The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
二十六章 裏切りの豹‐erosion‐(2)
「な、何でもない!」
顔を真っ赤にして腕を組んだアシュレイはそっぽを向く。ここから先の本音を口にするのは恥ずかしいのだろう。
そんな彼女を見たターヤが微笑ましさを覚えた時だった。
突如として彼女が横顔で眼を見開いたかと思いきや、顔が前方へと戻りながらも下方を向いていく。その過程で見えた表情は蒼白で、その両手は側頭部に当てられていた。
「アシュレイ?」
明らかに様子のおかしい彼女を不審に思って声をかければ、弱々しい声が返された。
「……ごめん、もう、無理。やっぱり、あたしも結局は、ニールの人形でしかないから――」
独り言のようなその言葉の意味を問う前に、下げられていた顔が上がってくる。
「結局裏切る事になって、ごめんなさい」
アシュレイは、今度こそ泣き出しそうな表情でターヤを見ていた。何かに耐えきれなくなったようでもあった。
訳が解らず尋ねようとしたターヤだったが、近づいてくる幾つもの足音に気付く。
「ターヤ! アシュレイ!」
振り向けば、皆がこちらへと向かってきていた。
「みんな――」
エマに応える前に手を掴まれる感触があったかと思いきや、ぐんと引かれた。慌てて視線を動かせば、再びアシュレイがターヤを引っ張っていた。その身体は近くのダンジョンらしき洞窟へと向いており、そこを目指している事が解った。急速に危機感を覚え、顔を覗き込むように名を呼ぼうとする。
「アシュ――」
けれど視界に入ってきた瞳には、最初とは異なり虚ろな色は無かった。
思わず言葉を失う。彼女は操られているようで操られていないのだと、ここに来てようやくターヤは知った。
連れていかれた洞窟はもう使われていないらしく入り口は封鎖されていたが、アシュレイはそれを難無く抜刀したレイピアで斬り飛ばすと、残りは蹴飛ばして強引に中へと押し入っていく。
しかしターヤは思考に気を取られ、すっかりと抵抗する事を忘れていた。
(さっきと違って、今のアシュレイは間違いなく自分の意思で動いてる。でも、本当はこの命令に従いたくないっていうのは本心だったみたいだし……どうして?)
先程までは察せた相手の心情が、今はよく解らなかった。
故に、現在通っている場所が随分と前に閉鎖された坑道だという事にも、彼女は気付けなかった。
「――おい、アシュレイ!」
後方からアクセルの怒鳴り声が聞こえた瞬間、自らの手を掴む手が震えたようにターヤには感じられた。
「わっ」
かと思えば速度がぐんと引き上げられ、ターヤはつんのめりそうになるが、転ぶ事も足を引っかける事も無く引っ張られていく。
そうこうしているうちにも、二人は坑道から別所へと入り込んでいた。そこは先程までの坑道よりも広く、所々に人工物らしき灯りが設置されている。採掘所と、どこか雰囲気が似ている気がした。
そして少女達を撒かれぬように追いかける一行もまた、同じ場所に足を踏み入れていた。
「ここは、プレスューズ鉱山のようですね」
「ああくそっ、アシュレイの奴、何を考えてんだよ!」
オーラの言葉も耳に入らないようで、アクセルは前方を睨みつけながら悪態をつく。それから焦燥や嫉妬などのさまざまな感情により、エマへと矛先を転換した。
「おい、エマ! おまえなら何か知ってんだろ!?」
「知りたいのならば彼女本人から聞け」
しかしエマは取り合わなかった。ばっさりと切り捨て、けれど後に言葉を付け足す。
「今のおまえならば、アシュレイの障壁を越えられるだろう」
意味が解らなかった青年は怪訝そうに眉根を寄せるが、それ以上エマは何も言わなかった。
アクセルもまた、彼に対する今し方の言葉が八つ当たりだったと自覚し、若干気まずくなったので再び声をかけようとはしなかった。
他の四人も何も言わなかった為、一行もまた無言に包まれる。
そのまま逃走と追跡は続き――時おりモンスターと遭遇して戦闘になりながらも、何とか距離は開けられずに追いかけていた一行は、深奥と思しき行き止まりに入ってしまった前方の二人に、ようやく追いついた。
追いかけられる側たるアシュレイは、ターヤの手首を掴んだまま意を決したようにこちらに身体を向けていたが、その顔はちょうど影になっていたので窺う事はできなかった。
「おい、アシュレイ!」
名を呼ぶアクセルだったが、案の定答える声は無かった。やはり自分では駄目なのかと悔しさを面に出しながらも、エマに視線をやる。
彼は最初からまっすぐに彼女だけを見ていた。
「考え直すんだ、アシュレイ! 貴女には私が居る! もう彼だけを心の拠り所にしなくとも良いんだ!」
益々訳が解らなくなるアクセルだったが、今は黙って事の成り行きを見守る。
敬愛するエマの言葉にすらも答えようとはしないアシュレイだったが、よく見れば空いている右手は拳を形作り、震えているようだった。
まるで何かに耐えているようだと感じたアクセルは、思わず声を紡いでいた。
「おいアシュレイ、おまえ――」
「煩いっ!」
だがしかし、それが合図だったかのように、突如としてアシュレイが怒号を放った。ターヤの三つ目の問いに答えた時と同じような、けれどあの時よりも無理矢理引きずり出したような声だった。
「何で、いっつもあたしを動かすのはあんたなの」
ぽとりと落とされたのは、混乱した精神だからこそ表に出てきた本音であった。
思わず言葉を失ったアクセルや皆にも、ターヤの手を離してしまった事にも気付いていないらしく、アシュレイは感情に導かれるままに言葉を発していく。
「あたしは、ニールの人形でないといけないのに、そういう契約なのに……なのに、あんたがあたしをぐっちゃぐちゃにするから……!」
言葉通りの声を聞いて、ようやくターヤは理解した。
アシュレイを縛りつける《元帥》の命令は確かに物理的なものでもあるが、精神的な拘束力の方が圧倒的に協力なのだと。とうに心身に染みついてしまった服従心故に、彼女の意思と身体は命令を実行しようとしているのだ。
その間にも、彼女は頭上で髪を団子状に纏めているリボンを掴んでいた。
「! アシュレイ、駄目だ――」
相手が何を行おうとしているのか気付いたエマの決死の叫びも空しく、アシュレイはリボンを力任せに解く。
「『Lo promette solamente』!」
そして何事かを叫んだ瞬間、彼女の周囲を魔法陣が取り囲み、次いで強烈な光が包んだ。
その頃、首都の〔軍〕本部にて、《元帥》ニールソン・ドゥーリフは楽しそうに笑っていた。
「あっちゃんからの連絡は切れちゃったけど、ちゃんと『命令』しといたから多分大丈夫だよね~」
普段通りソファにうつ伏せに寝転がって両足を膝下からばたばたと振りながら、彼は楽しそうに笑っていた。それは傍から見れば普段通りの光景だったが、部屋の隅に控えているユベールは――先日彼の狂気的な一面を垣間見てしまった部下は、その様子にすら微かな恐れを覚えずにはいられなかった。
けれども彼は部下の心境など知らず、ただ気ままに振舞っているだけだ。
そんな彼の様子を緊張の面持ちで眺めていたユベールだったが、特に急ぎの仕事も無い今が疑問と不安とを解消する好機と捉えた。ごくりと唾を飲み込み、意を決して口を開く。
「その、《元帥》」