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二十九章 拭えぬ過去‐Axel and‐(3)

 しかし、そちらよりも、アクセルがクレプスクルムに戻りたい理由の方が今のターヤは気になっていた。確か出会った頃、彼は自らクレプスクルムに属していたと明かしたが、あまり良い思い出は無かったかのような顔をしていた気がする。
 だからこそ、今回の彼の希望が解せないターヤであった。
「ねぇ、おねーちゃん」
 と、そこでターヤはマンスから声をかけられた。彼はなるべく声を潜めて耳打ちしてくる。
「何で赤はクレプスクルムに行きたいの? だって、あそこって術系統の〈職業〉の人が行く学校だよね?」
 そう言えば彼は知らなかったのだと思い出すも、本人の許可も取らずに話して良いものなのかとターヤは迷う。
「ああ、俺、昔はあそこに居たんだよ」
 だが、回答は思ってもいないところから飛んできた。当のアクセル本人である。
 えっ、とマンスが素っ頓狂な声を上げたのは言うまでもない。やはりアクセルと術を結び付けてイメージできないのは、何もターヤだけではなかったのだ。
「俺が調停者一族だってのは知ってるだろ? だけど、俺は光属性どころか魔術の一つすら使えねぇ出来損ないだったからな、それを何とかしたくて、ガキの頃にクレプスクルムに通ってた事があったんだよ」
 自嘲を含んだ声に、マンスは返す言葉も思い付かないらしく何も言えない。
「でも、あそこは入るのにも厳しい試験が必要だって聞いたけど?」
 不思議そうにスラヴィが首を傾げれば、途端にアクセルがぎくりという効果音が聞こえてきそうなくらいの硬直を見せた。それから気まずそうに続ける。
「あー……それな、調停者一族だって身元を明かしたら、試験は無しにしてくれたんだよ」
 瞬間、彼に述べ十つ以上もの視線が突き刺さった。それはもう、ぐさりという音が聞こえてきそうなくらいに鋭いものばかりだ。
「アクセル……」
「赤……」
「あんた……」
「貴様という奴は……」
「いや、別に、当時の俺はそんなきたねぇ事は考えてなかったからな!? ついついそう名乗っちまったら、あっちが勝手にそうしただけだからな!?」
 慌てて彼は補足と言う名の訂正を入れるが、アシュレイとスラヴィが図ったかの如く互いに顔を寄せ合い、こそこそと聞こえる声でこれ見よがしに言う。
「当時、って事は、今ならそうする気まんまんって事よね?」
「トリフォノフって、やっぱりそういう人だったんだね」
「ちょっと待てよおまえら俺で遊んでんだろふざけんなー!」
 明らかにアクセルで遊ぼうとしているこの二人に、当の本人がぶち切れたのは言うまでも無なかった。
「あらあら、楽しそうですね」
「何をどう見たらそうなるんだよ!? いや、俺以外は楽しいんだろうけどよ!」
 そこにオーラまでもが茶々を入れるものだから、益々アクセルの怒りは上昇していく。
『あら、相変わらず楽しそうですね』
「そうだね。何だかんだ言って、アクセルも本気で嫌な訳じゃなさそうだし」
 自身の背中で繰り広げられる喧騒に呆れた様子は見せつつも、ニルヴァーナは嫌がる様子は見せなかった。悠々と飛び続けている。
 どちらかと言えば彼女も弄る側みたいだからな、と思いながらターヤは同意する。
(そう言えば、エマは……)
 つい先程は皆と共にアクセルを弄っていたのだが、昨夜の事があるからかふと彼のことが気になって、そろりとそちらへ視線を移す。
「……!」
 その顔は、蒼かった。それは徐々に良くなるどころか、次第に悪化しているように見受けられた。まるで、今から行く場所に対してあまり良い感情を抱いていないかのように。
 声をかけるべきなのか、と思わず手を伸ばしかけた時だった。

「おっ、見えてきたぜ、あれだ」
 アクセルの声が上がり、皆の意識がつられるようにしてそちらへと向く。
「わぁ……」
 エマのことも一旦頭から吹き飛ぶくらい、ターヤはその光景に目を奪われた。
 上空から見下ろすリンクシャンヌ山脈の中腹に、それは位置していた。周囲をぐるりと城壁で囲まれた城を中心とする巨大な一都市、それが魔導術学院クレプスクルムの全貌だった。加えて、その城壁の無い部分――上層部は薄い膜のようなもので覆われている。
「あれって、〈結界〉?」
「ああ。あそこは、閉鎖的な所だからな」
 呟いたターヤには、アクセルの答える声があった。それに何か返す前に、一言断りを入れたニルヴァーナがゆっくりと下降していく。そのまま彼女は山脈の上に着陸し、何事も無いかのような顔で首を垂れるように下げ、明らかに人の手が入っている道へと一行を下ろす。
 唖然としつつも、皆は彼女に従い地に足を付けた。
 全員が下りた事を確認すると、ニルヴァーナはあまり風を立てないように気を付けながら離陸していく。そうして充分高くまで飛び上がると、ターヤに向かって微笑みかけた。
『では、また何かあったら呼んでくださいね、ターヤさん』
「あ、うん。ありがとう、ニーナ」
 礼には更なる笑みを返し、そしてニルヴァーナはどこかへと飛んでいった。
 どんどん小さくなっていく彼女の姿を見送ってから、ターヤは皆を振り返る。そうしてアクセルに視線を合わせると、彼はそれを待っていたかのように「行こうぜ」と行って上へと続く道を歩き始める。
 皆と共に彼を追いながら、ターヤはちらりと後方に視線を寄越す。
 エマは、先程の蒼白さを引っ込めてはいたが、やはりどこか顔色は悪そうだった。
 とにもかくにも城壁の前まで辿り着いた一行が目にしたのは、本来門があるべき場所に位置する、異空間へと繋がっていそうな不透明な虹色の膜と、その前に佇む二人の門番だった。
「あれはゲートって言ってな、門替わりなんだ。けど、専用の許可証がねぇと弾かれるっつー代物なんだよ」
 小声でアクセルから説明されて、この場所が閉鎖都市たる由縁を一行は知る。
 一方、門番達は突然の来訪者に警戒心を剥き出しにしていた。
「何だ、おまえ達は」
「ここは魔導術学院クレプスクルムだ。解ったなら帰った帰った!」
 横柄ともとれる態度で彼らは一行を追い払おうとする。
 それは彼らからしてみれば当然の判断なのだろうとターヤは思ったが、同時にそのような便利なゲートがあるのならば、別に門番を置く必要もないのではないだろうかと考える。
 拒絶の意も顕わにあしらわれたアクセルは一瞬苦しそうな顔になるも、すぐに元の調子に戻り、懐に手を突っ込みながら一歩前に出る。そうして、取り出した物を彼らへと渡した。
「俺は昔の学生で、ちょっと恩師に用があるんですけど、呼んでもらう事もできませんかね?」
 なるべく下手な様子で敬語を使うアクセル、という眼前の光景に皆は思わず唖然としてしまうが、幸か不幸か当の本人は気付かなかった。
 差し出された許可証を手に取って眺めた門番の片割れだったが、すぐにふんと鼻を鳴らすとそれをぽいと横合いに放る。
「「!」」
 皆は驚き、アクセルは俊敏な反応で難なくそれを掴まえてみせた。
「おっと、危ねぇな。流石に放り捨てるなんて、俺でもしないっつーの」
 ぼそりと文句を口にする彼だったが、門番は聞こえていないらしく、あくまでも傲慢な態度を崩そうとはしない。
「期限の切れた認可証は、ただの紙切れ同然だと教わらなかったのか? 顔でも洗って出直してく――」
「貴君、帰ってくる時は連絡を寄越せと言ったであろう。よもや忘れた訳ではあるまいな?」
 だが、そこに救いの手が差し伸べられる。

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