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二十九章 拭えぬ過去‐Axel and‐(1)

「とりあえず、俺は一旦〔屋形船〕に戻るよ。あいつらが心配だからな」
 マリサから〔軍〕が他ギルドの拠点を襲撃している事を聞いたレオンスは、すぐにでも戻る意思を見せる。幾ら自分が居なくとも大丈夫だと言っていたとは言え、今は状況が状況だからこそ気にかかるのだろう。
「いや、少し待った方が良い。マリサさん、もう少し詳しい事は解らないだろうか? 例えば、どのギルドが襲われたのかなど」
 逸る彼を引き留めてから、すばやくエマはマリサへと視線を向ける。
「いや、確か、名も聞いた事の無いような小さなギルドだそうだ、としか伝言にはなかった。ただし、〔ヨルムンガンド同盟〕に加盟しているギルドだったそうだが」
「〔軍〕も同じ〔同盟〕だろ……何で――」
 そこまで言いかけて、我に返ったアクセルは口を噤んだ。ちらりとその視線が別所に向く。
 ターヤもまた、再度そっとアシュレイの様子を窺ってみる。
 彼女は、未だ蒼白な顔で硬直したままだった。頭の中はいっぱいになっているようで、微動だにもしなければ自身がそのような顔になっている事にも気付いていないらしい。
「この前、坑道の外で会った〔軍〕の《元帥》は、別に様子が変な訳でもなさそうだったけどね。まあ、俺は彼の事なんて全く知らないんだけど」
 フォローしているのかしていないのか判らないスラヴィの発言だったが、その瞬間、弾かれるようにしてアシュレイが動いた。
「いいえ! ニールは――」
 そこで我に返ったように、一旦言葉が途切れる。
 思わず皆は様子を窺うだけから堂々と彼女に視線を向けてしまうが、その先を待つ事にした。
 アシュレイは少しの間次の言葉が出てこず、何と言えば良いのか解らなかったが、やがて絞り出すかのように続きを発した。
「……ニールは、昔はあんなんじゃなかった」
 それだけしか、今の彼女には言えなかった。
「じゃあ、どんなのだったの?」
 だが、そこでスラヴィは止めはしなかった。まるで普段のアシュレイのように、ずけずけと追及の手を止めない役回りに転じている。
 逆にアシュレイの方が答えに窮したかのように、明瞭な声ではなかった。
「実際のところは良く解らないけど……でも、今のニールはおかしいの、おかしくなってるの。きっと、あたしのせいなのよ……」
 彼を庇うように彼女は言葉を紡いでいく。先日、本人の目の前で堂々たる離反宣言をしておきながら、そこにはまだ拭いきれていない未練が見え隠れしていた。
 ふぅん、とスラヴィは興味が無さそうな声を出す。
「何か、スタントンが偽物みたい」
 言われてみれば確かにそうだ、と本来の彼女を知る者全員が思う。少なくとも今現在の彼女は、まるで偽物の如く弱々しすぎるからだ。まるでプレスューズ鉱山の時の状態まで戻ってしまったかのようだった。
 自覚はあるらしく、スラヴィの発言にアシュレイは身を揺らして言葉を失う。
 この空気のままかと思いきや、一人蚊帳の外になりかけていたマリサが口を挟む。
「とりあえず、今日はこのまま里に泊まっていくと良い」
 これまでの会話からアシュレイが軍属であるか、もしくはあった事は明らかだったのだろうが、彼女はそこについてはいっさい触れようとはしなかった。どうやら彼女なりの気遣いらしい。
 だが、この申し出に対してレオンスはやはり首を振る。
「いや、俺はすぐにでも自分のギルドに戻らせてもらうよ」
「そう言えばおまえ、先程は〔屋形船〕と言っていたな。何だ、今はあのギルドに居るのか」
「ああ、設立当初からギルドリーダーをやらせてもらっているんだ」
 その言葉でだいたいの事情を察したらしく、そう、とだけしかマリサは言わなかった。
 レオンスもまた焦る気持ちは健在な様子で、すぐに一行の方を見た。
「それじゃあ、ちょっとギルドの様子を見に戻るよ。ついでに〔軍〕の情報も、集められるだけ集めてみようとは思うけどな」

 暗に期待はするなよと言う彼へと、アクセル達は頷いてみせる。
「ああ、気を付けろよ」
「じゃあ、ここで一旦お別れなんだね……気を付けてね、おにーちゃん」
 頭では理解しているようで、少し寂しそうにマンスは言う。
 そんな少年の頭へと手を伸ばし、レオンスはそこを帽子越しに優しく撫でた。
「すぐに戻ってくるよ。おまえとの約束もあるからな」
「うん。ファニーたちも無事だと良いね」
 それには笑みを返し、オーラと視線を交わし、マリサに一度頭を下げてから、レオンスは里と外界を繋ぐ出入口へと向かって駆け出していった。
 彼の背中を見送ってから、マリサは独り言のように呟く。
「まあ、これで最良なのだろうな。里にはまだ、あれを完全には許せない奴も居る」
 反射的に縮こまってしまったマンスの頭に手を伸ばして帽子を取り、反対の手でくしゃくしゃにしてから帽子を乗せ直す。その一連の動作を流れるように行ってから、マリサは踵を返した。
 一方、当の本人は何が起こったのかすぐには理解できず、目を丸くしている。
「何をしている。行くぞ」
 振り返った彼女の言葉に一行は頷き、何事も無かったかのようについていく。アシュレイもまた、ひとまずは皆と同様の行動をとる。
 それでも最後まで一人ぽかんとしていたマンスだったが、その肩をそっとターヤに押された事で、慌てて彼女と共に皆を追いかけたのだった。
 その夜、マリサの家で食事と風呂を御馳走になってから、彼女の言葉に甘え、一行は前二日と同じ空き家に泊めてもらった。部屋割りも、マンスが自宅に戻っているところも同じである。違う点と言えば、レオンスが居ない事くらいだった。
 そしてその日、珍しくターヤは夜中に目が覚めてしまった。
(……喉、乾いたなぁ)
 のそりと布団から這い出て、他の二人を起こさないように気を付けながらも、ふらふらと部屋の出入口へと向かう。この家の管理人は別所に住んでいたが、水は自由に使って良いと言われていたので、まっすぐにターヤは台所へと向かった。
 そこで一杯の水にて喉を潤した帰り、男子部屋の前まで差しかかったところで、ターヤの耳は小さな声を拾った。
(? 何だろ……?)
 ふと気になって、その声が聞こえてくる方向へと、若干寝惚けた思考のまま向かう。見れば、男子部屋の扉が開けっ放しになっており、そこからではないかと彼女は推測する。
「……がう……んだ……ま……」
 そちらに近付くにつれ、徐々に声は大きくなってくる。
「……れは……は、おまえを……」
 同時に、何を言っているのかも次第に聞き取れるようになっていく。
「……ろした……かったんだ……!」
 また、声の起伏も明らかになっていく。
「……めん……ごめん……とうに、ごめん……!」
 そして、その声の主が誰なのか、ターヤは何となく解った気がした。
(もしかして、アクセル?)
 魘されているような寝言の声は、アクセルのものとしか思えなかった。もしやアストライオスの夢でも見ているのだろうか、と途端にターヤは嫌な予感を覚える。彼はまだ、その事を引きずっていた筈だから。
「っ――」
 突如として意識が完全に目覚め、足が速度を上げる。急がなきゃ、と心の奥で声が叫んだ。アストライオスの一件を自らの奥に楔として打ち立てているアクセルは、その事を思い出すとひどく揺らいでしまうのだから。
 しかし目的地の光景を目にした瞬間、ターヤは思わず動けなくなった。

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