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二十七章 燃え立つ炎‐zeichen‐(7)

「――〈水精霊〉!」
 思惑が外れた事でソニアが戸惑ってしまった隙に、マンスは《水精霊》を召喚する。
「……ウンディーネ!」
 躊躇しつつも少年が指示を出せば、巨魚はかき集めた水で球を作り、ソニアとシュヴァールだけを的確に閉じ込めた。
 突然水中に囚われる事となった彼女達は少なからずパニックに陥り、そのせいかすぐに息を切らし始める。
 その作戦に、皆は覚えがあった。
「あれは――」
「オーラと同じ……!」
 エマの呟きをターヤが拾い、そしてレオンスとオーラは少年を見る。
 彼はそちらを見ようとはせず、頬に冷や汗を垂らしながら慎重に状況を見守っていた。
 もう限界だとばかりにソニアが喉元を手で押さえ、ごぼりと大きく息を吐き出す。
「! ウンディーネ!」
 それを見たマンスが即座に叫べば、巨魚は水球を解いた。
 解放されたソニアとシュヴァールは、ぐらりと姿勢を崩して地面にうつ伏せで倒れ伏す。シュヴァールの方はそのまま力尽きたのか分身が消えて一匹になったが、ソニアはまだ意識が残っているようだった。
「どう、して……」
 掠れた呟きを落としながら、彼女は残っている力を振り絞って顔と手を持ち上げる。
「アクセ、ル……!」
 届かないと解っていながらも、ソニアは手を伸ばさずにはいられないようだった。
 弱々しく伸ばされる手と縋るような表情を向けられたアクセルは、どうしたら良いのか解らなくなり、その場に立ち尽くすしかない。
「そこまでにしましょうか、ソニア」
 その空気を破るように、第三者の声が割って入っていた。
 視線や首を動かした皆は、街とは反対側からソニアの居る場所へと向かって歩いてくるエルシリアの姿を見つける。
(あれって多分、首輪、だよね?)
 そしてターヤは、彼女の首に以前には見受けられなかった物体が取り付けられている事に気付いていた。小さなベルトのようなそれは、彼女の細く白い首には不釣り合いな代物で、本人が好き好んで装着している訳ではなさそうな事は瞬時に察せた。
 他の面々もまたその無骨な物体に気付いているようで、ソニアに意識を奪われているアクセル以外はエルシリアに視線を移していた。
「出てきたか」
 レオンスだけはまるで猛獣が登場したかのような苦々しげな物言いだったが、エルシリアは一行には目もくれず、倒れ伏した同僚の傍まで来ると立ち止まった。
「勝手に出奔した事を《教皇》様は咎めていらっしゃいましてよ?」
 しかしソニアはエルシリアには気付いていないらしく、ただただアクセルへと手を伸ばすだけだ。お願いだからこの手を取ってくれと、悲痛そうな面持ちで訴えていた。
 それでも、答えをくれなかった彼女の望みを彼は叶えられなかった。
 やがて力尽きたのか、彼女の手はゆっくりと地に落ちる。同時に意識も失ったようで、その顔は地へと伏せられた。
 それを見届けてから、エルシリアは上空へと向けて軽く手を振った。
 瞬間、風を渦巻かせて怪鳥スチュパリデスがその巨体を現す。
「!」
 思わず身構えたターヤだったが、一行など意にも介さずエルシリアはソニアを抱え上げると、同じくシュヴァールを嘴に咥えたスチュパリデスの許へと歩み寄っていく。

「エルシリア……?」
 以前とは明らかに異なる、どこか様子のおかしい彼女が気になったターヤだったが、その答えとなりえる可能性はすぐに思い浮かんだ。
(もしかして、さっきの首輪が原因なの?)
 そう考えれば、それが魔道具である事、おそらくは装着した相手を服従させる類の代物である事、そしてエルシリアはそれを《教皇》に着けられたのだろうという事は、すぐに想像できた。そしてそれが、おそらくは一行にズィーゲン大森林の前で負けた後に着けられたのであろう事も。
 あの選択は間違いではなかったと今も思っているが、ターヤは少しばかり罪悪感を覚えた。
 エルシリアは抱えたソニアと共にスチュパリデスに乗ると、最後まで一行に対しては何も言わないまま怪鳥を上空へと羽ばたかせ、そしてあっと言う間に飛び去っていった。
 いったい何だったのか、と一行は胸中に靄を残す事になる。
 ただ一人、ターヤだけは、怪鳥が飛び立つ直前にエルシリアがこちらを見たような気がした。
「ったく、本当に面倒な奴」
 怪鳥の姿が完全に見えなくなったところで、はぁ、とアシュレイが溜め息を零す。
「災難だったな」
「全くもってそう思ってない事が声でバレバレよ」
 言葉とは裏腹にどこか楽しそうなレオンスには、見ずに言い返す。それからアクセルを見た。
「あの女、最初にあんたに会いに行ったのね」
「ああ、俺を〔教会〕に勧誘しにきたんだ。つっても、俺はまだあいつから答えを貰ってねぇから、応とも否とも言えなかったけどな」
 直後、アシュレイの周囲の空気が思いきり重くなったようにターヤは感じた。
 視線を動かせば皆も同じように感じているらしく、オーラやレオンスでさえもが彼女と目は合わせないようにしながら、その様子を窺っている。
「ふぅん……あの女、とうとうそういう手段に出てきたのね」
「え、あ、いや……そ、そう言えば、おまえ、服を変えたんだな!」
 雰囲気の急激な変化に気付いたアクセルは慌てて話を逸らそうとしたところで、彼女の服装が変わっている事を思い出した。先程は状況が状況だったのでそこについては何も言えなかったが、今ならば言えるのだと気付く。自分でも気付かぬうちに、優しい笑みが浮かんでいた。
「軍服の方が見慣れてるから違和感はあるけどよ、似合ってるよな」
 瞬間、アシュレイが硬直した。重苦しい空気はまるで最初から無かったかのように綺麗さっぱり消え失せており、次いで、その頬がほんのりと赤く染まっていく。
 言わずもがな、ターヤもエマも皆も思わず言葉を失った。
(アシュレイが、アクセルにちゃんと素直になってる……)
 今までの彼女ならば、顔は赤くしながらも素直になれずに言い返すなどしていたところだろう。オーラを頼った事と言いレオンスを買い物に同行させた事と言い、少しずつ皆には心を開いているようだった。
 それが、ターヤは密かに嬉しい。本人に知られれば怒られると解っているので、言う気は無いけれど。
 だが、それを見たアクセルが照れ隠し半分に意地の悪い面を発揮しようとしていたので、慌ててターヤは会話に割り込む事にした。このままでは彼が自滅しかねないと思ったし、再びアシュレイの機嫌が悪くなるのは勘弁してほしかったからだ。
「ね、ねぇアシュレイ、髪型は変えないの?」
「え、ええ」
 唐突に変えられた話題にアシュレイは戸惑ったようだったが、すぐに頭を切り替えて頷いた。
「髪型は、このままで良いのよ」
 その時、視線が一瞬だけエマに向けられたようにターヤには思えた。
 同じく気付いたらしく、アクセルは内心のもやもやした部分もあってか少々不満そうに眉根を寄せた。けれども何事かを思い付いたように少し考え込んだ後、アシュレイの眼の前まで行く。それに対して彼女が何かを行うよりも早く右手を伸ばすと、あろう事かその頬に触れていた。
 一見自殺行為とも取れる彼の行動に他の面々は唖然とするが、彼は構わず、彼女の頬の腹を撫でるようにして親指だけをゆっくりと動かし始めた。

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