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二十七章 燃え立つ炎‐zeichen‐(9)

 けれども彼女がそこについて考えるよりも前に、皆の空気の方が変化していた。何事かと現実に意識を引き戻せば、眼前では《精霊使い》と《鋼精霊》が対峙しているようだった。
「《精霊使い》……!」
 そして、その姿を認めるやマンスは駆け出していき、ハリネズミを庇うようにして彼との間に割り込む。
 残りの面々もまた《精霊使い》がマンスを襲う事を危惧し、その後を追った。
 だがしかし、皆の予想に反して《精霊使い》は予想していたと言わんばかりの表情でマンスを見て、それから《鋼精霊》を見て、そして数秒程思案気な顔となってから、あっさりと踵を返したのだった。
「え……」
 思わずマンスの口から間の抜けた声が飛び出す。
 呆気に取られたのは一行と《鋼精霊》も同じ事だった。
「ちょ、ちょっと!」
 反射的に上げられた少年の声には首を動かして軽く視線を向けただけで、そのまま《精霊使い》は歩き去っていってしまった。
「あいつ、何を企んでるのさ」
「いや、あれは企んでいると言うよりは……」
「思うところがある、という感じだったな」
 唖然としてマンスが呟けば、エマが訂正するかのように口を開き、その後をレオンスが代わりとばかりに述べた。
 よく解らなかった少年は訝しげに眉根を寄せるが、すぐに《鋼精霊》へと駆け寄る。
「アシヒー、何もされなかった?」
『ああ、相対してすぐにおまえ達が来たからな。だが……』
 そこで言いにくそうに、躊躇うように一旦言葉は途切れた。
『あの男は、最初から俺を捕える気が無いようだった』
 困惑したようにアシヒーは言うも、その考えを振り払おうとするかのようにゆっくりと首を横に振った。
『いや、その事はどうでも良い』
 そうして、その瞳がマンスを捉える。そこに以前のような険しさは殆ど残っていなかった。
 加えて、先日アルタートゥム砂漠で彼はマンスを認めるような発言をしていた為、戦闘にはならないだろうと皆は踏んでおり、身構える者は一人も居なかった。
『マンスール、俺はおまえに問いたい事がある』
「何?」
 マンスは首を傾げて先へと促す。
 アシヒーは真剣な顔付きになると、少年へと問いかけた。
『なぜ、おまえはこうも俺達を救おうとする? 召喚士だからという訳ではないようだが』
 ぱちくりと少年は目を瞬かせて、そして随分と大人びた笑みを浮かべてみせた。
「精霊が好きだからだよ。それに、アシヒーは訳が解らず暴れ回っている子どものようにしか見えないから」
 的確な表現ではあったが、その言葉に彼は怒るのではないかと皆は予測する。
『そう、かもしれない。本当に、おまえは不思議な人間だな』
 しかしアシヒーは一瞬虚を突かれたような表情になった後、同意するようにどこか柔らかな表情を浮かべるだけだった。
 これにはマンスも驚き顔になるが、直後にアシヒーは表情を歪めて吐き捨てる。
『だが、俺は、俺を造り出し使役した奴らを決して許せはしない』
 つい一秒前までの穏やかそうな顔はどこへやらと言わんばかりの、心の奥底で溜まりに溜まった憤怒が絶え間無く燃えたぎっているかのような形相だった。
 ハリネズミの様子から先程のソニアを連想してしまい、我に返ったアクセルは振り払おうとして首を左右に振る。それでも、頭の片隅からは退けられそうになかった。
 そんな《鋼精霊》にかけられる言葉を見つけられず、マンスは彼を複雑そうに見ていた。

『……また、会う事もあるだろう』
 少年の思考に気付いたのか、気まずそうにそれだけ言うと《鋼精霊》は踵を返した。
「あ、待って!」
 ようやく彼への用を思い出せたマンスは、慌てて声を上げて制止する。
 ハリネズミは動きを止め、なるべく少年の方を振り返った。
『何の用だ?』
「アシヒー、海底洞窟で、きっと〈マナ〉の供給が一度止まっちゃったんだよね? 今は動けてるからだいじょぶだと思うけど……本当に、だいじょぶ?」
 ずっと、マンスは彼にこの事が聞きたかった。一度は信じようと思ったが、それでもやっぱり後から気になってしまっていたのだ。今では大切な相手を心配するのは悪い事ではないと、心の中で密かに開き直っているからこそ、訊いていた。
 相手は驚いたように言葉を失くすも、すぐにしっかりと頷いてみせる。
『ああ、問題無い』
 途端にマンスは安心したように息を吐き出す。本人から直接聞けた事で、胸の閊えが取れたようだった。
「そっか、それなら良かったよ」
 そう言って少年は《鋼精霊》へと笑いかける。
 相手もまた応えるように頷き、今度こそ一行の前から去っていった。その際、マンスに対して僅かに微笑みかけていたように見えたのは、ターヤの気のせいだったのだろうか。
「……ねえ」
「はい、何でしょうか?」
 誰かが反応してくれる事を期待して声を出せば、オーラが応えてくれた。
「アシヒー、マンスに微笑んでた、よね?」
「はい。私には、そのように窺えましたが?」
 恐る恐る問えば、相手ははっきりとした肯定を返してくれた。オーラがそう言うのならば間違い無いと、そこでようやく確信が持てた。
 彼女達の会話が耳に入ってきたのか、近くに居たエマも参加してくる。
「私にもそのように見えたな。彼の心境も徐々に変化しているのだろう」
 彼までもがそう言ってくれるのならば、やはり見間違いではなかったのだ、とターヤは脳内で少しだけ小躍りし出す。
「マンスの頑張りが伝わってるんだね、きっと」
「おねーちゃん、呼んだ?」
 自身の名前に反応したらしく、当の本人までもが参戦してきた。ただし、まだオーラの近くには寄ろうとせず、なるべく彼女と目を合わせないようにしてはいたが。
「ううん、マンスの頑張りに感化されたアシヒーが丸くなってきてるなぁって話をしてたの」
 本人に聞かせたくない訳でも聞かれると困る訳でもないのでターヤは説明する。
 すると少年は嬉しそうに表情を輝かせ、しかしすぐに我に返ったように首をぶんぶんと横に振ってから顔を引き締めた。
「で、でも、ぼくはまだモナト以外の精霊は全然助けれてないから、ここで満足しちゃ駄目なんだ! もっと頑張らなきゃ!」
 両の拳を握り締めて気合を入れるマンスを見ていると、ターヤも頑張ろうという気持ちになれた。人は何かしら他人に影響されるのだろうが、マンスのように相手を元気づけられるのは一種の才能だと思うのだ。
(それなら、アシュレイは《元帥》からどんな影響を受けたんだろう)
 そう思った時、自分は彼には逆らえないのだと全身全霊で叫んでいたアシュレイの姿が頭の中で蘇った。最終的に彼女は彼の支配下から脱したが、それまでの彼女にとってはそれが『あたりまえ』の事で、覆せない絶対的な事実だったのだろう。そのような経験の無いターヤには理解できそうになかったが、おそらくはそうなのだと思った。

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