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二十九章 拭えぬ過去‐Axel and‐(11)

「うん、もうだいじょぶ。ありがと、みんな」
 四精霊へと戻ってきた笑みを見せ、そしてそっと窺うように視線をオーラへと向ける。
「おねーちゃんも、ありがと」
 彼女は予想外だったようで唖然とし、少年の視線もすぐに四精霊の方へと戻されてしまう。
 けれども、ゆっくりとオーラは微笑んだ。
「御役に立てたようでしたのならば、良かったです。……エイメさんも」
 唐突に矛先を向けられて、弾かれたように青年は顔を持ち上げる。
「あまり、思い詰めないように。再発故に急速に肥大したそれは、近いうちに周囲を巻き込んで暴発してしまうかと。どうか、御気を付けて」
「!」
 ここでようやくエマが反応を見せたが、その時にはオーラは彼から元々の目的地へと目を移していた。
 マンスもまたそちらへと目を向ける。まだ涙の跡を拭こうとは思わなかった。


 結論からして言えば、ユベールはアシュレイの相手にすらならなかった。
 先に突撃してきたのは彼の方だったが、彼女は抜刀もせず歩くように最前列に出ると、先手の斬撃を後退する事で難無くかわし、刃の軌道から抜けた瞬間、前進してその腹部を蹴り飛ばしてから瞬時に後を追い、受け身をとって何とか止まり体勢を立て直そうとした相手の首元に、即座に抜刀したレイピアを突き付けて動きを封じる。たったこれだけだった。
 この間、僅か十数秒にも満たなかった。
 まざまざと実力差を眼前で見せつけられた一行とファニーは唖然とするが、ユベールの心中はこの程度では済まなかった。
「勝負あったわね」
 それを見越した上で、表情は普段通りを装いながら意地悪くアシュレイは口にしてやる。
 そうすれば、見下ろした少年の表情では益々悔しさが膨張していた。
「だいたい、何であんたは一人なのよ? どうせ、それも《元帥》の命令だからって答えるんでしょうけど」
 問うておきながらアシュレイ自身が先に答えを言ってしまうものだから、ユベールは沈黙という選択肢を選ぶしかない。
 そんな彼を見て、ふぅ、とアシュレイはわざとらしい溜め息をついた。
「それにしても、ニールも酷い奴よね。戦闘能力は平々凡々なあんたを一人で、しかも〔屋形船〕に相手をさせようとするなんて」
「っ、貴女にだけは――」
「あんたは《元帥補佐》という近い立場だからこそ、今ニールに試されてるのよ。あんたがちゃんと自分の手駒で居てくれるのかどうか、その忠誠心がどれくらいのものなのか」
 反論しようと紡ぎかけた言葉はしかし、続く相手の言葉により封殺される。その通りだと直感的に思ってしまったからこそ、その意見をひっくり返したくともできそうになかった。
「今のニールは、自分以外は信用してないから」
 どこか悲しそうに寂しそうに発されたその言葉が、とどめだった。彼女の方がよほど彼のことを理解しているのだと、だからこそ誰よりも近くに居たのだと少年は思い知らされた。それが以前から悔しくもあり、羨ましくもあった。
 アシュレイはそれ以上は何も言わず、相手の反応を待つ事にする。以前から、ユベールが規則や規律云々だけでなく、《元帥》を尊敬しているが為に彼女を良く思っていない事は知っていた。
(つまりは、尊敬する相手をあたしにとられてるっていう、子どもならではの嫉妬よね。あたしと二つしか年は変わらないくせに、まだそういうところが抜け切れてないんだから)
 日頃のお返しとばかりに言ってやりたくもあったが、今は心の中で思うだけに留めておくアシュレイである。それに相手の傷を更に抉るような趣味など無かったからだ。レイピアの切っ先はとっくのとうに下げていた。
 しかし、幾ら待ってもユベールからは何も返されない。

 これは発破をかけてやるべきなのかとアシュレイが考え始めた時だった。
「何で、そうやってあんたはいっつも……!」
 突然予想だにもしていなかった方向から声が上がり、皆の視線がそちらに動く。
 他でもないファニーがわなわなと全身を震わせながら、ユベールを真正面から睨み付けていた。
「ファニー?」
 そんな彼女をレオンスが訝しげに見るが、当の本人には少年だけしか見えていなかった。
「あの時だって、自分の親を簡単に見殺しにして……それなのに、あたしがどれだけ喚いても口を挟もうともしないで、何の弁解もしようとしないで……何で……!」
 ごちゃごちゃになった頭のまま、彼女は感情が導くままに叫ぶ。
 ユベールは益々押し黙る。その眉根は強く寄せられていた。
「でも、おばさまとおじさまがあたしを良く思ってないのは、何となく気付いてたもの……だから本当は、あの時、ヒューはあたしを守ろうとしてくれたんじゃないかって、あれは仕方なかったんじゃないかって、頭の片隅では思ってたわ。……思ってけど、解りたくもなかったし、認めたくもなかったの」
 だが、一転してファニーが眉尻と声の調子を落とせば、途端に彼は僅かに反応した。
「でも、今ならもう大丈夫だから。だから、あたしはあんたの口から本当の事が聞きたいのよ」
 そして彼女は、まっすぐに彼を見つめた。
「お願い、本当の事を教えて、ヒュー。あの時、どうしてあんたはあんな事をしたの? あたしはあんたが大好きだから、もうこんなぎすぎすした関係は嫌なのよ」
 まるでそれが当然であるかのような自然さでさらりと顕わにされたのは、一直線に純粋で正直な少女の本心だった。
 彼女にとって彼は『特別』なんだと、その時ターヤは察した。
 そしてそんな彼女に感化されたように、ここに来てようやく少年は大きな動揺を見せていた。逸らしていた目も彼女を見上げている。
「わた……僕、は……」
 その口から、ようやく声が零れ落ちる。
 ファニーが期待するように身体の脇で更に両手を握り締めた。
 けれども、視線は地面へと落ちた。答える声は、その口から出てくる事は無かった。そのまま無言で立ち上がると、ゆらりとした動作で剣を鞘に納め、そのまま少年は踵を返した。
「ヒュー!」
 咎めるように、制止するようにファニーは彼を呼ぶが、その足が止まる事は無かった。
「っ……馬鹿っ、大っ……!」
 そんな彼に悪態をつこうとして、けれども彼女は、その言葉をもう二度と彼に対してだけは言える気がしなかった。どうすればこのやるせない気持ちを発散できるのか解らず、だた彼女は去っていく背中を見送る事しかできなかった。
 レオンスは少女の頭に手を置いて優しく撫でてやったが、それでも少女はただ前だけを見ていた。
 それからしばらくして残りの三人も合流し、レオンスはファニーを酒場まで送り届けた後、〔屋形船〕は大丈夫だったからと一行に戻る意思を表した。
 再び〔軍〕が来るのではないかと心配したターヤだったが、それはアシュレイにより否定された。意外とプライドの高いニールは、一度失敗した場所をまた襲う事は殆ど無いから、と。
 とは言え『殆ど』なので少しは心配らしく、カンビオの傍で首都方面を警戒しながら野宿する、という提案をアシュレイはした。街中だと、もしもの時に対処が遅れるかもしれないからという主張だった。
 この提案に反対する者は居らず、レオンスが〔屋形船〕と街の人々に了解をとってから、一行は街の出入口からは少し離れた場所に居座った。物品の売買などの為にカンビオに来る商人や人々には奇異の目で見られたりもしたが、街の物から話を聞いたのか、はたまたレオンスの顔で大丈夫だと踏んだのか、ともかく難癖を付けてきたり立ち退かせようとしてきたりする者は居なかった。
 ちなみにレオンスは〔軍〕に関する情報は特に入手できなかったようで、その事を軽く謝罪したが、最も気になっていたであろうアシュレイは察していたように、そう、と返しただけだった。

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