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二十六章 裏切りの豹‐erosion‐(8)

「あいつ、何を考えてんだよ。殺すとか言っといたくせに、攻撃らしい事も何もしてねぇし」
 それは一行も同じ事で、アクセルは鋭い目付きのまま怪訝そうにオーラを見ていた。
「今に解るさ」
 それに返されたレオンスの言葉に、彼が何事かを言い返そうとした時だった。
「!」
 突如としてヘカテーが表情を変え、その動きを止めたのだ。
 すぐには事態が飲み込めず、一行は怪訝そうに前方に意識を戻す。
 当のヘカテーはと言えば、訳が解らないと言った様子でアシュレイの身体を見下ろしていたが、そこで自身の身体を蝕む違和感に気付く。まさかと思いながら視線を動かした先にあったのは、一転して余裕を滲ませながら近付いてくるオーラの顔だった。
「ようやく気付かれたようですね。貴女の御想像通り、魔導書越しですし、少しずつではありますが、スタントンさんの身体に私の〈マナ〉を流し込ませていただきました。そもそも、私はスタントンさんを殺すなどとは一言も口にしてはおりませんが?」
「……!」
 途端にヘカテーは、それまでの笑みからは完全に反転して苦々しげで憎々しげな顔付きとなり、皆は彼女の思惑を完全に理解する。
「そうか、オーラは《神器》としての〈マナ〉を流し込む事で、強制的にヘカテーを浄化しようとしているのか」
「ああ。最初から、彼女の狙いはそれだけだよ」
 気付いて声を上げたエマに肯定の意を示し、それからレオンスはアクセルに視線を寄越した。
 彼は気まずそうに目を逸らすも、その顔には申し訳無さが大きく表れていた。
「それと、先程の貴女の言葉を訂正させていただきましょうか」
 そのような会話が後方で起こっている事に気付いているのかいないのか、オーラは手を伸ばして逃げる暇も与えずにヘカテーの心臓部分に手を当てる。その顔が、心外だと言わんばかりに感情に彩られた少女そのものになった。
「私がこの手を汚すのは、それが必要とされていた時だけです!」
「!」
 目を見開いたマンスの前で、自身の言葉を合図として、彼女は持てる〈マナ〉全てを注ぎ込まんばかりの勢いで、更に際限無くアシュレイの身体へと流し込んでいく。
 驚いたヘカテーはその手を離そうとするが、まるでぴったりとくっ付いているかのように離れなかった。その際、レイピアが地面へと音を立てて落ちる。
 あまりに強い勢いで高い濃度の〈マナ〉を注いだからか、それは誰の目にも解るくらいに具現化し、この場における全員に〈マナ〉の目視が可能になった。
 そしてそれ故に、皆はオーラが放出している〈マナ〉の量と濃度が異常である事に気付く。
「駄目だよオーラ!」
「おい、オーラ! おまえ死ぬ気かよ!?」
「君にはまだやる事があるよね!?」
 流石にこれはまずいとしか思えなかったようで、ターヤやアクセルだけでなく、スラヴィまでもが咎めるように大きな声を上げていた。
「オーラ、君は――」
 レオンスもまた声をかけようとするが、我に返ったように途中で口を噤んでしまう。
 他の面々が口々に制止の声を上げても、彼女は聞く耳を持たなかった。
「良い、のか? こんな、自分を捨てるような真似をして……」
 疲弊したヘカテーは何とか足掻こうとするが、オーラの決意は微塵も揺るがない。
「黙っていてください! 貴女を浄化すれば――っ!?」
 だが、唐突に彼女の声が変に途切れたかと思えば〈マナ〉の放出は止まり、途端に視認もできなくなる。
 いったい何が起こったのかと騒然となった一行の眼前で、ふらりとオーラの身体が横、後ろと順々に揺れていき、最後はヘカテーを掴んでいた手も離れ、その場に崩れ落ちるようにして座り込んだ。

「「……?」」
 そこでターヤとアクセルは、ヘカテー以外の闇魔の気配を感じ取った気がした。他でもない、オーラから。
(今の、何?)
(何で、あいつから闇魔の気配がしたように感じたんだ?)
「そんな、まだ、残っていたなんて……!」
 疑問を覚えた二人には気付かず、完全に力が抜けて座り込んでしまった体勢のまま、呆然とした様子でオーラが呟く。
 対して、ヘカテーは〈マナ〉によるダメージは少なからず受けてしまったものの、形勢が逆転した事で優位性と余裕とを取り戻していた。
「何だ、《神器》ともあろう者が、何とも情けない事だな」
 理解した上で向けられた皮肉に、オーラの顔が悔しげに歪む。
「あたしを浄化したかったようだが、これはとんだ失敗だったな。ここは様を見ろ、と言うべきなのだろうなぁ」
 そう言うや否、ヘカテーは蹲るオーラの腹を思いきり蹴り上げた。
「っ!?」
 突然の衝撃と痛みに表情を歪めた彼女は、そのまま横向きにされるようにして地面に叩き付けられる。咄嗟に魔導書と頭を抱えるように丸まりはしたものの、声は上げずとも苦悶の顔となった彼女に気を良くしたのか、ヘカテーは力が抜けて動けないらしき彼女の脇腹を、手を足を、一方的に蹴り始めた。
「オーラ!」
 相手に怒りを覚えると同時、彼女を助けるべくレオンスは防御魔術から外に出ようとするが、当の本人が意地でも解こうとしないのか、一行に薄い膜が消える様子は無い。攻撃を加えたところでそれは同じ事だった。
 皆もまた加勢しようとするも敵わない様子で、ターヤとマンスは慌てて詠唱に入っていた。
「どうしてなんだ……!」
「同じ轍を踏ませたくはないからだよ」
 悔しさから拳を握り締めて膜に叩き付けたレオンスの疑問に応えたのは、前方を向いたままのスラヴィだった。その顔は、怒っているようにも見えた。
「最悪の場合を考えた時に、自分と同じ人殺しになってほしくないから、彼女は俺達を護ろうとしてるんだよ」
「そんな事くらい――」
 解っていると叫ぼうとしたレオンスだったが、思うところがあったのか最後までは言えずに言葉を止めてしまう。
 その間もオーラは抵抗できずに蹴られ続けたままで、何もできない事が一行は歯痒かった。
 そんな彼らには気付いていたらしきヘカテーは、ようやくわざとらしい声を出しながらそちらを見た。
「何だ、おまえ達も混ざりたいのか? それなら、その望みを叶えてやろうじゃないか」
 彼女が片方の掌を一行へと向けた瞬間、黒い何かが弾けたかと思えば、次の瞬間には皆は衝撃に襲われて吹き飛ばされていた。
「うわあっ!」
「きゃあっ!」
 何が起こったのかも解らないうちにオーラの防御魔術はいとも簡単に破壊され、一行は更に後方へと追いやられた。そのまま地面に叩き付けられたマンスとターヤとは異なり、受け身の取れた前線組はすぐさま立ち上がり、反撃に転じようとする。だが、アシュレイを殺す事になるかもしれないという事実を思い出せば、無意識にブレーキがかかってしまった。
 結局は少しも攻撃できない一行を嘲笑うようにヘカテーは足でオーラを甚振り続けたまま、残りの面々に対しては、向けた掌から闇の元素で構成された球体や波動を差し向ける。
 思うように動けない一行は、魔術や武器などで何とか戦況を防戦一方に留めるしかできなかった。

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