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二十八章 召喚士一族‐Leonce‐(16)

「……姉さん、ダリルさん、あんな事をした俺が、こんな事を言うのはおこがましいとは思いますが、チコのことを見守る権利を俺にください。こんな事で償えるとは思っていませんが、せめて、あなた達二人の忘れ形見を大切にしたいんです」
 既に死亡した相手にこの言葉が届くのかも判らず、返事が貰える訳でもなかったが、それでもレオンスは言わずにはいられなかったのだ。そっと、姿勢を元に戻す。
 と、そこで背後から誰かの気配が近付いてくる事に気付いた。懸命に足音を消してはいるが、その気配を消す術まではまだ習得していないようだ。おそらくは何かしらの話があるのだろうが、ちょうど青年もまた少年に話したいことがあった。
「……俺はさ、ダリルさんに嫉妬していたんだ」
 その気配がマンスだという事は判っていたので、相手の言葉も行動も待たずにレオンスは口火を切っていた。同時に相手の驚く気配が伝わってきた事に、密かに苦笑する。
「両親は早くに亡くなったから、俺にとっては、姉さんがたった一人の家族だったんだ。勿論一族のことは家族だと思ってはいるけど、姉さんは特別だった。だから、姉さんがダリルさんと互いに惹かれ合っていく様子を見た時は、大げさだとは思うけど目の前が真っ暗になった。それでも、姉さんが幸せなら、俺がそれを邪魔するのは駄目だと自分に言い聞かせてきた」
 相手に言葉を挟む隙を与えず聞き手に徹しさせながら、レオンスは胸の奥に溜まりに溜まり切った靄を吐き出していく。
「そんなある日、誰かの声が聞こえてくるような気がしたんだ。当時の俺は闇魔のことなんて全く知らなかったから、幻聴か耳鳴りくらいにしか思わなかったけど、今思えば、あれが深淵からの呼び声だったんだな。それは次第に感覚を縮めて何度も何度も聞こえてくるようになって、同時に左目も疼いたり痛んだりするものだから、俺は相当辟易したよ。流石にギルドの仕事に支障を来しそうだと思って、ある日姉さんに相談しようと思ったんだ。だけど、幸か不幸か、その時の俺はダリルさんと楽しそうに話す姉さんを見てしまった」
 明言こそしていなかったが、それを不幸だと思っている事は誰の耳にも明らかだった。
「その瞬間、頭の中が真っ白になって、耳元で囁く声が聞こえて――気が突けば、俺は違う場所に居た。最初は何が起こったのか判らなかったよ。すぐに何かの上に乗っている事に気付いて視線を落としてみれば……そこには、クロリスが居た。彼女の下腹部と左目は、見るも無残な姿になっていた。ふと自分の手を見れば、そこは真っ赤だった。傍らには、血に塗れたナイフが落ちていた」
 当時の事を今でも鮮明に思い出せる事を皮肉に思い、自責の念にかられながらも、レオンスは回想も言葉も途切れさせない。それが今の自分の義務だと思っていたからだ。
「悲鳴を上げるよりも恐怖を覚えるよりも、それを行ったのが自分自身だという事実に戦慄して、茫然としたよ。そして、あの声が耳元で囁いた。これはおまえのせいだ、とな。それがとどめだった。そのまま俺はそこから動く事もできず、長達が来てもそのままだった。……後は、おまえも知っている通りだよ」
 最後までしっかりと話し終えてから、ゆっくりとレオンスは立ち上がって背後に向き直る。やはり、そこに居たのはマンスだった。
「……笑わせるだろ? こんな醜くて幼い嫉妬が、大切な人達を殺したんだ」
 今にも泣き出してしまいそうな顔でへにゃりと笑った青年に、少年はすぐには言葉を返せなかった。
「おにーちゃん、シスコンだったんだね」
 何と言えば良いのか判らず、結局迷った末にマンスが紡いだのがこれだった。
「はは、返す言葉も無いな」
 それでも、違いないとばかりにレオンスは苦笑する。
 マンスは続けては何も言わなかったので、辺りは沈黙に包まれる。
 けれども少年が必死になって続く言葉を探している事は知っていたので、レオンスは何も言わずに待っていた。
「その、おにーちゃんは……どうして、おねーちゃんに闇魔を浄化してもらわなかったの?」
 ようやく見つかった言葉は、レオンスにとっては予想外のものだった。
 その顔を見たマンスが訊いてはいけない事だったのかと慌て始めるが、単に呆気にとられていただけのレオンスは気にせず答える。

「闇魔のことは知らなかったけど、自分の中に何か得体の知れない存在が居る事は、その事件で解ったんだ。だから、怖くなった俺は左目を焼いた。そうすれば、そいつも居なくなってくれると思ったんだ。実際、効果はあったようで、そいつはそれからめっきりと出てこなくなったよ。けれども、それを喜ぶ事なんて俺にはできなかった。幾ら自分の意思じゃなかったとは言え、この手が姉さんやダリルさん、レオ、クロリス達を殺した事には何の変わりもないんだからな」
 右腕に視線を落とし、自嘲する。
「そんな時、俺はオーラと再会した。彼女は俺に闇魔という存在のこと、そして俺の中にまだそれが居る事と、再発の可能性を教えてくれた。けど、その時にはもう、俺とそいつのシンクロ率は無理矢理引き剥がすと危ないレベルまで上がっていたらしい。だから、彼女は眼帯に封印を施す方法を選んだんだ」
 再会した、という部分が気になるマンスだったが、そこに言及する暇も無くレオンスの話は進んでいく。
「それに、これは自分の責任だから、自分で何とかしたいっていう思いもあったんだ。結局、アシュレイのように弱い心を抱えた自分を倒す事はできなかったけどな。本当に、彼女は俺と同じようでいて俺より強いんだからな、正直なところ羨ましいよ」
 そこでレオンスは言葉を終わらせた。
 全てを聞き終えて、マンスは一つ確信した事があった。
「やっぱり、おねーちゃんが言ってた通り、おにーちゃんはぼくに、自分ごと闇魔を殺させようとしてたんだね」
 レオンスはそうする事で己を自ら罰し、それを贖罪とし、そうしてマンスが抱き続ける怨恨を断ち切ろうとしたのだ。
 少年の思った通り、青年は肯定の意を表すべく頷いた。
「ああ、最初はそのつもりだったよ。けど、後になって気付いたんだ。それは、おまえに大好きな精霊の手を汚させる事で、おまえの心にも少なからず後悔を残す事になるんじゃないかって」
 実際そうなった訳ではないので判らなかったが、もしもレオンスを殺していた場合、確かにマンスは後々後悔する事になるのではないかと思った。幾ら相手がずっと捜していた両親達の仇だったとしても、大切な『おにーちゃん』である事にも変わりはないのだから。それに、精霊達に殺人を犯させるという事にもなるのだから。
「それはそうと、ここには答えをくれる為に来てくれたんだろ?」
 変えられた話題に促された事で、ようやくマンスは自分がこの場に来た本題を思い出す。
「あ、うん」
 こくりと頷いてから、一度大きく深呼吸をする。
「一昨日、おにーちゃんはぼくに判断を任せたよね。それで、ずっと考えてたんだ。おにーちゃんはずっと捜してた殺したいくらい大嫌いな仇だけど、でも、旅の間に見てきたおにーちゃんは大好きだから。だから、ぼくはおにーちゃんを赦すよ」
 正直な気持ちを言の葉で表し、そしてマンスはにっこりと微笑んだ。
 これは予想内でありながら予想外だったようで、レオンスが呆気にとられた顔になる。
 それを目にしたマンスは、思わず吹き出してしまった。
「おにーちゃん、変な顔になってるよ?」
「良い、のか……?」
 未だ完全には信じられない様子で問うてきたレオンスに、本当なんだと言う為にしっかりとマンスは首を縦に振ってみせる。
「うん、良いんだ。だって、やっぱりおにーちゃんを殺したくなんてないもん。でも、やっぱりまだ恨んで憎んでる心もあるから。だから、おとーさんとおかーさんの代わりに僕を見ててよ。ぼくがちゃんと《精霊王》になれるのか、ちゃんと精霊みんなを救えるのか、最後までずっと見守っててほしいんだ。それと、ぼくを他のみんなのお墓まで連れてってほしいんだ」
 そこまで言えば、青年も少年の言いたいことが理解できた。
 マンスはレオンスを赦す代わりに条件を付ける事で、それを償いにしろと暗に言っているのだ。それは先刻レオンスが彼の両親の墓標に願った事と同じだった。
 だからこそ、青年は了承の意を首肯と声とで表す。
「ああ、解った。俺は、姉さんとダリルさんの代わりに、おまえを最後までずっと見守っているよ」

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