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二十六章 裏切りの豹‐erosion‐(13)

『流石に、闇の領域で上級闇魔を浄化する事は、そう簡単ではないようですね』
 予想の範疇だったのか、ニルヴァーナに驚いた様子は無かった。
 光を司る《審判龍》でも駄目なのかとターヤは不安げに彼女を見て、その視線がアクセルへと移り、そこからオーラへと向けられる光景を目にした。
「〈治癒〉……!」
 何をしているのかと呆気に取られたところで、先程よりは幾分か楽になったようなオーラの声が耳に届いた。もしやと思いアクセルへと顔を向ければ、彼は呆然と足を見ながら動かし、それからオーラを見た。
 彼女が無言で頷いてみせると彼は途端に口角を上げ、すぐに表情を引き締めて大剣を構え、眼前の闇魔目がけて一直線に駆け出す。近くまで行くや勢いよく跳躍し、
「はぁっ!」
 残ったイーホジオンの首を、真っ二つにせんばかりに思いきり一閃した。
 殆ど光に取り込まれかけていた状態だからでもあるのか、その一撃が決定打になったらしく、闇魔は悲鳴を上げて傷口から消滅していく。
 その様子を最後まで見届けてから、アクセルはニルヴァーナとオーラを見た。
「わりぃな、花を持たせてもらっちまって。けど、少しは、アストライオスに報いれた気がするよ」
 やはり彼の心情を察しての行動だったのか、と皆もまた理解する。
『もうここにも採掘所にも闇魔は居ないようですし、〈星水晶〉の番人も新しい人が来るそうですから、これで解決といったところですね?』
「ええ、もうここは大丈夫でしょう」
 ニルヴァーナとオーラの会話から今度こそ大丈夫なのだと理解した直後、先程身体にあった全ての〈マナ〉を一気に消費してしまっていたターヤは、急激な疲労に襲われてぺたりと座り込んだ。
 皆もまた安心した事で疲れが波のように押し寄せてきたのか、各々休息を取り始めている。
 ニルヴァーナはターヤと幾つか言葉を交わしてから帰っていき、オーラは少し休憩してから、すっかりと〈マナ〉を使い尽してしまったターヤの代わりに皆を回復していた。
 ぼんやりと皆を眺めつつ、ターヤは先程ふと思った事について思考を回す。
(それにしても、何て言うか、別にニーナを呼ばなくても良かったんじゃないかって思えてきたよ。だって結局闇魔を倒したのはアクセルだし……うーん、ちょっと複雑かも)
 わざわざ自分がオーラから〈マナ〉を貰わずとも良かったのではないだろうかと考えていれば、自然と流れるように視線が彼女へと動き、固定されていた。
(それに、オーラは、わたしを通してルツィーナさんに償おうとしてるようだった)
 オーラからは何かと気にかけてもらっているように感じるターヤだったが、それはハーディやリクと彼女とのやり取りから察するに、ルツィーナに対する償いではないのかと思えてきていた。彼女の従妹であり同じ顔でもあるターヤを、彼女に重ねているのではないのかと、事情は知らないがそう感じのである。
 だからこそ、先刻もアクセルではなくターヤを選んだのではないかと思ったのだ。
(でも、確かにオーラの言う通り、アクセルを選んでも、影に潜られちゃったら武器だと岩壁を壊すだけで終わっちゃいそうだしなぁ。相手は影になれたから土精霊で動きを止めれたかもしれないけど、影になると結構動きも速かったし、それを捕まえようとすると空間が崩れて、わたし達が生き埋めになっちゃう可能性もあったかもしれないし……)
 うーん、とターヤは膝を抱え込む姿勢で座りながら、頭をぐるぐると動かす。
(やっぱり咄嗟の判断だと、あれが最善の選択だってオーラには思えたのかな)
 結局は戦略にも知略にも長けている訳ではないターヤが考えたところで、益々脳内がこんがらがるだけだった。
 そうして十分に休息もとったところでエマがダンジョンを出る意を示し、皆もまたそれに同意してゆっくりと元来た道を戻っていく。鉱山を抜けて坑道を通り、外へと繋がる出口が光に彩られて見えてきた時には、誰もが気を抜き始めていた。
 しかし、外に出た一行の眼前に広がったのは、坑道の入り口を取り囲むかのように集結している大人数の軍人と、その前に立つ一人の青年だった。
「随分と遅かったね、あっちゃん」

「……ニール」
 反射的に身構えた皆とは異なり、アシュレイがどこか悲しそうに彼の名を呼んだ。


 まるで一行を待ちかまえていたかのように立っている〔軍〕の《元帥》に、彼らは驚きを隠せない。次いで、視線がアシュレイへと集うのも当然の事だった。
 それを理解しながら、けれど彼女は皆の方は見られなかった。実際に彼の顔を見てしまうと先程の決意が揺らぎそうで、また彼の命令に従ってしまいそうで、それが怖かったのだ。
「迎えに来たよ、あっちゃん」
 にっこりと青年が笑う。けれどそれは、アシュレイにとっては死刑宣告にも等しかった。
 彼女の心情に気付いているのかいないのか、ニールは手を差し出す。
「周りに居る人達を蹴散らして、《巫女》様をわつぃのところまで連れてきてよ」
 隠す事無く堂々と目的を告げたニールに対する一行の警戒は急上昇する。同時に、アシュレイの出方や反応を窺うかのように彼女への視線にも警戒の色が出ざるを得なかった。
 すぐには何も起こらなかった。
 ニールの瞼が僅かに押し上がった時、アシュレイがすばやくターヤの掌を掴んだかと思えば、その手を引いて前方へと歩き出す。
 これには一行が驚き、ニールはやはりと言わんばかりにほくそ笑む。
 だが、ターヤは自分の手を引く彼女の手が、朝のように乱暴でも性急でもない事に気付いていた。それに彼女はターヤが最後の希望のように思えたと言っていたし、皆にも本音を打ち明けて、自身の闇をその手で倒したのだ。だから大丈夫だと、ターヤは信じていた。
 そして彼女の予想通り、アシュレイは一行と〔軍〕との間で足を止めた。
 またしても予想外の事態に一行は驚きが収まらず、ニールは不満そうに笑みを消す。
「……あたしは、弱虫だから」
 隣に並ぶ形になったターヤへと、アシュレイから声が向けられる。首を動かせば、前を向く彼女の顔は声と同じように羞恥で彩られていた。
「だから、その……手を、握っていて」
「うん、解った」
 見てはいないと解っていても微笑みを返し、掴まれているだけだった掌の指を動かして、今度は彼女の手をしっかりと握り締める。そうすれば、彼女もまた握り返してくれた。
 そうして今度こそ前方を――それまでは世界の大半であった〔軍〕を、しっかりとアシュレイは見据えた。
「ニール」
 名を呼んでも青年の表情は変わらない。これから彼女が何を言おうとしているのか、とうに彼は察しているかのようだった。
「あたしはもう、あなたには従えない」
 暗に〔軍〕に対する離反宣言を告げた《暴走豹》アシュレイ・スタントンの姿に、背後の軍人達がどよめく。
 無論、一行もまた彼女の決断に安堵しながらも驚いていた。
「……ふぅん、それが、君の答えなんだ。じゃあ今から君は、本当の反逆者だね」
 対してニールは、ゆっくりと息を吐き出すかのように言葉を紡いだ。その表情が激変する。
 アシュレイですら初めて目にする冷えきったような彼の表情には、敵方と化した彼女どころか、味方である筈の軍人達もまた、背中を駆け抜ける冷たい感覚を覚えた。そのまま気圧されそうになる、圧倒的な雰囲気――それは〔軍〕を統べる《元帥》の本気でもあった。
 けれどもアシュレイは、負けじと気力を振り絞って彼を睨みつけ、何とか気概を保つ。
 そんな彼女と一瞬だけ眼を合わせてから、ニールは興味を無くしたように踵を返した。その後にアシュレイを複雑そうに肩越しに見ながらもユベールが続き、彼ら二人を通すべく軍人達が道を開ける。
「後は宜しく」
 その言葉が合図だったように、後方に控えていた軍人達は一行へと向かっていった。彼らの大半は戸惑いながらも、これは《元帥》の命令だからと自身に言い聞かせて。

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