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二十六章 裏切りの豹‐erosion‐(15)

「それなら良かったです」
 ほっと安堵の息をついた少女の顔は一行の知っている彼女のものではなく、彼らしか知らない素顔だった。どこかミステリアスで達観したような大人びたものではなく、まさに年相応と言うべき表情である。
 レオンスが複雑そうに表情を歪めた。
 ハーディもまた別の意味合いながらも彼女を同じような顔で見ながら、ゆっくりと躊躇いがちに口を開く。
「……オリーナ」
 彼にその名で呼ばれた途端、我に返ったように少女はオーラへと戻り、途端にその表情が歪む。自分が『オリーナ』に戻っていた事にようやく気付いた彼女は、ただ苦い顔を浮かべるばかりだ。
 彼が彼女に対して使用した呼称に聞き覚えのあった一行は驚き、まさかという思いになる。
 そして、それを知ったハーディは、調子を取り戻したように彼女へと問いかけていた。
「オマエ、いつまで逃げてんだよ。オレらから、アイツから」
 顔ごと目を逸らして横顔になったまま彼女は、彼の問いには答えなかった。
 対して眉根を寄せたハーディだったが、その怒りを相手にぶつける前に一度深呼吸をして冷静さを取り戻すと、今度こそ続ける。
「オレはまだ、オマエのした事を赦した訳じゃねぇ」
 はっと目が見開かれ、その両肩が小刻みに震える。
「けどな、オマエが何の意味も無くあんな事を仕出かすようなヤツじゃねぇって事は元から知ってっし、十年も経てば、流石に何かあるっつー事は薄々勘付くっての」
 相手の一挙一動を――本音を見逃さないようにする為、ハーディは視線を逸らさない。
「オマエ、あの時、本当は何であんな事をしたんだよ。エセラの奴が助けを寄越した事と言い、本当はアイツ、何か知って――」
「私は!」
 遮るように彼女は叫んだ。まるでそれ以上は言わないでと主張しているかのように。ぎゅっとその拳が両方とも握り締められる。その顔は俯きがちになっており、目元の辺りは陰になっていた。
「私は、オーラです。オリーナなんかじゃない」
 あくまでも強情な彼女に益々苛立って反論しかけたハーディだったが、彼にその暇は与えられなかった。
「オリーナなんて……あんな馬鹿な女なんて、もう居ない。〔十二星座〕の《蠍座》オルナターレは、とうの昔に死んだんです」
 言葉の中身とは裏腹に、『オリーナ』としての口調でオーラは否定の意を表す。
 それを聞いたハーディは呆気に取られたような顔になるも、今度こそ大きく舌打ちをした。
「この、バカが……!」
 そのまま悪態をついて顔を背けた彼は、今度は一行の方を見て、そこでようやく自分達以外の存在が居た事を思い出したような顔になる。その中の一人、顔見知りであるターヤに視線を移した彼は軍帽や付け髭などを取り外し、自身の素顔を彼女らに晒してみせた。
「あ、本当にハーディだ……」
 ようやく彼がハーディなのだという実感を持てた為に間の抜けた声を出したターヤに対し、彼は脱力したように息を吐き出す。
「オマエなぁ……まぁ良いか。後ろの奴らは、一応初めましてだよな」
 何か言いたそうな物言いだったが、面倒になったのかハーディは他の面々を見回した。
 彼らはウィレム・ヒューデックを名乗る軍人がハーディ・トラヴォルタ本人である事、そして彼とターヤが知り合いらしき事に、二重の意味で面食らっていた。彼がオーラを別の名前で呼んだ驚きを一時的に忘れるくらいには。
「ヒューデック兵長が、ハーディ・トラヴォルタだったなんて……」
 特に殆ど顔を合わせた事が無かったとは言え、同じギルドに属していたアシュレイは殊更驚きが強いようだった。
「オマエがオレを知ってるように、『ウィレム』としてのオレも、一応は上司のオマエのことは知ってんたんだけどな。ま、反旗を翻しちまった今となっちゃ、どぉでも良い事か」
 逆にハーディは知っていたようだが、どうでも良さそうに肩を竦めてみせる。

 これに対し、ようやく我に返ったアシュレイは質問を投げかけた。
「それにしても、何であんたは『ウィレム・ヒューデック』として〔軍〕に居たのよ?」
「ま、流石にそこは訊いてくるよな。……オマエら、レジーのことは知ってんだよな?」
 頭を掻くように片手を乱暴に動かしてから、諦めを含んだ様子でハーディは一行を見回しながら話題を変えた。
 なぜそれを知っているのかという空気になる一行だったが、勘の良い面子はすぐ気付いたようにターヤを振り向いた。思わず身を竦ませてしまった彼女を目にして、やはりかと言わんばかりの顔になる。
 それから彼らを代表して、レオンスがハーディへと肯定してみせる。
「ああ、少しばかり訳があって〔教会〕に潜入しているというところまでは知っているな」
「ま、オレもそんな感じなんだよ」
「相変わらず理由は話さないんだ」
 答える気が無いと踏んだのか、スラヴィの声はどこか呆れていた。
 逆にアシュレイは、彼の正体を知った時から思い浮かんでいた予想に確信を得る。
「だから、あの時『この先には行かない方が良い』なんて言ったのね」
「あぁ、直前に《元帥》の計画を盗聴したんでな。結局、オマエは行っちまったみてぇだけどよぉ」
「仕方ないじゃない。あの頃は、あんたがどこかのスパイなんじゃないかって疑ってたんだから。あんた、不審な行動も多かったし」
 ばつが悪そうにアシュレイが反論すれば、それもそうかとばかりにハーディは肩を竦めてみせた。
 目の前でかわされる会話を聞きながらも、ターヤはハーディにはレジナルドと会った事を話した覚えが無い気がしていたが、リクから聞いたのかもしれないという点に思い至った。
(それにしても、残った〔十二星座〕の人達は表舞台から姿を消したって言われてるけど、もう七人……でもウォリックは裏切ったそうだから、六人にも会っちゃったんだよなぁ。この後も残りのメンバーに会えたりするのかな?)
 若干の期待と共にそう思ったところで、端の方に追いやられかけていた疑問が戻ってくる。
(あれ? でもさっき、ハーディはオーラを『オリーナ』って呼んでたけど、その名前って確か〔十二星座〕の――)
「それで、あんた達の事情はひとまず置いとくとして、オーラの事なんだけど」
 ちょうど良いタイミングでアシュレイの声が重なり、ターヤは思考の世界から現実の世界へと引き戻される事となる。
 ハーディの顔は、険しい程に歪められていた。
 そうさせた張本人であるアシュレイはそれ以上は言わず、相手からの返答を待つ。
 けれども、その場に居る全員が彼女が何を問いたかったのか察していた。
「……本人に訊くんだな」
 自ら作り上げた静寂を破り、ようやくハーディが返したのはそれだけだった。それから彼はターヤを見て、そしてオーラを一瞥すると踵を返して歩き去っていく。
 その背中を、何も言わずに一行は見送った。誰も声をかけようとは思わなかった。
 結局ハーディは答えなかったが、あの沈黙は最大の肯定と言っても過言ではなかった。
「とりあえず、一旦ベアグバオに戻ろうか。皆も疲れただろ?」
 レオンスの提案は主にオーラの為だという事は誰もが理解していたが、いつになく消耗している彼らがこの案を撥ね除ける筈も無かった。
 ターヤもまた彼の言葉に首肯だけを返す。
「おねーちゃんが何を考えてるのか、まだよく解らないけど、おねーちゃんのことはちょっとだけ解った気がする」
 そこでふと耳が拾い上げた言葉に反応して、ターヤは視線をマンスへと移した。しかし彼は誰かに向けて言ったという訳でもなく、ただ単に思考が音声になって零れてしまっただけのようだった。
(おねーちゃん、って、多分オーラの事だよね)
 そっと気付かれないように少年の視線を追ってみれば、そこには未だ変わらぬ姿勢のまま立ち尽くす予想通りの人物が居た。
 再度、少年をこっそりと窺う。
(マンスも、本当は心の奥ではオーラを信じてるんだ)

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