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二十六章 裏切りの豹‐erosion‐(5)

 しかしオーラの表情は揺るがない。
「彼女を止める為には、これしか方法がありません」
「だからって、そんな事したらアシュラのおねーちゃんが死んじゃうかもしれないんだよ!? それに、どうしてぼくに言うのさ?」
 一歩も引こうとしない相手とその内容に苛立ちが瞬間的に膨れ上がり、マンスは思わず叫んでいた。
 彼の大きな声で意識を割かれたらしく、皆が怪訝そうに視線を飛ばしてくる。
 加えてそれが引き金となったのか、マフデトが鋭い眼を向けてきた。
 弾かれるように身を竦ませたマンスだったが、オーラはただまっすぐに彼だけを見ていた。
「いいえ、貴方でなければならないんです。彼の事を、理解してさしあげてほしいから」
 マンスには全くもって、訳も、彼女言うところの『彼』が誰を指すのかも解らなかった。けれども彼女が冗談など微塵も無く、どこまでも真剣に言っている事だけは感じ取れた。
 言う事はそれだけとばかりにオーラは身体の向きを直す。そして魔導書を構えた。
「! オーラ!」
 意図に気付いたレオンスが声を上げるも、衝撃の後遺症があるのか、腰は下ろしたままで〈防護幕〉の中で守られているしかない彼にはどうする事もできない。
 他の面々も勘の良い者は何となく察し始めているようだったが、彼らもまた同じ事だった。
 それでも納得のいかないマンスは渋ろうとする。
「でも、こっちに注意が向いちゃってるし――」
「なら、俺に任せとけよ」
 けれどもそこに、オーラに対して助け船を出す者が居た。アクセルである。彼は一人防御魔術に守られた状態のまま、肩口で大剣の峰の方を軽く叩いていた。
 驚き顔でマンスは彼を見る。状況を理解しているのだろうか、と疑った。
 マフデトは獣の勘か、特にオーラを警戒するように視線を送りながら、先程からずっと攻撃はせず隙も見せずに周囲を窺っているだけだ。相手側が全員強固な守りの中に居るので、攻めても無駄だと認識しているのだろう。
「トリフォノフさん」
「おまえを信じるし、任せたからな」
 最後までは言わせず、アクセルはオーラからターヤへと視線を戻す。
「ターヤァ、支援を頼むぜぇ!」
「う、うん!」
 オーラが張ってくれた〈防護幕〉の中、マフデトを気にしながらもマンスの声でそちらにも気を逸らされていたターヤは、指名を受けて驚くも、すぐさま頷いてみせた。杖を構え直して詠唱を開始する。
「『強固なる不動の盾となりて』――」
 この間にもオーラが防御魔術を解き、アクセルはマフデトへと向かって一直線に駆け出していた。
「アクセル!」
 あまりに無謀すぎるその行為には、エマが思わず呆れ顔となって叱責の声を上げるも、彼は聞く耳を持たなかった。
 接近してくる人間に気付いたマフデトは迎え撃たんと咆哮してから、一気に動いた。
 あれ程の巨体が一瞬で消えた事にマンスは驚き、しかしすぐにアクセルの背後に現れた豹に気付く。
「――『彼の者を支え給え』!」
 危ない、と叫ぶより速くターヤの声が届いた。
「〈技防上昇〉!」
 彼女の声と同時に、マフデトの爪が無防備な背中へと振り下ろされるが、アクセルが咄嗟に身体を横にずらした事で、その攻撃は肉でも服でもなく背負われていた鞘を直撃した。ターヤの支援魔術もあって身体には大した衝撃も無かったものの、その勢いで彼は横薙ぎに吹き飛ばされる事となるが、反射的に大剣を地面に突き刺す事で防ぎ、それを基点として思いきり一回転する。
「うぉ――りゃぁぁぁぁぁ!」
 そのまま彼は、その反動で勢いよく空中へと飛び上がった。

 これを見て驚愕する面々など知らず、青年はそのまま同じように虚を突かれてしまったマフデトの背中に飛び乗る。
 驚いた豹が振り落とそうと暴れ出し、他への意識が薄れた時だった。
「今だ!」
「〈水球〉」
 アクセルが合図とするべく叫び、オーラが用意していた魔術を発動させる。
 瞬間、マフデトの顔を水の球が完全に覆った。
「!」
 ごぼりと泡を吐き出した豹を見て、何をするつもりなのかよくは解っていなかったターヤは、弾かれるようにしてオーラを見る。彼女の視力では相手の顔までは見えなかったが、どうしてか努めて無表情にしているかのように思えた。
 察していた、あるいは知っていた面々はそれぞれ思うところはありつつも、黙って状況を見守るしかない。
 ターヤもまたオーラを信じ、杖を強く握りしめる事で何とか心を落ち着けようとした。
 呼吸を著しく制限される事となったマフデトは、アクセルが飛び降りた事にも気付かず、水球から逃れようと声の代わりに泡を発しながらめちゃくちゃに暴れ回るが、その程度でオーラのコントロールが揺らぐ筈も無かった。
 しばらくマフデトは周囲も気にせずのた打ち回っていたが、吐き出す泡の数が増えると共にゆっくりと動きを鈍らせていき、やがて大きな音を立てて地面へと倒れ伏した。
 残りの体力も少ないと見たオーラが魔術を解除すれば、豹は縮小されるかのように人間の姿へと戻っていく。そうしてマフデトが完全にアシュレイへと戻った時、ようやくターヤは張りつめていた気を和らげ、皆もまた安堵の様子を覗かせる。
 そしてマンスは、非情にも見える顔から安堵の顔へと密かに転じたオーラを、更に複雑そうな表情で見ていた。


 相手の様子から戦闘が終わったと見た一行は武器を仕舞い、後衛組が前線組に合流する。
 倒れ伏している彼女を治療したいターヤは杖を手にしたまま駆け寄ろうとしたが、それよりも速く魔物から人に――マフデトから元の姿に戻ったアシュレイは、意識は失っていないようで緩慢な動作ながらも起き上がろうとする。
「おまえ、まだやる気なのかよ」
 その思惑に気付いたアクセルは隠さずに舌打ちをした。
 けれども聞いていないのか、気にせず彼女は何とか立ち上がってみせた。少々上半身が前のめりになった事で前髪に隠された顔から、未だ鋭さを失わない眼が覗く。濡れた髪から、ぽたりと落ちた水滴が地を濡らした。
 はぁ、とアクセルは溜め息を零す。
「おまえさ、前に俺に対して言ったよな? どこの悲劇の主人公だ、って。その言葉、そっくりそのまま今のおまえに返してやるよ」
 苛立ちを宿した顔を向けられても彼女は動じない。否、その気力すらも無いようだった。
「アシュレイ、もう良いんだ! 古代のものでなければ〈契約〉は解除できる! 貴女の心はそう簡単にはいかないだろうが、私が居ると約束しただろう?」
 それにより益々眉根を寄せたエマが、諭すように焦燥を含んだ声を上げた。
 すると、ようやく彼女の口元が動いた。
「あたしは、それでも……ニールの人形だから」
 息を止められそうになっていたからか声は掠れて間も開き、言葉自体も全ては口にされなかったが、皆は彼女の言いたい事がだいたい察せていた。
 アシュレイは、自分を敵として認識するよう暗に一行に要請しているのだ。
(そっか、何とかしてほしいって言うのは、殺してでも止めてほしいって事だったんだ)
 そして深くまで理解できてしまったターヤは、途端に寒気にも似た感覚に襲われて、無意識のうちに杖ごと胸部を掴んでいた。まさか、そこまでの決意だとは思ってもいなかったのだ。

ライズディフェンス

​ヴァンプル

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