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二十五章 そして円は‐wendepunkt‐(9)

「あ、うん。頑張って考えたから」
 故に、彼女は取り繕うように笑ってみせるのだった。
 無論その事は看破していたニルヴァーナだが、優しさ故に言う事はしない。
 そうとは知らないターヤは何とか話題を逸らそうとする。
「あ、でも、ニーナと会うには、毎回こうやって喚び出さなくちゃいけないんだよね。そう考えると、マンスって凄いなぁ」
 だが、後半からは速すぎるくらいにその羞恥を忘れかけ、マンスの忍耐力に感嘆を零すようになっていた。モナトは別として、四精霊を喚び出すには毎回毎回詠唱文言を唱えて魔術を構築しなければならないからだ。
 ところが、これを聞いたニルヴァーナはどこか悪戯っぽい笑みになる。
『あら、私はもう詠唱文言を唱えてもらわなくても大丈夫ですよ?』
「へ?」
 思わず変な声を出してしまったターヤである。
 彼女の反応をこっそり楽しみつつ、ニルヴァーナは続ける。
『精霊や魔物と違って、私達龍は契約者に召喚されなくても、〈門〉を通って自らこちらの世界に来れますから。ただし契約者との繋がりを密接にする為に、一度喚んでもらう必要があったんです。言うなれば、ここまでが〈契約〉という感じですね。勿論、詠唱は必要無くなっても、契約者の傍まで行くには契約者に〈マナ〉を消費してもらう必要がありますけど』
 寝耳に水だった。ブルイヤール台地では、このような話を耳にした覚えは全く無い。声が、すぐには出てきてくれなかった。
「……って事は」
『ターヤさんにはすみませんが、あそこまで真面目に詠唱文言を考えてもらわなくても良かったんです』
 申し訳無さそうで若干笑いを堪えているかのようなニルヴァーナの言葉を聞いた瞬間、ターヤは爆発的な羞恥に襲われた。自分でも顔がかなりの熱量を持った事が解った。
 勿論、そんな彼女を見たアクセルが意地の悪い笑みを浮かべたのは言うまでもない。
 それに目敏く気付いたターヤは即座に彼を睨みつけた。
「アクセルもマンスも何で教えてくれなかったの!」
 途端にアクセルはうろたえ、マンスは矛先を向けられた事で我に返って驚きつつも頬を膨らます。
「ちょっ、逆ギレかよ!? 仕方ねぇだろ、俺らだってそこまでは知らなかったんだからよ」
「あ、赤はともかくとして、何でぼくまで怒られなくちゃならないのさ!」
 正論な二人の言葉でターヤは正気に返った。
「あ、ご、ごめん」
 縮こまるようにして謝ってから、未だ熱い頬に両手で触れる。
 すっかり真っ赤になってしまった彼女を見て、エマは失笑を零し、レオンスは微笑みを湛えていた。
『ふふ、可愛らしいターヤさんが見れたところで、私はそろそろお暇しますね』
 ニルヴァーナの言葉にターヤは眉尻を下げる。
「え、もう帰っちゃうの?」
『はい。名残惜しいですけど、ターヤさんには他にも用事が控えていますから』
 白龍の視線の先に居るリチャードを見て、そう言えば彼から《世界樹》に呼ばれていると言われたのだと即思い出す。ニルヴァーナは気を使ってくれたのだと知って、頬笑みを返した。
「ありがとう、ニーナ」
『いえ。何かあれば、また喚んでくださいね』
 そう言って、白龍は自ら捻じ曲げた空間を通り帰っていった。
 彼女を見送ってからターヤはスラヴィを見るも、彼は一行と何やら目で会話をしていた。
「?」
 不思議に思い首を傾げるも、すぐに彼は彼女の近くまで歩いてきた。
「行こう。皆にはここで待っててもらう事にしたから」
「うん、解った。じゃあ、ちょっと行ってくるね」
 オーラとアシュレイの様子がおかしい事には気付きつつも、《世界樹》に呼ばれているのなら先に済ませた方が良いだろうと思ったターヤは皆にその旨を告げ、スラヴィと共にリチャードに続いて彼の作った〈門〉の中へと消えていった。

 一方、その後ろ姿を見送りながらアシュレイは表情を歪めていた。彼女が《世界樹の神子》である事を堂々と名乗り証拠まで提示してしまった事で、皮肉にも崖っぷちまで追い込まれる事になっていたのだ。
 これまで〔騎士団〕でその事実を知るのは幹部級だけだったようだが、今はもう一般の騎士達も知ってしまったのだ。ニールはなぜか情報を得るのが速いので、この一件もすぐに彼の知るところとなるだろう。そうなれば、笑みを浮かべつつも〔騎士団〕を目の上のたんこぶのように疎んでいる彼が行動を起こさないとは思えない。
 それはつまり、アシュレイに対する催促も容赦なく強まるという事に他ならない。
(もう、あたしに考えてる余地は無い)
 アジャーニの一件はきっかけにこそなったものの、まだ何とか余裕はあるのではないかとアシュレイは事態を甘く見ていたのだ。
(あたしは、きっとニールに命令されて、彼女を――)
 けれど、もうその時間すらも残されてはいない。ニールはアシュレイに命令してターヤを連れてこさせ、そして自身の目的の為の糧とするのだろう。彼が何を考えているのかなど彼女には解らなかったが、今の彼は自分の為だけにしか動かなくなってしまったのだから、おそらくは碌でもない事だ。
 それでも首輪を嵌められた彼女にできるのは、大した効果も得られない些細な反抗だけだった。それしか〈契約〉では許されていなかったのだから。
 アクセルに見られていた事にすら、思考に嵌る彼女は気付けなかった。


「――そうか、自らそう名乗ったと言うのだな」
 とある一室にて、部下からの報告を聞いた男性は愉快そうな笑みを浮かべていた。手にした通信機を片手で弄りながら、次第に笑みを深めていく。
「新たな〈星水晶〉が手に入らなかった事は少しばかり痛くはあるが、今まで通りディフリング氏の相棒に頼む事にしよう。良いな?」
 通信機からの返答はどこか渋るような色を含んでいたが、気を良くした彼は気にしない事にした。そのまま一言入れてから通信を遮断する。
「ようやく、ここまで来たのだな。もうすぐだ、オルナターレ」
 そうして呟いた男性の声は、どこか狂気染みているようにも感じられた。


 リチャードに導かれて〈門〉を通り抜けた先は、間違い無く世界樹の街だった。
 それに対して思わず感嘆してしまったターヤである。
 今回の〈門〉は、以前使用した霊峰ポッセドゥートの頂上にある名前通りの門でも、ブルイヤール台地の大座に描かれた魔法陣でもなく、何も無い場所にリチャードが作り出した、まるで切って開けた空間の裂け目のようなものだ。
 故に、そのような所を通って本当に大丈夫なのか、ちゃんと彼の言う場所に繋がっているのか、などと少しばかり不安だったのだ。
 そのまま大樹の下まで行けば、驚いたかのように無風で葉がざわめき、即座に咎めるような声が降ってきた。
『リチャード、これは主の独断か』
「はい。ずれが取り返しのつかないところまで広がる前に、私の方で手を打たせてもらいました」
 問われた青年があっけらかんとして言えば、呆れたように再び緑が揺れた。
 この反応には思わず目を瞬かせたターヤだったが、すぐにある可能性に思い至る。
「もしかして、ユグドラシルが呼んでるって嘘だったの?」
「はい。レコードが目覚めてから、お二人と《世界樹》との間に亀裂が走りかけているように見えましたので、修復の手伝いをさせてもらおうと思いまして」
 ターヤは唖然とした。以前この場所で《記憶回廊》としてのスラヴィの精神を崩壊まで追い込んだ彼を覚えている身としては、この言葉が嘘くさく聞こえて仕方なかったのだ。

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