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二十六章 裏切りの豹‐erosion‐(6)

「けど、君は魔物になった時、明らかに手加減していただろう? 強化された君が本気になれば、幾ら能力を底上げしたところで俺達が速さで勝てるとは思えないからな」
 しかし、アシュレイの言葉は真っ向からレオンスが否定する。
 まさに彼の言う通りである為、皆も彼女の言葉を受け入れようなどとはとうてい思えなかった。
「そうだね。君は結局、俺達に近づきすぎて裏切りきれなかった」
「そうだよ! だってアシュラのおねーちゃん、途中から何か変だったけど、でも、ぼくたちをちゃんと攻撃する気はぜんぜん無かったよね?」
 スラヴィとマンスの的を射た発言にアシュレイは反論できなかった。図星故に言葉を失う。
「スタントンさん。確かに貴女は抗えない鎖に雁字搦めに縛られていて、自分では解っていてもどうしようもないくらいに身動きができなくなっているのでしょう」
「!」
 そこにオーラが続けた言葉で、弾かれるようにしてアシュレイは彼女を見た。その眼は驚きに染められている。
「あんた……」
「ですが、命そのものを縛らない鎖など絶対なものではありません。貴女には打ち明けられる心強い仲間が居ますし、彼らも貴女が素直に頼めば御力になってくださる事でしょう。ですから、そう自暴自棄にならないでください」
 暗に、自分と同じ轍を踏むなと彼女は言っていた。
 オーラのこの言葉には皆も頷いてみせ、アシュレイに視線を集わせて彼女の返答を待つ。
 当のアシュレイは、皆が自分を仲間として認識してくれているのだと知り、胸が熱くなっていた。もしかしたらと別の希望を抱く反面、これまでに構築されてきた精神がその選択肢を阻もうとする。二つの思いが鬩ぎ合い、彼女は自分でも訳が解らなくなりそうだった。
「……それでもっ! あたしには、ニールしか居ないの!」
 結局、アシュレイの中で競り勝ったのは、旧来の刷り込まれた精神だった。
「だったら、俺に依存しろ!」
 だが、そこに誰も予想していなかった言葉が飛んでくる。
 驚いた皆が視線を動かした先には、アシュレイを一直線に見つめるアクセルが居た。
「あんた、何を――」
「そんな、おまえの意志を無視する奴に従うのなんか止めちまえ! そんな奴に従ってたところでおまえが苦しむだけだ! 俺なら、おまえの想いを踏みにじったりなんかしねぇ!」
「っ……!」
 唖然として向けようとした彼女の声を遮った彼の言葉は、ずっとずっと心の奥底で欲しがっていたものだった。縋りたいという感情が一気に拡大していくのを彼女は止められなかった。
 アクセルはそこで終わらせず、彼女の心を少しでも動かそうと言葉を止めない。
「だから俺にしとけ、アシュレイ!」
 思わず答えそうになった口を咄嗟に噤み、アシュレイは否定しようと首を振った。
「何、言ってんのよ。そんな簡単にいく訳ないじゃない。それに、あたしは……『アシュレイ・スタントン』は『ニールソン・ドゥーリフ』には逆らえない。そういう、契約なの。そうやって、保ってきたの。だから――」
「それがどうしたってんだよ! おまえの悩みはその程度の事なのかよ!」
 それでも彼になら明かせるかもしれないと口にした、自身の根幹を占めていたものに対する彼の発言を耳にした瞬間、まるで百年の恋も冷めたかのように即座にアシュレイは冷静さを取り戻した。眼に剣呑な光が宿る。
「その程度、ですって?」
「ああ。俺からしてみりゃ、何で悩んでんのか解んねぇよ」
 相手の変わり様を見て内心では普段の調子が戻ってきた事に安堵しつつも、その思考は億尾にも出さず、アクセルは挑発めいた言葉を続ける。
 瞬間、アシュレイの眼が完全に見開かれた。冷静さは一転、激昂へと変化する。
「っ……あんたにっ、あたしが――『アシュレイ・スタントン』が解ってたまるか!」

「ああ、解らねぇよ」
 大きくも騒がしくもないというのに、どうしてか迫力のある声だった。
 思わずアシュレイが、高ぶる感情を完全に鎮静化されて固まる程に。
「解らねぇけど、受け止めてやるくらいになら俺にだってできるんだ」
 だから、と。
「おまえが本当に今の状況を打開したいのなら、俺の手を貸してやる」
 どこまでも真剣で本気な眼に射抜かれて、アシュレイはもう言葉も無かった。
「アシュレイ! わたしはまだ未熟で頼りにはならないかもしれないけど、でも、わたしにできる範囲で力になるから! だから、自分を止めてほしいからって殺されたいなんて思っちゃ駄目だよ! アクセルもわたしも皆もアシュレイに生きててほしいし、一緒に居たいから、だからそんな事はもう二度と思わないで!」
 彼の言葉を後押ししようと、皆の許まで行ったターヤもまた口を開く。本人が思うほど彼女は一人ではないのだと、自分の殻に閉じ籠ろうとしているようにしか思えないアシュレイに解ってほしかった。
 その内容に皆は驚愕するも、今はそこに触れようとはせずに成り行きを見守っている。
「アシュレイ!」
 ターヤの言葉にも揺り動かされたアシュレイへと、アクセルは止めの一撃を落とす。
「今の自分から変わりたいのなら、俺の手を取れ!」
 そう言って差し出された手は、真正面から向けられたアクセルの声と言葉は、どこまでも真摯だ。それは、アシュレイの頑なだった心を突き動かす決定打としては、あまりに充分すぎた。
 気付けば、彼女は無意識のうちに彼の手を取ろうと自身の手を伸ばしていた。
 彼もまた、迷子の子どものような途方に暮れた顔で伸ばされた彼女の手を掴もうとする。
「認められないな、そのような事は」
 だが、唐突にその唇が第三者の声を紡いだ瞬間、エマが顔色を変えた。
「アシュレイ!」
 珍しく切羽詰まった彼の声を皆が不審に思うより速く、アシュレイの影から黒い靄がぶわっと噴き出す。
 同時に、ターヤとアクセルは嫌な気配を感じ取っていた。
「闇魔、だと……!?」
 驚愕の顔付きとなった彼の前で、後少しでその手が届く筈だった少女は、それまでとは別人のように愉快そうな表情で嗤っていた。
「久しぶりの外がまたもダンジョンの中で、しかもこの鉱山とはなぁ。つくづく、あたしはこことは縁があるようだ」
 あまりの変わり様に事態が飲み込めずに唖然とする一行は放置して、アシュレイであった彼女は周囲を見渡しながらの独り言を終えた後、ようやく彼らを一人ずつ見回していく。
「初めましてと言うべきかな、生物諸君――それと、神の眷属」
 そして、最後に彼女はオーラで視線を止めた。
 これに対して、オーラは動じた様子も無く彼女の正体を白日に晒す。ただし、うっすらと頬に汗を滑らせながら。
「ヘカテー、スタントンさんに憑いている《冥府の女神》と称される上級闇魔ですね」
「「!」」
 彼女の発言には皆の目が大きく見開かれる。
 レオンスが、茫然とした表情で闇魔に憑かれている少女を凝視した。
「アシュレイが、闇魔に侵されてたなんて……」
 思わず片手で口元を押さえたターヤは、全く気付かなかった自分を内心で叱咤する。
 アクセルもまた悔しさを隠さず面に表しており、それを目敏く見つけたアシュレイは――ヘカテーは楽しそうにくつくつと嗤う。
「《神器》はとっくに気付いていたようだが、それに比べておまえ達二人ときたら、《世界樹》の加護を受けていると言うのに、今の今まであたしの気配にも気付かないんだからなぁ。これはとんだお笑い草だ」

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