The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
二十六章 裏切りの豹‐erosion‐(7)
馬鹿にしたような物言いに反射的に反論しようとしたアクセルだったが、この言葉によりある事に気付いたエマが先に口を開く。
「そうか、先程は貴様がアシュレイを無理矢理動かしていたのか……!」
「「!」」
怒りを堪えているような彼の発言で、皆もまたその意味するところを知る。
先程の戦闘で《風精霊》による拘束を破った時から、元に戻るまでアシュレイは様子がおかしかったが、それはヘカテーに動かされていたからだったのだ。故に、それまでは手加減しているようだったのに、あの時だけは容赦なく攻撃を加えようとしていたのだろう。
対してヘカテーは、滑稽だとも言いたげに更に笑みを深めていた。
「ああ、そうだとも。チーターはおまえ達を傷付ける覚悟もできてはいなかったようだが、それではあたしがつまらないからな。ちょうど精神も不安定になっていたから、少々遊ばせてもらったのさ」
チーター、という単語がアシュレイを指している事は誰もがすぐに理解した。
「てめぇ……!」
事実を知るや、アクセルの眼が相手を射殺せそうなくらいに鋭くなる。
他の面々もまたそれぞれ敵意を向けているが、ヘカテーはどこ吹く風と言わんばかりに飄々としたままだ。
「ああ、その眼だ。実にぞくぞくするなぁ」
寧ろ益々楽しそうに嗤うだけだった。
その反応に底知れぬ寒気を覚えたターヤだったが、対照的にアクセルは動じた様子も無く静かに大剣を構え直していた。
「いいかげん、黙れよ」
ただし、その表情には今にも溢れ出しそうな憤怒を湛えて。
皆もまた武器を構え直してヘカテーと相対する。先程の戦闘同様、アシュレイを瀕死状態まで追い込む事は覚悟の上だった。
「ああ、そうそう。言い忘れていたが、今のあたしはチーターそのものだからな、あたしを殺そうとすれば、宿主も一緒に死ぬと思ってくれ」
だが、それを見越していたヘカテーは先手を打つ。
「!」
「ようは、アシュレイからてめぇを引き剥がせって事だろ?」
まさかの事実に愕然としたターヤ達にも聞こえるようにアクセルは言い返す。
彼の言葉で皆はそこについては安心し直す。
「いいや、それが残念な事に、あたしとチーターはもう五年もの付き合いになるからなぁ、最早一心同体と言っても過言ではないだろうな」
かと思いきや、調停者さえも知らなかった爆弾をヘカテーは投下してみせた。
「! まさかてめぇ、アシュレイ自身が生み出したのかよ……!?」
この発言にはアクセルが目をこれでもかと言うくらいに見開き、次いで震える声を紡ぐ。
ヘカテーは何も言わなかったが、その深まる笑みが何よりの肯定だった。
以前アクセルから闇魔について聞いていた一行もまた、彼の言葉で事態を理解する。
生命に憑いている闇魔には二種類のケースが存在するが、そのうち、宿主自身が生み出した闇魔については非常に厄介だ。何せもう一人の宿主と言っても過言ではなく、無理に宿主から引き剥がそうとすれば、宿主本人の精神を殺しかねないのだから。それは光属性の攻撃でも加護を受けた者の攻撃でも簡単ではなく、宿主と闇魔のシンクロ率が高ければ高い程難しくなるのである。
また、シンクロ率が高かった為に闇魔が宿主を完全に掌握してしまっており、宿主を行動不能にしようと瀕死に追い込んだところ闇魔のダメージをも背負わされて宿主が死んでしまった、という事例も調停者一族の記録にはあったそうだ。
「そうか、あの時には既に……!」
何かに思い至ったようで悔しそうにエマが顔を歪める。
それが〈軍団戦争〉の事を指しているのかと直感的に推測したターヤだったが、今はそちらよりも目先の事だった。
(どうしよう、どうやってアシュレイから、あの闇魔を追い出せば良いの?)
「さて、おまえ達がどうやってあたしと――チーターと戦うのか、見ものだな」
途端にどうすれば良いか解らなくなり顔を蒼白にしたターヤをまるで嘲笑うかのように、ヘカテーは見せつけるようにして鞘からレイピアを引き抜く。そして次の瞬間、一行目がけて高速で突撃してきた。
「来ます!」
すっかりと気後れしてしまった皆を鼓舞すべくオーラは鋭く叫び、後衛二人を護るように魔導書を構えた。
ヘカテーは真っ先に近くに居たアクセルを狙う。
彼は咄嗟に大剣で刺突を受け止めたが、先程の言葉が頭をよぎり反撃には移れなかった。
その隙を見逃さず、すばやく腕を引いたヘカテーは再度レイピアを突き出した。それは大剣による防御の穴を見極め、僅かに露出していた無防備な脇腹へと突き刺さる。
「ぐっ!」
攻撃力はそれ程無いとは言え、他の事に気を取られて集中力に欠けていたせいか、痛覚を刺激されてアクセルは呻き声を上げた。
「〈蔦〉」
追撃しようとしたヘカテーだったが、オーラの魔術に気付いて即座に後退する。
蔦は獲物を絡め取り損ね、静かに〈マナ〉へと還っていった。
「危ない危ない。そう言えば《神器》が居たのを忘れていたなぁ」
わざとらしく言ってみせるヘカテーの余裕は全く崩れていない。前線組からは距離を取ったとは言え、アシュレイの身体を使っている以上、ほぼ一瞬で詰める事のできる間隔だった。
だからこそ一行の警戒具合も高いのだが、彼女を殺してしまうのかもしれないという懸念が、思いも寄らぬ枷となって行動を制限していた。
「皆さんは、下がっていてください」
それを察していたオーラはやはり駄目かと状況を把握し、前線組の前へと歩み出た。
「! オーラ、止めろ!」
何をするつもりかと訝しげに彼女を見た一行とは異なり、途端に顔色を失ったレオンスが焦ったように叫ぶ。
しかし、彼女は誰の干渉も受け付けようとはしなかった。
「私が、スタントンさんを止めます」
「「!」」
作為的に無機質なものへと仕立て上げられた声が、全てを物語っていた。
「てめぇ、アシュレイを殺す気かよ!?」
意図に気付いたアクセルが掴みかかる前に、エマが彼女を止めようとする前に、レオンスが彼らを止めようとする前に、オーラ本人を除いた一行全員を〈防護幕〉が覆っていた。まるで邪魔されないよう隔離するかの如く。
これにより益々アクセルの険は強くなっていく。
「てめぇ……!」
「オーラ!」
制止の意でターヤが名を呼ぶも、もう彼女が振り返る事は無かった。
「なるほど、流石は《世界樹》の《神器》という事か。世界全体の為に、あたし諸共チーターを殺すのだろう?」
一行と彼女の間にできかけている亀裂を広げようとヘカテーは煽るが、オーラは無視しようとするかのように何も言わなかった。ただ魔導書を構えたまま、ヘカテーと対峙するように進み出ただけだ。
つまらないと言わんばかりに一度だけ肩を竦めてみせた直後、ヘカテーは消えていた。
驚く一行の目の前で、彼女はオーラの背後に現れる。
だが、それを予測していたようにオーラは魔導書でレイピアを受け止めた。
再びヘカテーは跳び退ったかと思えば掻き消え、またもやオーラの死角に現れて攻撃を繰り出す。
けれども彼女は同じように魔導書で受け止めただけで、そうして相手に隙ができたとしてもいっさい攻撃行動には移ろうともしなかった。ただ、攻撃をされれば魔導書で受け止めるだけだ。
流石に奇妙に思ったのか、ヘカテーはすばやく距離を取ってオーラの様子を窺い始めた。