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二十九章 拭えぬ過去‐Axel and‐(12)

 かくして今夜は野宿する事になった一行だったが、一応は眼前の危機が去れば、今度はターヤはエマのことが再び気にかかかり出していた。
 戻ってきた三人のうち、マンスは何かあったらしくすっかりと元気になっており、オーラもまたどこか重荷が下りたようだったが、エマだけはそのままだったのだ。寧ろ、更に顔色が悪くなっているようにすら思えた。
(やっぱり、クレプスクルムに行ってからエマは変だ)
 今も夕食の準備の真っ最中だったが、取り分ける皿を用意しつつも、ターヤの視線は少し離れた場所で背を向けて佇んでいるエマ一直線だった。
(いつもなら率先して手伝ってアシュレイに止められたりするくらいなのに、今日は何もせずにみんなから離れた所に居るし……)
 ちなみに本日の夕食はレオンスお手製のカレーなのだが、その事すら頭からは抜けていた。今の彼女は、ただ身体に記録された行動を再生しているだけなのである。
 しかも、ターヤはエマの隣に立つアシュレイのことも気になっていた。並んでいる二人を見る度に、どうしてか胸の奥で軋むような音が発生する気がしたのだ。
(アシュレイが居た方が良いし、アシュレイの方がエマのことを解ってる筈なのに……何で、こんなにもやもやとするんだろ)
 と、その頭を後ろから小突く者が居た。
「わっ……って、アクセル?」
 一気に現実に引き戻されて飛び上がりかけるも、すばやく背後を振り向いた彼女は正体を知る。
 彼は呆れたように片目を瞑っていた。
「何やってんだよ、ターヤ。とりあえず、その皿をレオンのところまで持ってってやれよ」
「あ、うん」
 言われた通りだったので、慌てて視線を外し、小走りに火の許で鍋と向き合っているレオンスの許へと向かう。それでも、後ろ髪を引かれる思いだった。
 彼とその手伝いをしていたマンス、そしてオーラに謝ってから、手伝いを終えたターヤは再び元の位置まで戻る。その途中で、ようやく違和感に気付いた。
(そう言えば、マンスがオーラをそんなに意識してないような……?)
 あまりにも自然だったので流しかけていたが、確かにマンスはオーラが近くに居ても居心地が悪くはなさそうだったし、彼女もまた彼と距離を取ろうとはしていなかった。やはり別れているうちに、あの二人の間では何かしらの決着か整理が着いたのかもしれない、とそこについてもターヤは確信を強める。
「ちゃんと仕事したかー?」
 戻ればアクセルにからかわれた為、ターヤは頬を膨らませて抗議する。
「ちゃんとしたもん。アクセルこそ何もしてないくせに」
「俺は良いんだよ。何せ、周囲の警戒っていう大事な仕事があるからな」
「そうは見えないんだけど」
 偉そうに胸を張ってみせる青年に指摘を入れると、仰る通りで、とわざとらしく畏まった口調であっさり肯定された。それから彼は笑みを浮かべたまま、首ごと視線を少女からエマとアシュレイに移す。
 ターヤも彼の隣まで出て同じ方向を見る。二人はまだ皆に背を向けたまま並んでいて、また胸が小さく痛んだ気がした。
「おまえさ、エマが大好きだよな」
 アクセルが突然何を言い出したのかターヤにはよく解らなかったが、反射的に頷いてしまう。
「え、うん、エマもみんなも好きだけど……?」
「そういう意味じゃねぇんだけどな」
 天然と言うかの抜けた回答にアクセルが苦笑したところで、スラヴィが街の方から歩いてきた。彼はレオンスに目配せしてから、そのままターヤとアクセルの近くまで来る。
 そこで初めてターヤは彼が居なかった事に気付く。
「あれ? スラヴィ、どこに行ってたの?」
「エスコフィエの頼みで、ちょっと〈結界〉を張りにそこまで」
 指し示された指に従って振り向けば、カンビオ全体を覆い隠すようにして薄い膜が形成されていた。

「心配性すぎるだろ……」
「そのくらい、俺があいつらを大事に思っているって事さ」
 唖然としたアクセルに答える声があったのでそこから再び振り向けば、レオンスがターヤ達を見ていた。どうやら夕食の準備は滞りなく終わったようだ。
 カレーの盛られた皿を盆に乗せたオーラが、皆へと聞こえるような声を出す。
「皆さん、夕食ができましたよ」
「今回はね、おにーちゃんとぼくと、おねーちゃんで作ったんだよ!」
 えっへん、とまるで先程のアクセルのようにマンスが胸を張ってみせる。
 何だか三人が親子に見えてきたターヤであったが、そちらと合わせて特にオーラの反応が怖いので思うだけに留めておいた。
 オーラの声が届いたらしくアシュレイに伴われるようにエマも集い、一行は夕食にする。
 エマ程ではないにしても流石に料理上手なレオンスとオーラが監修しただけあって、カレーはとても美味しかった。野菜のサイズも適切で、ルーも甘すぎず辛すぎずちょうど良い。
 思わず感嘆の声が漏れた。
「美味しい……」
「カレーなんて、誰が作っても美味しくなるようにできてんだよ」
 しかし、それに返されたデリカシーが無いと言うか空気を読まない発言により、むっとしたターヤは即座にアクセルを睨み付けたが、その視線が自分に向いていない事と顔にからかう色が無い事にすぐ気付く。いったいどういうつもりなのかとその先を追い、そこにエマが居る事に気付いた。
 普段ならばアクセルを諌めるだろうエマは、今はそちらを見ようともしていなかった。
 彼の意図に気付いていたレオンスとオーラは何も言わず、拗ねたマンスを宥めにかかっている。やはり親子にしか見えなかった。
 アシュレイは申し訳なさそうにアクセルを見て、気まずそうに視線を元に戻す。
 やはり誰から見ても、今のエマはおかしいのだとターヤは悟った。
 それから全員が食べ終わるまで全体の空気は少しぎくしゃくしたまま進み、それは片付けが終わって皆が床に就き始めても変わらなかった。
 今晩の見張り当番はエマだけだったが、心配だったのでターヤは挙手した。アシュレイも同時に挙手していたが、ターヤに気付くと譲ってくれた。
「ターヤ、これからもエマ様のことを見てあげていてほしいの」
 ただし、言葉を付け加えて。
「あたしが言えたことじゃないんだけど……でも、今のエマ様は誰かが見ていないと、一人でどこかに行っちゃいそうだから……」
「うん、解った」
 懇願するような響きを持った声に、神妙な顔でしっかりと頷いてみせる。本当はアシュレイも傍に居て見ていてやりたいのだろうにと申し訳なくは思いつつも、ターヤは彼女の好意に甘える事にしたのだ。
 そうして皆が布団に入り、その場で起きているのはターヤとエマだけになったが、二人の間には暇潰しの会話どころか事務的な会話すらも起こらなかった。
(ど、どうしよう……勢いで挙手しちゃったけど、やっぱりアシュレイの方が良かったのかな……?)
 ちらりと隣を窺ってみても、相変わらずエマは前方しか見ていなかった。きしり、と胸中から音が聞こえた気がした。
「あ、あの、エマ……」
 それでも意を決してターヤは声をかけてみる。やはり反応は無かったが、続けた。
「クレプスクルムで、何があったの? もしかして……あそこで、昔何かあったの?」
 瞬間、弾かれるようにしてエマがターヤを見た。その顔は驚きの色と縋るような色と困惑する色とで染まり、そして蒼ざめていた。
 やはりあの場所で何かあったのだと確信し、ターヤはもう少し踏み込んでみる事にする。

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