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二十五章 そして円は‐wendepunkt‐(8)

 すかさずニルヴァーナが対応しようとしたが、ターヤは腕だけで制した。意図を読み取って引いた白龍の前で、再び杖を構えた彼女は早口で詠唱を紡ぐ。
「『Luce della Genesi, II Tsudoe qui ora, La lucentezza della purificazione fresco e chiaro, Lampeggia I’oscurita e il male, Portero migliaia di luce al mondo, A seconda del mio nome, Tu conosci la luce paga il buio』!」
 それは、古代語だった。
 耳にした事など無いというのに、それが古代語なのだと皆は理解できてしまい、少女へと集中していた驚愕の視線が更に強まる。
「〈無限光〉!」
 力の籠った声が空間に響き渡る。
 そして、光が訪れた。
 それは闇魔どころか、誰もが少なからず心に有する負の感情をも根こそぎ奪ってしまうくらいに強烈で強力な、けれどどこか優しく柔らかくもある浄化の光だった。
 白き光は空間全体を覆い、一行も〔騎士団〕も例外は無く全員を包み込む。
 そうして光が収まった時、騎士達は毒気を抜かれたかのように呆然と立ち尽くすか、座り込むかの二択だけになっていた。
 一行と幹部級の面々にはそこまで大きな変化は無かったが、彼らもまた少なからず影響は受けているようで、唖然としたような顔になっている者が多い。
「何を、したの……?」
 夢遊病の如くセレスが問う。
「既に御察しかとは思いますが、ターヤさんは、この場に居る全員が御持ちになっていた敵愾心などの負の感情を浄化されたのです。元々は対闇魔用の最終手段ですので、皆さんにはそこまでの強い効力は無いとは思いますが」
 本人が答える前にオーラが機械のように事務的な声で説明を紡いでいたが、皆が理解に至るにはそれだけで充分だった。
 故に、人によっては変化の度合がさまざまなのかとエマは察する。
 これまで《世界樹の神子》について詳しくは知らなかった面々も、龍の召喚に加え、古代語による詠唱と圧倒的な効力を持つ魔術を見せつけられては、これが事実なのだと認めるしかなかった。
 ただの後衛《職業》にしか見えない筈の少女は今、圧倒的な存在感をもって自覚の無いままにその場を掌握していたのだ。
「くそっ、小娘如きが……!」
 それでも尚、信じず抗おうとする騎士も若干名居た。オーラの言う通り敵意を完全には浄化されなかったらしき彼らは、忌々しげに何とか立ち上がるか動こうとし、憎々しげに声を上げながら彼女を睨みつける。
「まだやられるようでしたら、今度は私が相手になりましょうか?」
 しかし突如として第三者の言葉が割り込んできた事で、皆の意識は別所へと動かされた。
 見ればそこには、その声の主らしき黄色の髪に白を基調とした服装の青年が居た。いつの間に、どこから現れたのかも解らないくらいに気配が無かった。
 そんな彼に一行は、特にターヤは見覚えがあった。
「リチャード!」
 名を呼んだ彼女に応えるようにして彼は会釈し、〔騎士団〕へと視線を戻した。
「世界樹の民、か。分が悪いね」
 その辺りから彼の正体を察したフローランが珍しく苦々しげに呟く。それからすばやくブレーズと部下達を見回した。
「帰るよ。この事を《団長》に、報告しないといけないからね」
 たかが小娘一人にしてやられた騎士達、そして仇を前にした龍と龍騎士は大いに不満そうだったが、余裕の無さそうな《死神》という珍しい光景から事態の悪さは悟ったらしく、渋々と従う。
 アンティガ派も同様に考えていたようで、セレスが部下達に命令を出して撤退していく。
 オッフェンバックの姿は、いつの間にか消え失せていた。

「相変わらず逃げ足だけは、はえぇ連中だよな」
 すっかりと開けた空間を見回してから、まるでアシュレイのようにアクセルは呆れる。
 その横では警戒を裏側に隠したエマがリチャードに声をかけていた。
「貴方は、なぜここに来たのだ?」
「せっかく助け船を出しにきたと言うのに、御挨拶ですね」
「おまえが来なくてもニルヴァーナが居るんだし、あのままでも何とかなりそうだったとは思うけどな」
 気付いているが故にわざとらしく肩を竦めてみせるリチャードだが、これは少し離れた場所からレオンスが取り付く島も無くばっさりと切り捨てた。
 世界樹の街での様子から皆も彼に不信を抱いたままなのかとアクセルは察して、そこで偶然マンスがオーラを見ている事に気付いた。未だ蒼白な顔をした少女はレオンスが傍に居る事にも気付かず突っ立っており、少年は複雑そうにその光景を見ているようだ。
 と、鋭い目付きを向けてきているスラヴィに気付き、リチャードは彼に視線を移す。
「どうかしましたか、レコード?」
「助け船を出しに来たって言ってたけど、他にも用があるんだよね?」
 若干の私情は込めつつも確信を持ったスラヴィの言葉で、音も無く地に降り立ったニルヴァーナに声をかけようとしていたターヤは、初めてその事実を知った。
「ニーナ、ちょっとごめんね」
『はい、どうぞ』
 気になったので断りを入れれば彼女は快諾してくれた為、その好意に甘えて彼らの方に目と耳を傾ける。
 リチャードはスラヴィの言葉に頷いていた。
「はい。いろいろとあって随分と遅くなってしまいましたが、次の《守護龍》が選ばれるまで、この聖域の護りを《天使》に任せる事にしましたので、その報告も兼ねて参りました」
「天使?」
 思わず目を丸くしたターヤである。闇魔が悪魔のような存在であるならば、対極に位置するそのような存在が居てもおかしくないとは思うので、そこまでの驚きは無い。しかし、寧ろ構図的には彼ら世界樹の民がそれに当たるのではないのだろうか。
 彼女の考えを察したリチャードは首肯する。
「はい。私達がそのように呼ばれていた時期もありましたが、私達のような『まがいもの』ではなく、本物に護ってもらいますので」
 その言葉が引っかかり眉根を寄せたターヤだったが、それよりも早く青年は次に移る。
「ところでケテル、それとレコード。《世界樹》があなた方に話があるそうなので、ついてきてもらえませんか?」
 世界樹、という単語にぴくりとスラヴィが反応を示す。
 まだ逆鱗だったのかと内心慌てかけたターヤだったが、続けて無言で首を縦に振った彼を見て密かに安堵した。仲間達が僅かに警戒を覗かせていた事には気付かず、自身もまた相手の問いに肯定の意を示す。
「うん、解った。でも、ちょっと待っててもらえないかな? まだニーナに挨拶も何もできてないから」
「はい、解りました。では、準備ができましたら声をかけてください」
 一礼したリチャードから、ニルヴァーナへとターヤは視線を動かす。そしてようやく彼女に、本当の意味で声をかけたのだった。
「久しぶり、ニーナ」
『お久しぶりです、ターヤさん』
 白龍もまた契約者に応え、首から上だけをゆっくりと下げる。それからにこりと微笑んだ。
『素敵な詠唱文言をありがとうございます』
 言われた瞬間、ターヤは冷や水をかけられたかのような心情となり、すぐさま羞恥で熱くなった。先程は感情的になっていたので我に返っている余裕も無かったが、今思えば自ら考えた詠唱文言を人前で堂々と口にするのは途轍もなく恥ずかしかったのだ。

アイン・ソフ・オウル

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