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二十六章 裏切りの豹‐erosion‐(10)

 一方、オーラを除いた一行は、事態がすぐには呑み込めずにいた。何せ心底愉快そうに一行を手玉に取り、ターヤとアクセルとオーラを優先して潰そうとしていたヘカテーが、突如としてまるでアシュレイのような顔付きになったかと思えば、あらん限りの声でオーラの名を呼んだのである。しかもそれに応えるように、彼女が状況を一転させて再び相手に〈マナ〉を注ぎ込めば、今度こそ悲鳴が上がり、その身体の背中側から黒い靄が飛び出したのだから。
 そして黒い靄が女性の姿を模ると同時、それにより閉じられていた少女の瞼が開かれる。そこにあったのは、元の猛禽類が如き本人の眼付きだった。
「「アシュレイ!」」
 それを知って思わず名前を呼んだのは、何もターヤとアクセルとエマだけではなかった。
 彼女は皆の声に応えるように後方を一瞥してから、ヘカテーと対峙する。
「あんたを生み出したのはあたしよ。だから、あんたはあたしが責任を持って消す!」
 そう叫ぶや、彼女は足元に落ちていたレイピアを屈んで拾い上げると同時、そのままの姿勢で駆け出していた。
「アシュレイ!」
 明らかに無謀な行為と見たエマが咄嗟に名を呼ぶが、彼女はまっすぐに相手だけを見ていた。
 逆に、ヘカテーは嘲笑うかのように彼女を見下していた。
『上級闇魔であるあたしを、ただの魔物でしかないおまえ如きが倒せるとでも? 器風情が随分と思い上がったものだな』
 応えず、アシュレイは跳躍して上空に居るヘカテーに斬りかかる。
 しかし案の定、加護を受けていない彼女の属性が無い物理攻撃が効く筈も無かった。
 靄そのものを斬り裂いたような無駄な攻撃だけを行って着地したアシュレイを、ヘカテーはそれ見た事かとばかりに嘲笑う。
『何だそれは。あたしに攻撃が通らないくせに、よくもまあ大口が叩けたものだな』
 普段ならば強気に言い返すところなのだが、図星だからなのかアシュレイは無言を貫いたままだった。
 彼女では一向に攻撃が通らないと解っているので加勢したいアクセルだったが、〈結界〉が張られるまで集中的に足を狙われた上、ターヤに向けられた攻撃もなるべく請け負おうとした為、今はまともに動けそうになかった。
 そう言う訳でターヤは前線組とオーラに比べれば元気な方だったが、彼に庇われる前にヘカテーの攻撃が剥き出しの足に直撃した為に、今もまだ後衛故に慣れないその痛みと戦っており、詠唱するだけの集中力が足りずにいた。脂汗が幾つも顔に現れていたが、それを拭う気力すら無い。
 そもそもスラヴィはオーラの防御魔術が破られた時点で〈結界〉を張ろうとしたのだが、二人に次いでヘカテーの標的にされていた為、すぐには発動できなかったのである。
『では、今度はあたしの方から攻撃してやろう。せいぜい防いでみる事だな』
 その場から一歩たりとも動かずに闇の球を幾つも掃射できるヘカテーは、実体を失くした今もまた同じような攻撃を行い始めていた。
 二度目故にそれを見こしていたスラヴィは、今回は即座に〈結界〉を構築して皆を護る。
 唯一アシュレイだけは範囲外に居たが、彼女は持ち前のスピードで難無く避けていた。マフデトから元に戻った際にはひどく消耗している様子だったが、ヘカテーに乗っ取られている間に闇魔としての利により回復していたのだろうか。
 とは言っても所詮彼女の攻撃はヘカテーには効かず、逆に闇魔に通用する筈の面々は、各々の理由で攻撃へと転じれずにいる。
(ああもう、わたしの馬鹿!)
 痛みに負けているという自身の現状に、ターヤは我ながら呆れずにはいられなかった。
(アクセルは足を怪我してて接近戦まで持ち込めないし、オーラは何か異変が起こってるみたいで魔術が使えないんだから、余力のあるわたしが何とかしなくちゃいけないのに……!)
 思考はマシンガントークの如くぺらぺらと動いてくれるくせに、痛覚への刺激は緩和し始めてはいるものの依然として強いままで、これが詠唱を行うともなればやはり無理な事だった。何せ魔術を使うにはただ詠唱文言を唱えれば良いというだけではなく、頭の中でイメージして構築しなければならないのだから。

「――〈風精霊〉!」
 だがそこに、突如として風の化身が顕現した。
 予想外すぎたこの事態には、一行全員が驚いてマンスを見る。確かに彼は一行内では最も疲弊していないが、詠唱をしている様子など見受けられず、そもそも文言を唱える声すら聞こえてこなかったと言うのに。
『いつの間に!?』
 それはヘカテーも同じだったようで、彼女は混乱と同様と驚愕とが入り混じった声を上げて少年を見た。攻撃もまた止まっていた。
「モナトの力だよ! ここはちょっと暗めだから気付かれないかってひやっとしてたけど、ちゃんと隠れてたでしょ?」
 誇らしげな、けれど少しだけ苦々しげな少年の声に導かれるようにして視線を動かせば、彼の肩にはいつの間にか《月精霊》が乗っていた。モナトは疲れたのか、まるで干された布団のように彼の肩で垂れ下がっている。
 少年の言葉と白猫の様子で、ターヤは感嘆しつつも何となく事態を察した。
(モナトが体当たり以外の攻撃をしてるのって見た事が無かったけど、気配とかを隠す事ができたんだ。月だから、明るいところでは見えにくいって事なのかな? でも、きっと人工精霊だからあまり力を使うと危なくて、だからマンスは今まで全く使わせようともしてなかったんだ)
「さっきは、よくもアシュラのおねーちゃんを無理矢理使って、シルフをやってくれたよね!」
 それまでの表情から一転、マンスはヘカテーを睨みつける。暗に彼はこれがリベンジマッチであると宣言していた。
 光属性以外でのダメージは受けない闇魔だが、風や火などにより動きを制限される事はある為、この状況に対してヘカテーは内心で舌打ちする。
「四精霊の本当の力、今度はちゃんと味わわせてやるんだから!」
 びしりとマンスがヘカテーを指差すや、《風精霊》が一瞬で彼女の周囲に風を収束させた。
『!?』
 逃げる間もなくヘカテーは風の牢獄に囚われてしまい、何とか穴を見つけて闇の球を飛ばそうにも、それを目敏く見つけた《風精霊》が風の流れを変えてしまうので叶わない。

 その間、しばらく一行は休める事となる。
 だが、その先が不明瞭でもあった。マンスの〈マナ〉と気力がもつ間は《風精霊》も人間界に居られるが、彼もまた無傷でも万全でもない。加えて、ターヤかアクセルかオーラの誰か一人でも攻撃できるようにならない限り、ヘカテーは倒せない。今はただ、問題を先送りにしているだけにすぎないのだ。
(本来なら、今一番動けるあたしが何とかしたいところなんだけど、あたしの攻撃は闇魔には届かないものね)
 そして風の牢獄から一旦距離を取りながらも次の機会を窺うアシュレイは、一人その歯痒さを噛み締めていた。
(あたしもセフィラの使徒だったら良かったのに……なんて、この闇魔を生み出しておいて皆を今こんな目に遭わせてるあたしが、よく言えたものよね)
 自嘲気味な笑みを浮かべたところで、背後から肩を叩かれた。驚いて振り返れば、いつの間にかそこにはレオンスが居た。彼は左目の眼帯を手で軽く押さえており、何かに耐えているようにも見えた。
 怪訝な顔になったアシュレイが口を開くより速く、彼は普段通りの表情のまま用件を告げる。
「君に頼みたい事があるんだ」
「あたしに?」
「ああ。だから、前を向いていてくれないか?」
 益々彼の考えが読めなくなるアシュレイだったが、レオンスがこの状況下でふざけるような人物ではないと知っていた為、素直に従った。すると、先程と同じ右肩に彼の手が触れる。今度は叩くのではなく、掴む形で。
「!?」
 瞬間、アシュレイは気持ちが悪いような懐かしいような、矛盾した奇妙な感覚を覚えていた。何かを流し込まれたようにも感じた。

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