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二十五章 そして円は‐wendepunkt‐(11)

 しかし、大樹は慌てたように声を飛ばしてきた。
『いや、そのような事は無い。確かに彼らは人柱にさせてしまったが、《セフィラの使徒》はそのような事にはならない』
 そこまででないとは言え《世界樹》にしては珍しく取り乱したような様子と声に、それらを初めて目にして耳にしたターヤは驚きに目を瞬かせた。
 視界の端では、スラヴィとリチャードもまた驚きを表情に表している。
『ただ、吾は主には辛い選択を迫る時もあるだろう。そこは肝に銘じておいてくれ』
 苦渋の決断をしたかのようにも聞こえる声だった。
「ユグドラシル……」
『そろそろ、戻った方が良いだろう。主に頼んだ用事もまだ途中のようだからな』
 名を呼んだ声に応える声は無かった。同時に話を逸らされたのだと理解するも、ターヤの中では怒りなどは湧き起こらなかった。《世界樹》が何かを隠しているのだろうとは何となく察せたが、問い詰める気にはならなかった。つい先程の大樹の言葉の裏に潜んでいたであろう心情を、読み取れた気がしたのだから。
 だからこそ、ターヤは暗雲が取り払われたような顔で頷く。
「うん、解った」
(《セフィロト》と同じようにはさせないって、言ってくれた気がするから。わたしは、ユグドラシルを信じられる)
 相手の発言にそのような意味が含まれていたという確証は無かったが、どうしてかターヤはそう確信していた。
 そんな彼女を横目で見たスラヴィは両目を見開き、しかしすぐに視線を大樹に戻す。
「じゃあ、俺達は帰るよ」
『ああ、気を付けて』
 どこか遠慮がちに《世界樹》はスラヴィへと声をかけた。
 対して彼は、もう気にしていないと言わんばかりに首を横に振ってみせる。
「皆さんのところまで送っていきましょうか?」
 続けてリチャードが提案すれば、少年は彼をじっと見つめてから答えた。
「うん、お願い」
 それからターヤの方は見ず、彼女だけに届く声で呟く。
「彼には、気を付けた方が良い」
 唐突に話しかけられたターヤは驚きそうになるところを何とか堪え、スラヴィの視線の先から『彼』と言うのがリチャードを表している事を知る。先程感じた彼への違和感や不審さを思い出し、首は動かさずに賛同した。
 彼女の返答を確認したスラヴィは何事も無かったかのようにその傍から離れ、リチャードが帰り道を用意した方へと行く。
 ターヤもまた一度だけ深呼吸をしてから、彼を追うようにしてそちらに向かったのだった。
 その頃、採掘場の最奥では、皆に断ったアシュレイが空間の隅でニールと連絡を取ろうとしていた。アジャーニの一件があった後なのでエマに申し出た時に探るような視線は感じたが、それが誰から向けられているのか、どのような表情をしているのか、という事は気にも止まらなかった。今の彼女は、すっかりと他の事に気を取られていたからだ。
(速く、ニール……速く!)
 通信用の魔道具を握り締めたまま、水の町ヴァッサーミューレの時と同じように彼女は心の中で念じ続ける。彼女が帰ってくる前に速く通信を繋げて言うべきことを言わなければ、という一心だった。
 だが、一つだけあの時とは正反対な事があった。
『――はい』
 同様に通信回線が繋がって、けれど答える前に皮肉にもそれで我に帰れたアシュレイは、一度だけ深呼吸をする。そうして冷静になった思考で名乗った。
「あたしよ、ニール」
『あっちゃん? どうしたの~?』
 通話の相手こと〔軍〕の《元帥》ニールは、やけに落ち着いているアシュレイの様子を怪しんだようで、訝しむような声を返してきた。

 一瞬気が引けそうにもなったが、ここで負けてはいけないと彼女は自身に言い聞かせる。
「ええ、ちょっとお願いしたい事があるのよ」
『お願い?』
 更に不可解そうな声が返される。
 ごくり、とアシュレイは音を立てないように気を付けながら唾を飲み込んだ。突如として緊張に襲われるも、大丈夫、大丈夫、と心の中で自分自身に言い聞かせる。
「ええ。もう少し、あたしに時間をくれないかしら。ほんの少しだけで良いの。お願い、ニール。もう少しだけ、あたしに猶予をください」
 敬語にしてしまっては完全に服従したと取られかねないので、プライドもあって素の口調のまま頼み込む。直接的に言わなくとも、何の話なのか相手には伝わった事だろう。
 すぐに返答は無かった。
(まだ、ニールが大丈夫でありますように)
 猶予があってほしいと切に祈る。アシュレイは可能な限り時間稼ぎをして、その間にニールを説き伏せるつもりだった。まだ大丈夫なのだと、彼はそこまで浸食されていないのだと、おかしくなってはいないのだと、彼女は信じたかったのだ。
『……命令だよ、アシュレイ』
 けれど、僅かな希望に縋る彼女に落とされたのは、無慈悲な宣告で。
 思わず声にならない声が上がる。悲鳴のようなそれは、離れた場所に居た一行にも届いていた。
「アシュレイ?」
 怪訝そうにエマが振り向くも、彼女はそれにすら気付けなかった。
『ちゃんと、《巫女》様をわつぃのところまで連れてきてね。ああ、でもアシュレイは優柔不断だから、場所と時間を指定しておいた方が良いよね』
 そうして、彼は自らが決めた場所と時間を不出来な部下の脳髄へと叩き込む。
『じゃあ、今度こそ、ちゃんと仕事してね』
 念を押すように告げて、ぶつりと通信は切られた。
 アシュレイは何も言えないまま、その場に立ち尽くす。
「……アシュレイ?」
「どうしたんだよ?」
 様子がおかしい事に気付いたエマとアクセルが彼女へと近寄るが、彼女はその事にすら気付けなかった。脳内を、つい今し方叩きつけられた『命令』が反芻するかのように何度も回り、占めていたのだから。
 いったいどうしたものかと二人は顔を見合わせ、もう一度声をかける。
「ただいまー」
「ただいま」
 直前で、空間の一部が切り取られたかのように開いたかと思いきや、そこからターヤとスラヴィが姿を現した。
 驚いた皆の意識がそちらへと向けられ、アシュレイの事は一旦隅に追いやられる。
 エマとアクセルはどうしたものかと言うように困惑するが、その間にもオーラとレオンが二人を出迎えていた。
「御帰りなさい、御二人とも」
「話は終わったみたいだな」
「うん」
 出かける前に見た蒼白な様子は綺麗さっぱり笑顔で塗り固めてしまっているオーラと、隅の方でこちらに背を向けているアシュレイ、そしてオーラが先に声をかけたからか口を噤んでしまっているマンスが気になりつつも、ターヤはレオンスに頷き、笑ってみせる。
「もう、ユグドラシルの事は大丈夫だから」
 外見的には何も変わっていないが、その表情はどこか一皮剥けたように見えた。
 そんな彼女を目にした瞬間、もしかしたら、と直感的にアシュレイは思った。もしかしたら彼女なら、と脳内が水を得た魚のように急にフル回転ばりに稼働し出す。
(彼女なら、ニールを救ってくれるかもしれない――)
 自身の顔が生気を取り戻しつつある事に、アシュレイ本人は気付かなかった。

 そんな彼女をアクセルは横目で見つめていた。その胸中に嫌な予感を抱えながら。
 数人を気遣ったエマが今日は宿屋に戻ろうと言い出すまで、彼女と彼はそのまま動かなかった。


 そして翌朝、誰かが慌ただしく出ていく気配を察した一行が目を覚ませば、女子部屋からはアシュレイとターヤの姿が消えていた。

 

  2013.11.22
  2018.03.14加筆修正

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