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二十八章 召喚士一族‐Leonce‐(8)

「やっぱり、試練を受けるつもりだったのか」
 少年の眼前には、道を塞ぐかのようにして、他でもないレオンスが立っていたからである。彼はまるで全速力でこの場まで疾走してきたかのように荒く息をしていたが、逆に少年は一瞬にしてそれまでの決意を粉々に砕かれたどころか、更に思考を引っ掻き回されたかのような感覚に陥っていた。心の中で、何かが渦巻いたような気がした。
 そうとは知らず、レオンスは昨日とは打って変わった様子で彼に話しかける。
「チコ、四精霊の試練を受けるつもりなんだろ? そうなると、彼らの力は借りられなくなるから――」
「うるさい!」
 相手が何を言っているのかは全く聞き取れなかったが、煩わしい、鬱陶しいなどと感じたマンスは思わず反発していた。
「おにーちゃんは――!」
 そのままの勢いで何事かを叫ぼうとするが、すぐに声は萎んでそのまま空気に溶けていく。
 予想外の明確な拒絶を突き付けられたレオンスは、茫然と立ち尽くしていた。
 それを視界に捉えてしまったマンスは、反射的に視線を下方へと落として逸らす。この場に居続ける事には耐えられそうになかったので、少年は再び足を動かして速足気味に青年の横を通り抜けた。
 そのまま振り返らずに速度を上げたマンスは、ひたすらに走った。そうして、行き止まりと思しき岩壁の前に辿り着いたところで足を止め、息を切らしながら恐る恐る背後を振り向いてみれば、彼の姿は見えなかった。ほっと安堵の息を零した少年は、彼が自分を心配して駆け付けてくれたのだという事には少しも気付けなかった。
(おにーちゃんとは、何か、まだ顔を合わせたくないや)
 恨んでいるからというのも無い訳ではなかったが、正直なところ、本当にそこまで彼を憎んでいるのか判らなくなってきているという理由が、一番大きかった。確かにレオンスがずっと捜していた皆の仇だと知った時は、全身の血が沸騰するかのような憤怒に支配されたが、マリサや《雷精霊》、そして当の本人の話を聴いているうちに、いつしかそれも揺らいでしまっていたのだ。
 しかしその一方で、一向に皆を斬殺した理由には触れようとしないレオンスに不満を募らせているのも本当だった。ちゃんと理由を話してくれれば、と昨日からずっとやきもきしてもいたのだから。
(何で、おにーちゃんは話してくれないんだろ)
 それ程までに言いたくないという事らしいが、なぜそうなるのかがマンスには解らなかった。自分の意思で彼らを殺す事を選んだからという理由ならばしっくりくるが、レオンスがそのような人間でない事は、とうにマンス自身が理解していた。
 だからこそ、どうしても解せないのだ。
 無意識で顔を元に戻したところで、マンスは正面の岩壁に注連縄が取り付けられている事に気付いた。それが意味するのはすなわち、そこが『聖域』だという事に他ならない。
「って事は、ここが精霊の――」
「――居た!」
 しかし呟きかけた直後、背後から誰かの声が飛んでくる。反射的に振り返れば、一行が少年の方へと向かって走ってきていた。オーラも一緒に居たので直視はできなかったが。
 彼の許に辿り着くや否や、ターヤはマンスへと詰め寄るようにして問う。
「試練を受けるってマリサさんから聞いたんだけど、どういう事なの!?」
 乱れた呼吸のまま口から言葉を一直線に飛ばす彼女の勢いに負け、少年は後ずさるような姿勢になる。まるで自分が悪いかのような錯覚に陥らされていた。
「え、えっと、《精霊王》になる為に、四精霊に力を認めてもらわなくちゃいけなくて……」
「《精霊王》になる?」
 訝しげに気になった点を反芻するアクセルだが、ターヤにたじたじになっているマンスの耳には届かなかった。
 逆に、ターヤはアクセルの呟きが聞こえた事で我に返り、一度深呼吸をして自分を落ち着かせた。それからマンスに向き直る。
「だから、一人で戦おうとしてたの?」
「う、うん。これは、ぼくが乗り越えなきゃいけない道だから」
 気圧されなくなった事で同様に落ち着いたマンスは、しっかりと意志を持った瞳になる。
 それを見てしまえば、ターヤにはもう彼を止めようだとか諭そうだとかは思えなくなった。

「そう言えば、エスコフィエはどこに居るの?」
 そこで、ふと先に彼の許に向かった筈のレオンスが居ない事に気付いたスラヴィが、マンスへと問いかけるかのように周囲を見回しながら首を傾げた。
 瞬間、少年が硬直する。
 ターヤや他の面々も辺りに視線を向けるが、確かに近くにレオンスらしき姿は見当たらない。
「マンス、レオンは?」
 尋ねても良いものなのか解らないターヤだったが、訊かずにはいられなかった。
 しかし、案の定少年は固まったまま何も言わない。
 その様子から、自分達が来るまでに二人の間で何かあったのだろうと一行は推測する。
「やっぱり、まだあいつを赦せない?」
 気遣うように優しくそっとアシュレイが問いかければ、少年は視線を落として躊躇しながらも口を開いた。
「……もう、どうしたら良いのかわからないんだよ」
 悩みに悩んだ末に、それでも結局どうして良いのか判らなかったと言うような声だった。
「一緒に旅をしてきたから、おにーちゃんが悪い人じゃないって事はわかってるんだ。でも、おにーちゃんが、おとーさんやおかーさんたちを殺したのは本当で、でも、おにーちゃんはそれを後悔してるみたいで……でも、何でそんな事をしたのかはぜんぜん話してくれないから、本当のおにーちゃんがぜんぜんわからないんだよ」
 吐露されたのは、今のマンスが抱える正直な気持ちだった。
 昨日からずっとその事を悩んでいたのか、と皆は彼の葛藤を知る。
 オーラは、何も言おうとはせずにマンスだけを見ていた。
「……そっか。おまえは、本当はレオンの奴を信じたいんだな」
 理解したアクセルがそう言った途端、弾かれるようにマンスは彼を見た。そして何かを言おうとし、けれども何を言えば良いのか判らなくなったように口を半開きにしたまま黙る。
 アクセルは、彼の言葉を待っていた。
 マンスは必死に思考を何とか纏めてから、ようやく声を発する。
「でも、おにーちゃんは、人殺し……だから」
 赦したい心と許したくない心、相反する二つの思いが少年の中ではぶつかり、せめぎ合っているままだった。
 対して、アクセルはどこか悲しそうに眉根を寄せる。それがレオンスと似ている気がして、思わずマンスは視線を逸らした。
「けどな、マンス。人殺しって言う点でなら、俺だって同じなんだよ」
「赤は、違うよ」
「違わねぇよ。俺は、ブレーズの父親を、殺したんだぜ?」
 震える声で紡いだ否定は、更なる否定に上書きされる。
「それなら、モンスターはどうなるの? みんな、自分たちにとって危険なモンスターは殺して生きてるんだよね?」
 ならばとばかりに少年が返した言葉で、皆の視線が一瞬アシュレイに集まった。
 彼女は、表情を動かす事も声を出す事もしなかった。
 この問いにアクセルは即答はせず、彼女を一瞥してから答えた。
「人間の俺が言うのも何だけど、俺はそれを否定する気はねぇよ。それに、自分達の生活を守る為に危険だと思った相手を殺そうとするのは、どの種族だって同じだろ?」
 正論だと思うが故に、マンスはもう言い返す事もできなかった。
 そんな少年を見たアクセルは、ふぅ、と一度息を吐き出す。
「確かに、ちゃんと話さないレオンの奴が悪いけどよ、赦したいと思ってるのなら、あいつを信じてやれよ、マンス」
 少年は目を合わせぬまま、無言を貫いた。
 話題の中心が黙した事で、その場もまた沈黙に包まれる。
『マンスくーん、いつまでそこに居るのー……って、あれ?』
 それを破ったのは、向こう側から話しかけているかのような、人のものではない声だった。

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