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二十七章 燃え立つ炎‐zeichen‐(8)

「何してんのよ?」
 突然の行動に驚くも、即座に顔を顰めて眼前の青年を睨み付けるアシュレイはしかし、その手を振り払う事も、彼自体を蹴り飛ばしたり殴り飛ばしたりする事もしなかった。
 こちらにも意外だという感想をギャラリーは抱く。
「いや、意外と柔らけぇと思ってな」
 鉱山での提案への返事については自分で口にするのは気恥ずかしかった為、アクセルはふと思った感想を述べるに止める。
「ふぅん」
 質問に合っていない答えだったが、アシュレイは興味が無さそうな声を返すだけだった。かと思いきや、同じように右手を伸ばしてアクセルと同じように彼の左頬に触れる。そして彼の真似をするかのように親指を動かし始めた。
 これには皆も、先にその行動を取っていた当の本人もが驚きを顕にした。
「おまえこそ、何してんだよ?」
「別に。何でもないわよ」
 すばやく我に返ったアクセルは先程の彼女と同様に問うが、その彼女の反応はあくまでも普通だった。
 その意図を何となく察せたレオンスは、揶揄目的半分で横合いから口を挟む。
「はは、相変わらず仲が良いな」
 彼のこの行動は予想の範疇だったアシュレイは視線だけをそちらに向け、余計なお世話だと言わんばかりに睨み付けた。
「別に。ただの、サービスよ」
「ああ、先程の礼かい?」
 けれども、レオンスにはその返答だけで確信が持ててしまう。持論が正しかったのだと、余裕めいた笑みが自然と面に浮かび上がってきた。
 途端にアシュレイは思いきり眉根を寄せた。
「あんた、何が言いたい訳?」
「いや、別に。ただ確かめたかっただけさ」
 これ以上用は無いとばかりに引けば、少女の顔は悔しげに更に歪む。
 事情も意図も完全には解らない残りの面々は、怪訝そうに二人を見るだけだった。


 メイジェルは、放心状態に陥っていた。
 頭の中ではずっと、偶然再会できた親友の言葉が何度も何度も回っている。自分はあの日死んだ筈だという彼女の言葉が、ずっと、いつまでも。
 かくして、今日も既に数時間程、そのようにメイジェルは椅子に前のめり気味に座ったまま微動だにもしていなかった。その周囲で青年や男性達が心配そうに様子を窺っている事にも声をかけてくれる事にも気付けず、ただただ呆然としたままだった。
「な、なぁ、メイ嬢?」
 それを見かねた青年の一人が、遠慮がちに再度声をかけてみる。
 けれども、やはりメイジェルが反応する事は無かった。
 予想通り駄目だった事で、彼らはその場で顔を寄せて声を潜めて話し合う。
「お、おい、今日もメイ嬢、全然反応してくれねぇな」
「もう二日……いや、帰って来てからだから三日だぜ?」
「ほんと、カンビオで何があったんだろうな」
 しかし、考えても考えても彼らには原因が判らなかった。〔ユビキタス〕の元気印とも言えるメイジェルがこれ程までに意気消沈する事など、これまで一度も無かったからだ。しかも、まるで人形のような彼女を送り届けてくれた〔屋形船〕の者達も原因は知らないようで、同じような困惑した表情をしていたのだから。つまるところ、その場に居なかった青年達に判る筈も無かったのだ。

「《親方》は放っとけって言ってるけど、どうしたもんかねぇ」
 ギルドリーダーたるカートウッドにそうは言われても、メイジェルに元気が無いと調子の狂う〔ユビキタス〕の男共である。かれこれ数時間もそうしている事に、当の本人達は全く自覚が無かった。
 そんな彼らにも未だ気付けず、メイジェルは今もまだ座ったままだ。
 しかし昨日までとは異なり、謎の声に語りかけられたような夢を今朝は見た上、その胸中では得体の知れない何かが蠢き始めているように彼女は感じていた。
 どうしてか、無性にウィラードの顔が頭をちらついた。
 場所は変わって、同時刻、セレスもまた自室で一人思考に耽っていた。
 今朝からずっとこの調子なのだが、実際には二日前から引きずっているので、もう三日目と言っても良い程だ。ただし昨日は仕事があったので、その間だけはそちらに集中するべく忘れていられたのだが。
 思い出すのは二日前の事だ。その日は特に仕事も無かった為、偶には仕事以外でも首都の外に行こうと考え、買い物ついでにカンビオまで出向いたのが、それ故にセレスは頭を抱える事となっていた。
 なぜならば、そこで彼女は遠い昔に死んだ筈の親友と会ってしまったのだから。
 その事にひどく動揺した上、親殺しの自分では彼女とはもう昔のままでは居られないと思っていた為、反射的にセレスは彼女を拒絶し、未練を抱えながらもその前から逃げ出した。その選択は間違っていなかったと彼女は思っているのだが、それとは別に気になる事があった。
(どうして、メイは生きてるの?)
 セレスは十五年前の事を、今でも鮮明に覚えている。煌々と燃え盛る炎、ゆっくりと赤い水溜りに沈んでいく親友、その傍に立つ血塗れの凶器を持つ父親――そして、最後に彼を貫いた、自身の血に塗れた手。その全てを、今も尚はっきりと覚えているのだ。
「あの時、確かにあたしの目の前で、メイはクソ親父に殺された筈なのに……」
 震え声の紡ぐ独り言だけが、その場に響き渡った。


 あの後、全員で宿屋に戻ってようやく遅い昼食を取れた一行は、朝の疲労が回復するまで休憩を挟んだ後、目的地はすぐそこだと言うレオンスに急かされるようにして鉱山の麓ベアグバオを後にしていた。
 時は夕刻に近く、空は既に赤く染まり始めている。
「レオン、何か急いでる気がするなぁ。この時間なら、別に明日でも良いと思うんだけど」
「ターヤもそう思ったのか。実は私も同じ事を思っていたのだ」
「エマも?」
 独り言を紡げば横から反応があって、ターヤは驚いて目を少し見開くと同時、自分だけではなかった事に安堵を覚えてもいた。
「ああ。理由は解らないが、なるべく早くその目的地に辿り着きたいようだな」
「でも、レオンの言う『目的地』ってどこなんだろうね?」
 未だ、そこについてレオンスは殆ど明かそうとしていなかった。
 地理にとても詳しいという訳ではないターヤには、ベアグバオの近くにある場所と言えばリンクシャンヌ山脈とアウスグウェルター採掘所、プレスューズ鉱山、ムッライマー沼くらいしか解らない。
 しかし、そのどこも既に通ってきてはいるが、レオンスは特に何も言っていなかった筈だ。
「もしかすると、ごく限られた者しか知らない秘密の場所があるのかもしれないな」
「秘密の場所……」
 その単語に、ターヤはちょっぴり心が躍り、ちょっぴり夢を抱けたような気がした。目を輝かせている時のマンスはこのような感覚になっているのだろうか、と心中で首を傾げる。
 そこでふと、違う事を思い出した。
(そう言えば、さっきのアクセルとアシュレイ、何か雰囲気が変わってたような……)
 単にアシュレイがアクセルを信頼するようになっただけではなく、互いが互いに向けた感情から形成される空気が、以前とは異ならないようで異なるものに変化しているような気がしたターヤである。

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