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二十六章 裏切りの豹‐erosion‐(11)

 手が離れると同時、彼女はすばやく彼を振り向く。
「あんた……」
「これで、もう大丈夫だろうな」
 だがしかし、またしてもレオンスは最後まで言わせようとはしなかった。
 文句を言いたくなるアシュレイだったが、それよりも彼が遮るように口にした言葉が引っかかっていた。何となく意味が理解できてしまったのが、余計に腹立たしい。
「本当に、これで大丈夫なんでしょうね?」
「ああ、俺が言うんだから問題無いさ」
 彼は何かを必死に堪えているような様子だというのに、それでも自信たっぷりな表情で返されてしまえば、アシュレイはもう何も言う気も起きそうになかった。
「なら、せいぜい当てにさせてもらうわ」
 言うや、彼女は再びヘカテーへと向かって駆け出した。
「アシュレイ!?」
 最初に気付いたエマが僅かに呆れの交じった驚き声を上げ、それで皆もまた彼女の行動を目にする事となる。そして、当然ながら彼と同じような反応を取った。
 効かないと解っているのにまた無謀な攻撃をする気なのかと判断したエマは止めようとするが、先読みしたレオンスにより阻まれる。
「まあ、落ち着けよ、エマニュエル。アシュレイなら大丈夫だからさ」
 こいつは何を言ってるのか、とエマを含む皆は実に訝しげな顔付きとなる。
 同様にして、ヘカテーもまたアシュレイの行動を嘲笑っていた。
『何だ、また懲りずにあたしを倒そうってか? 意外と学習能力は無いんだなぁ』
 先刻と同じくアシュレイは答えなかったが、そこに図星を突かれたような色は微塵も無かった。
 そこを不思議に思うと同時に嫌な予感をヘカテーは覚えるが、その時には既に元宿主は彼女の目の前に居た。風の拘束は、丁度《風精霊》により解かれていた。
 僅かに揺らいだ目と動じない目が合わさり、そしてアシュレイのレイピアはヘカテーの左胸に突き立てられていた。
『っ!?』
 瞬間、ヘカテーは自身の中に流れ込んできた何かに内側から破壊されていく感覚になった。否、そうとしか思えなかった。
「「!」」
 一行もまた、ヘカテーが左胸の辺りから霧散していっている光景に驚きを隠せない。いったい何が起こったのかと、唖然として彼女とアシュレイと見るばかりだ。
 そして左目を押さえたままのレオンスは、密かに笑みを零していた。
 そんな彼を、オーラは何か言いたげで言えないような面で見ている。
『ばか、な……!』
 心の底から信じられないと言いたげな驚愕した表情を浮かべ、左胸から消失していく上級闇魔《冥府の女神》を、その宿主であった魔物の少女はどこか複雑そうな顔で真正面から見送った。
「――さよなら、自分自身を許せなかった、弱い心を抱えたあたし」
 まるでその言葉が合図であったかのように、アシュレイが言い終えると同時にヘカテーもまた完全に消滅した。後には塵も欠片も残らなかった。
 それを視認した事でようやく安心できたのか、力が抜けたように彼女はその場に座り込む。
「やっぱり、あいつも……」
 はっきりと認識してしまった事実に対し、アシュレイは困ったように息をつく。
「アシュレイ!」
 そうとは知らず、座り込む彼女を見たアクセルは慌てて怪我により上手く動かせない足を叱咤し、引きずるようにして何とか彼女の許まで行く。
 皆もまた疲弊する身体を動かしてゆっくりとその後に続き、離れた場所に居たレオンスもまた同じ場所を目指す。

 誰よりも先に傍まで行くと、アクセルは何も言わずに再び手を差し出した。
 これに対してアシュレイは驚いたように身を後ろに引いたが、彼の意思は揺るがないと知ったのか、恐る恐ると言ったふうに手を伸ばす。その手がそっと差し伸べられた手を掴んだ瞬間、彼に強く握り返されて思いきり腕を引かれ、勢いよく立たされた。予想外の事にアシュレイは目の開閉を何度か繰り返したが、やがて呆れたように音も無く息を吐き出した。
「アシュレイ」
 そこにようやく追いついたターヤは彼女の名を呼ぶ。
 その声で一行の方を見たアシュレイは、一度は気まずそうに視線を逸らすも、すぐに覚悟を決めたようでアクセルの手を離して、しっかりと正面から皆に向き直った。そして、ゆっくりと頭を下げる。
「迷惑をかけて、本当にごめんなさい」
 簡素ではあったが、それが彼女の精一杯の誠意だった。
 故にターヤは横に首を振る。
「ううん、わたしは別に怒ってもいないし、気にしてもいないよ」
「当の本人がそう言うのなら、俺も特に言う事は無いな」
「憑いてた闇魔も消えたしね」
「おねーちゃん、良かったね!」
「ひとまずは御疲れ様でした、スタントンさん」
「アシュレイ、お帰り」
 残りの面々もまた解っていた為、ねちねちと掘り起こす事は無かった。
 皆からすんなりと受け入れられたアシュレイはゆっくりと頭を上げ、今にも泣き出しそうな顔で、けれど心の底から嬉しそうに微笑む。それを目にした皆が呆気に取られた事には気付かず、今度はアクセルだけに向き直った。
「アクセル」
 一人だけ名指しされ、彼は更なる驚きから目を瞬かせる。
「ありがとう」
 柔らかな微笑みのまま、彼女は彼だけに礼を述べた。
 それを受けて、アクセルもまた笑みを浮かべて返す。
「おう」
(アシュレイも戻ってきてくれて、本当に良かった)
 彼女に憑いていた闇魔も、抱えている問題も解消されて、やっと元通りの普段と同じような空気に戻ったのだとターヤは安堵した。
 だが、気になる事が幾つかできたのもまた事実だ。
(でも、何で最後のアシュレイの攻撃は効いたんだろ? アシュレイはヘカテーに憑かれてたから、《世界樹》の加護を受けてたって事は無いだろうし……)
 大分和らいだ痛みを気にしながらもターヤが思考を回していた時だった。
「!」
 突如としてオーラが表情を変化させたかと思えば、すばやく左側を――最初にアシュレイとターヤが居た空間の行き止まりの方を振り向く。
 何事かと皆が彼女を見るが、アクセルとターヤだけは嫌な感じを覚えていた。無論、それが何を意味するのかも理解して。
「まだ闇魔が居るのかよ」
 舌打ちをして大剣を一応は構え直した彼の言葉で、残りの面々も事態を察した。それぞれその方向を警戒しながら武器を再び手にする。
 けれどもなかなか相手は姿を現さず、次第に皆の表情が怪訝なものに変わっていく。
「ねぇ、もしかして居な――」
 少々不審そうにアクセルを振り向いたマンスの言葉の途中で、轟音と共に前方の岩壁が向こう側から攻撃されたように砕け散った。瓦礫や粉塵が一行方面へと向けて飛び散るが、即座に先頭に出たエマが不可視の盾を展開して皆を護る。

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