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二十七章 燃え立つ炎‐zeichen‐(5)

「……ったく、今日はなかなか食事にありつけない呪いでもかかってるのかしらね?」
 少々わざとらしく困ったように肩を竦めて視線を寄越した先に現われたのは、案の定ソニアだった。アシュレイの服装を認識した時は動揺の色が浮かびもしたが、その眼はすぐに射殺さんばかりに鋭くなる。
「それで、今回は何の用な訳?」
 そこから彼女の様子が今までとは異なる事に気付きつつも、どうせ今回もまたアクセル絡みなのだろうとアシュレイは呆れ交じりに予測できていた。
 ところが、普段ならば淑女らしさもどこへやらとばかり噛み付いてくる筈のソニアは、何も言い返してこなかった。
 流石に怪訝に思い、もう一度声をかけようとする。
「あなたが、アクセルを誑かしたのですの?」
 しかしそれよりも速く、呟く声があった。まるで地の底から這い出してきたかのような声だった。
 反射的にアシュレイの背筋を寒気が走ると同時、ソニアの表情が憤怒の形相と化す。
「あなたさえ居なければ……!」
 その凶器と化した瞳の奥では、深淵の如き黒が渦巻き始めているように見えた。やばい、と直感的に察した時には、既にソニアは杖を構えていた。
「『現われよ円陣』――」
「ったく、何だってのよ!」
 問答無用とばかりに早口で詠唱を開始したソニアに悪態をつき、アシュレイは再び抜刀したレイピアを手に、彼女目がけて真っすぐに駆け出す。
 だが、今朝の疲労はまだ完全には回復していないようで、一瞬足から力が抜ける。
「っ!」
 それでも意地で即座に持ち直し、アシュレイは普段よりは少し速度を落として突進していった。相手の許へと駆けつけるや否や、レイピアを構えて一直線にその腹部を狙う。
「――〈浄化の円陣〉!」
 しかし、相手の魔術が完成する方が、体勢を崩してしまった一秒分早かった。
「!」
 ソニアとレイピアの切っ先との間に光で構成された円陣が現われ、そこからアシュレイ目がけて一直線にビームが発射される。
 反射的に横に避けたものの、普段のようには動いてくれずに遅れた右足をビームが掠めた。
「っ……!」
 予期せぬ痛みに顔が僅かに歪められ、アシュレイは体勢を大きく崩した。
 この隙にソニアはまたしても早口で詠唱を構築しており、相手に狙いを定める。
「――〈光〉!」
 初級魔術故にすばやく完成したそれは、今のアシュレイには逃げる暇など与えなかった。
(やっば――)
「――ソニア! 止めろ!」
 だがしかし魔法陣から飛び出した光球は、間に割って入ってきた大剣の刃により阻まれる。
「なっ――」
「アクセル!?」
 突然の闖入者にアシュレイは唖然とし、ソニアは悲鳴にも似た驚き声を上げた。
 アクセルは、アシュレイを庇うようにして立ちながら、ソニアを睨み付けるように見る。
 彼にそのような目で見られたソニアは途端に杖を縋るように握ったまま縮こまり、ひくっと喉を鳴らした。まるで親に悪事を見咎められた子どものようだった。
 そこまで目にすれば、アシュレイは状況が読めてきていた。
「やっぱり、これってあんたが原因な訳? それにしても、あんたの婚約者様はよっぽど嫉妬深くて思い込みが激しいみたいね」
「わりぃ、多分そうなんだろうな。と言うか、そこについては再会するまで俺も知らなかったんだっての」
 目だけを彼女に向けて申し訳ないという声で肯定してから、アクセルはソニアに声をかけようとした。

「アクセルが!」
 しかし、悲鳴のような叫び声がそれを遮る。
「その女に誑かされるのが悪いのですわ!」
「何がどうなってそうなってんだよ!?」
 思わずツッコミを入れてしまうアクセルだったが、ソニアには聞こえていないようだった。
 そしてアシュレイは、彼が彼女を恋愛感情で見られない理由を何となく察せた気がした。
(妹って言うよりは、お姉さんぶる妹ね。昔のあいつがどんな奴だったのかはまだよく解らないけど、女に守られて世話を焼かれてる構図が嫌だったんでしょうね)
 そうと解れば、そこに気付けなかったソニアがいっそ哀れに思えてきた。無論、本人に言ってやるつもりなど微塵も無いが。
「だいたい、あんたには《守銭奴》が居るでしょうが」
 その辺りに対する皮肉も若干込めながら、アシュレイが前から気になっていた点を指摘してやれば、途端にソニアは慌てたように弁解するような言葉を並べたて始めた。
「ザッ、ザカライアス兄様は従兄ですわ! それに掟もありますもの!」
「それならアクセルだって似たようなもんじゃないの? それに、あの男はあんたをとーっても好いてるみたいじゃない。だったら家柄がどうとかは関係無いと思うけど?」
「アクセルは違いますわ! それに私は、アクセルでないと――」
 感情のままに言いかけて、けれどそこで続く言葉が出てこないかのようにソニアは声を途切れさせた。
 アクセルは複雑そうに彼女を見ていたが、アシュレイは彼女への態度を貫き通す。
「君が色恋に溺れるのは勝手だけど、その暴走に巻き込まれる俺達の身にもなってほしいな」
「!」
 そこに突然聞こえてきた声で我に返ったソニアが背後を振り向けば、そこにはいつの間にかレオンスが立っていた。
「君がアクセルとアシュレイしか視界に入っていなかったおかげで、君の背後を取るのは随分と楽だったよ。そういう意味では、今だけは感謝しておいた方が良いのかい?」
 嫌味を口にしながらレオンスは左右に目配せした。
 まさかと思いソニアが反射的に視線を動かせば、彼女を包囲するように、その左右にはスラヴィとエマが陣取っていた。離れた場所にはターヤとマンス、そしてオーラも居る。
 不覚という思いから顔を顰めたソニアへと、対〔教会〕の態度になっているレオンスは続けて言葉を放る。
「それにしても、アクセルが好きなのなら、どうして君は〔教会〕を辞めないんだい? アシュレイとは一悶着あるだろうけど、こちら側に来るべきじゃないのか?」
 言うまでもなくアシュレイが睨み付けたが、レオンスは気付かない振りをする。
 彼の言を聞いて確かにとターヤは思ったが、〔教会〕の本拠地たるサンクトゥス大聖堂に連れていかれた際の、エルシリアをとても気にかけていたソニアを思い出す。二人がどのような関係なのかは知らないが、ただの同僚同士という訳ではなさそうだった。
「いいえ、それはできませんわ。私はエルシリアを放ってはおけませんもの」
 ターヤが思った通り、ソニアはレオンスの提案を否定した。
 彼は最初から予想はできていたようで驚きはしなかったが、興味深そうに目を細めた。
「へえ、あのエルシリア・フィ・リキエルをかい?」
「ええ。あなたには解らないとは思いますけれど、私にはアクセルと同じくらいエルシリアが大切なんですの」
 レオンスをばっさりと切り捨てて、ソニアは顔を伏せながらそっと胸に手を当てた。
「エルシリアが居てくれなかったら私は、きっと今ここに居られなかった筈ですもの」
 きゅっとその手を握り締め、顔を持ち上げ、そして元の場所を見る。その眼が、アシュレイを捉えた。恨みと憎しみとがたっぷりと込められた、猛き炎を宿した瞳だった。その杖の先端が、アシュレイへと真っすぐ向けられる。
「だから、私はエルシリアから《導師》様を奪うあなたが……アクセルを誑かすあなたが、心の底から大嫌いですわ、アシュレイ・スタントン!」

タエニゴンスカイズ

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