が、今はとある扉の前になっている。
思わずターヤは四方八方へと視線を巡らす。左右は通路、背後は壁だった。
「これって……」
「空間を渡る魔道具〈空間渡り〉だ。距離に限界はあるが、術など一つも使用できない小官にはとても重宝している」
「なら、何でここに居るのよ? 術師じゃないのに、ここの教師になれる訳?」
恥ずかしげも無く堂々と言ってみせたキュカに対し、驚きつつも呆れたようにアシュレイが紡いだのは、この場に居る誰もが尤もだと思える内容だった。
まさか、術師の聖地たる場所に術の使えない教師が居るとは、誰も思いもしないだろう。
「それは、小官がここでは運動の分野を受け持っているからだ。術師と言うのは、いかんせん体力にも腕力にも持久力にも欠ける者ばかりだからな、私が鍛えてやらねばならぬのだ」
「師匠は術はいっさい使えねぇけど、生身なら誰にも負けねぇと思うぜ?」
相変わらず堂々と言ってのけるキュカを、アクセルがどこか自慢げにフォローすれば、マンスが訝しげな顔になる。
「運動? 術師の学校なのに?」
「ああ、何でも術師だからこそ体力が必要だ何だって言われてな……やらされたよ」
思い返すように言ううちに、いつの間にかアクセルの表情は悟りの領域に達していた。
それを見た皆は凄絶なものだったのだろうと察し、思わず後ろに引きかける。
「術師だからこそ、最低限、自分の身は自分で護らねばならないという事だ。ところで、その様子からするに、貴君は鍛錬は欠かしていないようだな」
「そりゃ勿論、師匠の教えですから」
「では、どれ程成長したか確認するとしよう。ちょうど小官も戦いたくて堪らないものでな」
急にそのような事を言い出したかと思えば、キュカは戦闘態勢へと移行した。
これにはアクセルが驚愕すると同時に慌て出し、彼女を止めにかかる。
「ストップ! それは後でも良いですよね師匠!? それにこんな所で師匠が戦ったら、学院が崩壊しますって!」
「冗談だ。流石の小官も、そこについては心得ている」
皆はアクセルの発言には目を丸くしつつ、表情一つ変えずに淡々と返すキュカには唖然とする。
そしてターヤは、アクセルが時おり覗かせる戦闘狂のような一面は、彼女の影響なのではないかと思い始めていた。
そんな彼らを眺めつつ、キュカは手前の扉のドアノブを掴む。その直後、耳が拾うか拾わないか程度の小さな音が鳴り、続けてぱかりと自動で扉が開いた。
「「おぉ……」」
「ここにも魔術が使われてるの?」
ターヤとマンスは感嘆の声を上げ、スラヴィがキュカへと問い、彼女が頷く。
「そうだ。この学院では、至る所で魔術や魔道具が使用されている。さあ、入ると良い」
流石は魔導術学院、と感嘆したまま、ターヤは彼女と皆に続いて室内に足を踏み入れる。
そこはキュカのイメージに違わぬ、殺風景で地味で必要最低限の物しか置かれていない場所だった。その部屋の主はある分だけ椅子を集めてくる訳でもなく、椅子でもベッドでも好きな場所に腰を下ろすよう促す。
どうしたものかと目を合わせた結果、ターヤとマンスは椅子を借り、スラヴィとオーラはベッドに腰かけ、アシュレイはいつものように壁に背を預け、アクセルはキュカの近くに立つ。
「……エマ?」
椅子に座ろうとして、そこでターヤは彼が扉の前に立ち尽くしている事に気付いた。そう言えば、ここに来てから彼は一言も口を開いていなかった事にとも。
同じく無言を貫いているオーラは口を挟んだり挟まなかったりと気紛れなので気にはならないが、彼が何も言わないというのは実に珍しい。
昨夜と先程の事もあって気になった彼女は、座るのを一旦止めてそっと近付いていく。
アシュレイもまた動こうとして、しかし彼女に任せるかのように踏み止まった。
「エマ、どうし――」
言い終わる前に、左肩を掴まれて勢い良く遠ざけられる。声も上げられなかった。
そこで彼は、ようやく意識が現実に戻ったかのように目を見開く。それから慌ててターヤから手を離し、申し訳なさそうに目を逸らす。
「あ……すまない」
「あ……う、ううん! エマこそ、大丈夫?」
なぜか熱くなりかけた顔を元に戻すべく、何でもないふうを装ってターヤは逆に問いかける。