The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
二十八章 召喚士一族‐Leonce‐(9)
聞き覚えのある声に皆が視線を上へと上げれば、注連縄がかけられた岩壁の前には、いつの間にか一人の少女が現れていた。しかも、淡い黄緑色の光のようなものを纏ったその全身は、自身の髪に座るかのような姿勢で宙に浮いている。
「シルフ!」
何だかデジャヴだと皆が思っているうちに、一歩遅れて振り向いたマンスが驚き声で彼女の名を呼ぶ。
えっ、だの、何っ!? だのという声が同時に上がったのは言うまでもない。
「シルフ、という事は、彼女は《風精霊》なのか」
「人型になれたのかよ……」
「そう言えば、《雷精霊》も人型だったものね」
皆が口々に思ったままを言葉にしていく中、スラヴィが不思議そうに首を傾げた。
「でも、どうして今まで、四精霊は人型では顕れなかったんだろうね」
確かに、と一旦彼に視線が集い、続いてマンスへと戻る。
『それはね、トゥーちゃんの結んだ契約が、精霊術とは全く関係無いからだよ』
しかし、それに答えたのは《風精霊》だった。彼女はくるりと背後を蹴り上げるかのように姿勢を変え、寝転がるような体勢になる。その際、背中で蝶々結びにされた布と腰布とがひらりと舞った。
マンスもその違いをよくは知らないようで、興味深そうに彼女を見ている。
『わたし達精霊は人の姿にもなれるんだよ。でも、わたし達がマンスくんに召喚されるって事は、基本的にはバトルの時だよね? だから、わたし達は一番戦いやすい本来の姿で顕れるんだ。勿論、モナちゃん達人工精霊はまた違うんだけど』
「だが、《雷精霊》は召喚される事は無い」
エマの言葉に《風精霊》は頷く。
『うん。だから、トゥーちゃんは最初から人の姿でこっちに来るんだよ。本来の姿は、だいたい巨大だからね』
「それに、元々人間だから、そっちの方が良いっていうのもあるのかもね」
昨日得た知識からスラヴィが自分なりの推察を述べたところ、《風精霊》が驚いたように両目を丸くして瞬かせた。
『あれ、知ってたんだ』
「うん。昨日、トゥオーノが教えてくれたんだ」
なぜか決意の色を浮かべた顔でマンスが答えれば、途端に《風精霊》の顔色が曇った。
『そっか、マンスくんも、知っちゃったんだね。……それでも、《精霊王》になりたい?』
そっと窺うように《風精霊》が問えば、マンスは一瞬言葉に詰まったようだった。それでもすぐに、しっかりと頷いてみせる。
「うん。ぼくは、《精霊王》になりたいんだ」
『それなら、誰にも止める権利は無いわね』
もう一つの割り込んできた声に皆が視線を動かせば、いつの間にか《風精霊》の隣には一人の女性が顕れていた。ボーイッシュな感じの《風精霊》とは対極的に、妖艶な雰囲気を纏う女性である。
「ウンディーネまで……」
淡い水色の光を纏っているところからして《水精霊》ではないか、と考えた皆の予想は的中した。
彼女は困ったような表情をマンスへと向ける。
『マリサから試練を受けると聞いていたのに、いつまで経っても来ないからシルフを行かせても、来てくれないんだもの。だから、今度はあたしが直々に迎えに来てあげたのよ』
『うっ……ディーネちゃん、ごめん……』
「ごめん、ウンディーネ」
その言葉に《風精霊》は縮こまり、マンスは謝ると片手を伸ばして岩壁へと触れる。
瞬間、その手を中心として光が円形に走ったかと思いきや、音を立てて岩壁が横へと動き始めた。
「う、動いた……」
「ここは精霊の祠って言ってね、ぼくたち召喚士一族と、精霊たちの聖域なんだ。でも、特に用が無い時は、長以外は近づいちゃいけないんだよ」
心底吃驚したターヤに、手を離したマンスは前を見たまま説明する。
この説明で、ターヤは勘付いた事があった。
「もしかして、ここでさっき言ってた試練を受けるの?」
「うん。ぼくにとっては、大切な事なんだ」
相変わらず振り返る事はしないマンスだったが、それくらい彼はその試練に真剣に向き合い、そして同じくらい緊張しているのだとターヤは気付く。
「そっか。頑張ってね、マンス」
それくらいしか、彼女には言えそうになかった。
だが、その言葉には振り向いた顔があった。少年はにっこりと笑ってみせる。
「うん、頑張るよ!」
そうして再び前を向けば、そこにはぽっかりと暗闇が口を広げていた。
『さあ、中までいらっしゃい、マンス。後ろの皆さんもどうぞ』
先導するように《水精霊》は《風精霊》を伴って、その空間へと入っていく。
マンスは頷くと躊躇わずに彼女らを追い、許可を得た一行もまたその後に続いた。
一行全員がその中に入った瞬間、ぱっと明かりが灯り、一瞬のうちに真っ暗闇を明るい空間へと塗り替える。同時に、背後で岩壁が閉じ始めた。
驚いて振り返ったターヤだったが、逆にマンスはその事には動じてすらいなかった。
「遅れてごめん、みんな」
少年がそう言った瞬間、最奥に居る《水精霊》と《風精霊》の傍に、《火精霊》と《土精霊》もが姿を顕わす。赤い長身の青年に茶色の少年と、彼らもまた人型だった。不思議な事に、その全員が裸足ではあったが。
四精霊が全員揃った事を確認すると、《水精霊》はマンスをしっかりと見据える。
『さて、それじゃあ試練を始めましょうか。勝敗は関係無く、わたし達全員があなたの強さを「認める」と言ったら、そこで終わりよ。でも、あなたが期待外れだと判っても、終わり』
軽めの口調に反してシビアな内容だったが、最初から承知済みだったようでマンスはしっかりと首肯する。その顔は、その場の誰よりも真剣だった。
『でも、一人で四精霊全員の相手ができるとは思っていないから、周りの人の手を借りるのは認めるわ。でも、《神器》だけは手を出しちゃだめ。それから、《神子》はニルヴァーナを喚ぶのも魔術を使うのも良いけど、固有魔術を使うのだけはだめよ?』
「はい、心得ております」
「うん、解った」
ウンディーネの言葉に対し、オーラは頷き岩壁に背が付くくらいまで下がり、ターヤもまた頷いてみせる。なぜ彼らが自分がニルヴァーナと契約している事を知っているのかは気になったが、それは今は気にするべき事ではないとして頭の隅に追いやる。
全員の準備ができた事を見渡してから、《水精霊》は妖美な笑みを更に深める。
『さあ、試練を始めましょうか、マンス。その心と体の強さを、あなたはわたし達に見せてくれるのかしら?』
かくして、開戦の狼煙は上がったのだった。
時間は、少し巻き戻る。
マンスに拒まれたレオンスは、少年が自身の横を通り過ぎても全く反応できなかった。その足音がどんどん遠ざかっていっても、彼は指の一つさえ動かせなかった。マンスが自分を恨み、憎むべき相手だと知って激昂した時には最初から心構えができていたが、今し方の拒絶は思ってもいないものだったからだ。
やはり自分は甥に嫌われたくはなかったのか、と自嘲する。覚悟は決まっていたなどとほざいておいて、実のところ完全にはできていなかったのだ。とことん、自分に嫌気が差した。
――なぁ、もう充分疲れただろう? そろそろ俺と代わろうぜぇ?
それを見越していたかのように、頭の中で誰かの声が囁きかけてきた気がした。
ウンディーネの言葉を合図として、四精霊は全員その姿を変える。瞬く間に変化は終わり、火龍、水魚、風鳥、土竜、といった見慣れた四つの巨大な影が、一行の前に立ちはだかった。