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二十五章 そして円は‐wendepunkt‐(10)

「そう言うのをお節介って言うんだよ」
 同様の思考なのか皮肉の籠った返しを行うスラヴィだったが、相手は無言で笑みを湛えたままだ。
 またも嘆息するかのように葉が動いた。
『すまない、ターヤ、スラヴィ』
「これくらいで謝れるんだったら、俺の記憶を奪って自我を制限した本当の理由を話してよ」
 突き刺すような声を受け、ターヤは弾かれるように少年の方を見た。やはり彼はまだ、その事を心の奥底では引きずっていたのだ。
 予想はしていたのか、今度は《世界樹》が動揺する事は無かった。
「《世界樹》、話してしまっても良いのでは?」
 追い打ちをかけるようにリチャードが囁く。
 スラヴィは、黙って大樹を見上げていた。
 しばらく無音の時間帯が形成されたが、やがて《世界樹》は諦めたように一度だけ緑を揺らした。
『主は、生前の自身が特異体質であった事は思い出しているか?』
「うん、生前の俺は不老不死だったよ」
 一瞬聞き間違いかと思い、スラヴィを凝視してしまったターヤである。
 全ての生命の中には、何億人に一人くらいの確率で『特異体質』と呼ばれる者が生まれる事がある。それは中性ないしは無性の者であったり奇形であったりと、髪と目の色が異なる〈マレフィクス〉程ではないにしても『異端』として認識される事がある存在だ。
 一応知識としては知っていたターヤだが、実際そのような者にお目にかかれるとは思ってもいなかったのだ。
「イーニッドにそれを譲ったから今はもう違うけど、《記憶回廊》としての存在もそんな感じだったよね」
 不老不死とは他者に譲れるものなのだろうか、と今度は頭を悩ませ始めたターヤに気付いたのか《世界樹》が説明を入れてくれる。
『特異体質の者は、身体における〈マナ〉の構成が雛型とは異なってしまった際に生まれる。故に〈マナ〉の扱いに最も長けているドウェラー、特に〔マナ使いの一族〕には他者の身体構造を弄る事も可能だ。流石に不老不死ともなると他にも要素があるのだが、彼らに一任すれば、自らと他者の身体構造を入れ替える事も可能という訳だ』
 説明を聞いたターヤはなるほどと思う反面、悪寒を感じてもいた。それは、一歩誤れば他人を殺せてしまう技術でもあるのだろうから。
 そちらに気付いているのかいないのか、大樹は話の軌道を元に戻す。
『すまない、話が逸れてしまったな。ともかく、主がそのような特異体質の中でも特別であった為に、吾は主を《記憶回廊》として選んだのだ。だが幾ら特別とは言え、やはり生命に《神器》の一部を――全ての記憶を受け入れさせるという事は無謀でしかなかった。負荷に耐えきれず崩壊しそうになった主の精神を護る為に、吾は主の記憶を奪い、自我を制限し、その身に宿った世界の記憶でのみ言葉を紡ぎ、吾の命令する通りに行動するようにしたのだ』
 だが、ともう一度。
『オーラとの取り決めにより、主を《記憶回廊》とする期間は決まっていた。オーラが秘宝で足りぬ部分を補えるようになるまでまだしばらくはかかるが、次の春が来る時には主から奪っていたものを返せる予定だったのだ』
 そこで大樹は青年を一瞥するが、彼は何事も無かったかのように受け流した。
『だが、本当にすまなかった、スラヴィ』
 重々しく《世界樹》が告げた真実に、やはりかという感想をターヤは抱いていた。やはり彼は本当に優しかったのだと再認識し、あの時オーラがペルデレ迷宮の秘宝を欲したのには、そのような理由があったのだと知る。
 ふと、そこでスラヴィの反応が気になった。そっと隣を窺ってみると、彼もまた同じような表情をしていた。そこに怒りや憎しみなどの負の感情は浮かんではおらず、少しだけ安堵を覚える。
「……やっぱり、か。あれから冷静になっていろいろと考えてみたけど、そんなところなんじゃないかと思ったよ」
 少し間を開けるかのように、ゆっくりとスラヴィは息を吐き出した。

 気付いていたのかと驚き顔になったターヤと同じく、《世界樹》もこの反応は予想してはいなかったようだ。
『気付いていたのか』
「あくまでも想像だったけどね。ところで、俺はもう《記憶回廊》じゃないんだよね?」
 あ、とその言葉でターヤは思い出す。彼が素の性格になったという事は自我を取り戻したという事で、《記憶回廊》ではなくなったという事だと推測できたが、どうにも本人には訊きにくく流れてしまいそうになっていたのである。
『主が倒れると同時にオーラが引き継いだままだ』
 秘宝にも彼女の現状についても触れず、問われた部分だけに《世界樹》は答えた。
 その時、スラヴィが何とも言えないような複雑な表情になったようにターヤには思えた。
「そう、彼女が」
 淡々とした物言いだったが、努めてそうあろうとしている事は誰の目にも明らかだった。
(でも、オーラは大丈夫なのかな)
 これまで耳にしてきた情報から推察するに、元々《記憶回廊》というのはオーラの仕事なのだろう。だが、彼女は何らかの理由で本人言うところの『出来損ない』だった為にその責務を果たせず、故に《記憶回廊》という存在が創り出された。
 加えて、彼女はその不足分を補う為に秘宝を必要としていたらしいが、それが馴染むまでにまだ時間がかかるそうだ。それだと言うのに、スラヴィが倒れてしまったので半強制的にその責務を追わざるを得なくなった。不足したまま、完全ではないまま。
(何だか、リチャードは確信犯な気がする)
 悶々とターヤが思考を巡らしている間にも、すっかりと話題が途切れていた。そこで自身もまた《世界樹》に訊きたい事があったと思い出した彼女は、覚悟を決めて大樹を見上げ、そして口を開いた。
「ねぇ、ユグドラシル、今度はわたしが訊いても良い?」
『構わない』
 こちらも想定内だったらしく、大樹は彼女の言葉を受け入れた。
 ごくり、と唾を飲み込む。自分から話題を振ろうとしておきながら、やはり緊張からは免れられなかった。もしも肯定されたらどうしよう、でもユグドラシルは優しいから、などというさまざまな思考が頭の中をぐるぐると回る。
「わたし達《セフィラの使徒》の起源の、《セフィロト》って呼ばれる人達は……彼らは、今は〈生命の樹〉と一つになってるんだよね?」
 結局、ゆっくりと言葉を紡ぐ事でターヤは過度の緊張に対応した。
 そして《世界樹》はと言えば、驚愕したかのように大きく揺らめいた。そのような問いを投げかけられるとは思ってもいなかったようだ。
 隠し通すつもりだったんだ、とターヤはその反応から確信する。
「じゃあ、わたしも、最後はその人達と同じように〈生命の樹〉に取り込まれちゃうの? ルツィーナさんも、そうだったの……?」
 本題を口にした時、その顔は蒼白になり、その声はひどく震えていた。スラヴィがこちらを見たのが解ったが、今のターヤにそちらを見る事はできそうになかった。
 リチャードだけが笑みを絶やさぬままに状況を静観する中、大樹は揺らめくままだ。
『ニルヴァーナから、聞いたのか?』
 契約した事も知っているようだが、そこに驚く事は無かった。ただ、ぎこちなく頷く。
「うん。ニーナとジーンが、教えてくれたの」
『そうか。知って、しまったのか』
「! じゃあ、やっぱり……?」
 人の姿であったならば大きく息をついていたであろう《世界樹》の様子に、ターヤは自身の予測が正しかったのだろうかと更なる不安を覚えた。《世界樹》の事は信じたかったが、本人から事実を突きつけられれば、それもまた音を立てて崩れ落ちていくのだろう。

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