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二十六章 裏切りの豹‐erosion‐(12)

「いっ、居た!」
「ほれ見ろ、闇魔相手なら俺の勘は正しいんだよ」
 一転して慌て出すマンスに若干の揶揄を含んだ声を返すアクセルだったが、自身の言葉で先程の事を思い出す。思わず視線がオーラへと動いた。だが、今は眼前の敵が相手だと自身に言い聞かせて意識を元に戻す。
 粉塵による煙幕が消え去った後には、巨大な人影が一つ聳え立っていた。否、巨大な人型の闇魔と言うべきだろう。その全長は数メートルと言ったところで、形としては人型寄りだが、元々あった胴体に後から手足を取り付けたかのようなバランスの悪さである。
「上級闇魔《侵蝕の影》イーホジオンですか。本来は実体を持たない憑依タイプの闇魔ですから、魔術でないと攻撃は届かないのですが……どうやら、今は実態を得られる程に成長しているようですね」
 魔導書を構えながらオーラは言うが、その顔色は未だに悪い。
 しかし、彼女の言葉でアクセルとターヤは確信していた。
「って事は、この闇魔が――」
「アストライオスを侵蝕した奴か……!」
 自然と大剣を握る青年の手に力が籠る。ぎり、と音まで聞こえてきそうな程だった。
 そんな彼に気付いていたオーラが声をかけようとするが、それよりも速く剛腕による鉄槌が飛んできた。
 再びエマが盾で防ぎ、その間に前衛と中衛はイーホジオンへと向かっていく。
「ここが闇魔にとって有利っぽかったのも、ここがこいつの縄張りだったからなんだろうな」
 未だ動けないアクセルは、一秒でも早くターヤの痛みが和らぐのを急く気持ちで待ちながら、先程から思い浮かんでいた推論を口にする。
「おいオーラ!」
 それから何事かに気付いたようで、オーラへと声を放った。
「おまえ、前に採掘所に居た闇魔は一掃してたよな? その時、こいつは居なかったのかよ?」
「いえ、あの時イーホジオンは採掘所には居ませんでした。おそらく鉱山の深部か、採掘所と鉱山の間に居たのではないかと」
 イーホジオンから視線を一秒たりとも視線を離さず、神妙且つ冷や汗の流れる顔でオーラは答えた。彼女にしては珍しく、その全身からは警戒の色が滲み出ている。
 そこから相手がヘカテーに匹敵、あるいはそれ以上に強力な闇魔なのだと皆は察する。
 ともなれば、長々とこの場に居ては不利になる事は確実な為、アクセルはすばやくターヤに向けて声を放つ。
「おい! まだなのかよ!?」
「う、ごめん、あとちょっと……」
 事態にそれ程の猶予が無い事はターヤも解っていたが、だからと言って今すぐどうこうできる問題ではなかった。いっその事オーラが彼を治してくれれば良いのだがと思いながら視線を向けて、彼女は自分以上に痛めつけられた事をすぐに思い出し視線を逸らす。視界の端では闇魔が岩壁に溶け込み、影となって詠唱を始めたマンスを襲い、エマによって阻まれていた。
 しかしオーラは咄嗟に顔をアクセルとターヤに向け、数度二人の間で視線を行き交わせてから、即座に魔導書を構えた。
「え、オーラ――」
「〈治癒〉……!」
 驚くターヤの前で、彼女はまるで身の丈に合わない魔術を強引に使ったかのような苦しげな様子で、治癒魔術を発動させる。
 その対象は、ターヤだった。それまで彼女を苦しめていた痛みは一瞬で消え失せた。
「えっ」
「俺じゃねぇのかよ!?」
 前方では実に劣勢且つ緊迫した戦いが繰り広げられている事も思わず忘れて、ターヤは間の抜けた声を、アクセルは若干の怒りも交じった指摘を上げた。

「相手があれ程膨張してしまったイーホジオンでは、トリフォノフさんよりもターヤさんの方が有利であると推察しましたので」
「!」
 構わずオーラが告げた言葉には、アクセルが勘の良さを発揮させる。
 だがしかし、ターヤにはあまりよく理解できなかった。
「えっと、どういう事?」
「《守護龍》であるアストライオスさんを侵蝕し、採掘所と鉱山を縄張りとする程強大で、尚且つ影となり岩の中に溶け込む事も可能な闇魔です。幾らトリフォノフさんが調停者一族とは言え、物理攻撃だけでは限界があるかと。ですから、ターヤさんにニルヴァーナを呼んでいただきたいのです」
 彼女の言い分を尤もだと思ったのかアクセルは反論も口答えもしなかったが、その顔は不満そうに、悔しそうに歪んでいた。
 説明も兼ねた返答にターヤはようやく納得するが、アクセルの方も気になると同時に疑問点も幾つか浮上していた。
「でもここは聖域じゃないし、それにきっと今のわたしには、そんなに〈マナ〉は残ってないと思うよ?」
「いいえ、もう貴女は御自身の力でニルヴァーナを召喚できる筈です!」
 訝しげに悲観的ながらも事実を述べたターヤだったが、オーラは頑として譲らない。その根拠は全くもって解らなかったが、彼女がそこまで力強く言うのならば信じられると感じた。
「うん、解った」
 それから杖を手にしたまま前線へと向き直れれば、肩に手が乗せられる。オーラの手だと思った時には、そこから何か温かいものが流れ込んでくる感覚を覚える。彼女から〈マナ〉を受け取っているのだと理解した途端、嫌な予感が背筋を駆け抜けた。
 既にオーラは、ヘカテーに二度も自身の〈マナ〉を大量に流し込んでいる上、それ以外にも幾つか魔術を使用している。その上でターヤに〈マナ〉を分け与えるという行為は、幾ら《神器》とは言え自殺行為にも等しいのではないか。
「大丈夫です」
 そう思って慌てて止めるべく振り返ろうとしたターヤだったが、それを予期していたかのようにオーラが言葉を紡いでいた。
「今だけは私を信じてください、ターヤさん」
 その言葉で、彼女が自分を気にかける理由がターヤには何となく察せたような気がした。
 けれども今は目先の事の用が優先だと言い聞かせ、意識をそちらに戻す。
「来て、ニルヴァーナ!」
 そして、今し方貰った分と自身に残っていた〈マナ〉を全て、捧げる勢いで叫んだ。
 瞬間、彼女の前方の上空で光が弾けた。
 何事かと反射的に意識を向けてしまった一行と闇魔の目の前で、それは収束したかと思いきや、その場に一頭の真白き龍を顕現させていた。
 白龍の召喚を目の当たりにした前線組は、一転して戦場から退避する。
 対して、圧倒的なまでの聖なる雰囲気と〈マナ〉に気圧されてか、それまでは前線組など周囲を飛び回る虫程度にしか認識していなかったイーホジオンが、初めてたじろぐ様子を見せた。
 ニルヴァーナはまず、首を軽く後方へと向けてターヤへと微笑む。
『先日ぶりです、ターヤさん。短期間で、かなり成長されていたようですね』
 ターヤもまた笑みを返すが、現状を思い出してすぐに表情を引き締め直した。
「お願い、わたしに力を貸して、ニーナ!」
『はい、喜んで』
 嬉しそうに返してからニルヴァーナは前方へと向き直り、表情を変貌させる。それは、見方である筈の一行をも軽く戦慄させる程のものだった。
『消えなさい』
 刹那、イーホジオンが光に呑まれた。
 そのまま消滅させるのかと皆は思ったが、予想に反して、唯一呑まれる事を避けられた首だけは何としてでもそこから脱出しようと足掻いている。

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