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二十五章 そして円は‐wendepunkt‐(1)

(何で今日って、こんな空気ばっかりなのかなぁ)
 鉱山の麓ベアグバオの宿屋の一室にて、ベッドに腰かけたターヤは窓際に頬杖を突いていた。今は部屋に一人なので居心地の悪い空気は漂っていないが、今朝も似たような状況だった事を思い出していたのだ。そこについては自分が悪かった事は自覚しているが、こうも一日に似たような事が続くと、もしや今日と言う日は呪われているのではないのだろうかとすら思えてくる。
 ふと思い出したように耳を欹ててみたが、隣の男子部屋からも廊下からも音は聞こえてこなかった。
(アシュレイもオーラも、まだ帰ってこないのかぁ)
 アシュレイは街に着いてからどこかに行ってしまったきり戻ってこないし、オーラもまたラ・モール湿原で別れたきりそのままだ。とは言え、エマがアシュレイを捜しにいったようなのでそちらは彼に任せておけば大丈夫だろうし、オーラのことはレオンスが自ら動こうとするのだろう。
 寧ろ問題なのはマンスの方かもしれない。彼は湿原からずっと押し黙ったままで、レオンスどころか誰の言葉にも耳を傾けようとはしなかった上、宿屋に着いて女性用と男性用の二部屋をとるや、すぐに部屋に飛び込み布団を被ってしまったのだから。
 そのように全体的に一行はぎすぎすしていたので、エマが詳しい話はまた明日にしようと提案しても、表立って異論を唱える者は居なかった。
(……寝よう)
 ターヤもまた気になる事がありすぎて寝る気にはなれなかったが、ここで自分がこうしていても何が変わる訳でもないと思い、大人しく布団に入る事にした。既にブーツやらキャスケットやら就寝に邪魔な物は脱いでいたので、そのままの格好で横になる。
(そう言えば、ここから採掘所って近かったっけ?)
 以前《世界樹》から、スラヴィがアグスグウェルター採掘所に貼ってくれた〈結界〉が消滅したと教えてもらった事を思い出し、途端にターヤは気になり出す。
(でも、今日は話せるような状況じゃないし、明日エマにでも話してみよう)
 それでも何とか逸る気持ちを抑え込むと、彼女は眠りに就くべく瞼を下ろしたのだった。
 その頃、アシュレイは街の郊外にて地面に膝を抱えて座り込み、そこに顔を埋めるようにして突っ伏していた。
(……どうしよう)
 数時間前、湿原にてアジャーニに事実を暴露された事が――アシュレイが一行を裏切ろうとしているという事実を彼ら自身に知られてしまった事が、ぐるぐると彼女の頭の中を巡っていた。
(どうしたら、良いの)
 湿原ではオーラの一件もあってか何とか追及は逃れたが、皆と一緒に居るのが耐えられず、この街に着いてからはすぐに逃げるようにこの場所まで来てしまったのだ。以来、彼女はずっとこのままの姿勢だった。戻ろうとは思えなかった。皆の顔を見た訳ではないのでどのような感情を抱かれているのかは解らなかったが、それでも彼らと顔を合わせるのが今は何よりも恐ろしかった。
(あたしは――)
「アシュレイ」
 声をかけられて、そこでようやく隣に人の気配がある事に気付く。弾かれるようにして振り向けば、そこに居たのは他でもないエマだった。その事実に、ひどく安堵を覚える。
「エマ、様」
 無意識のうちに震える声が彼の名を紡いだ。
 エマは優しく柔らかく微笑むと、静かに彼女の隣に腰を下ろす。
 思わずびくりと両肩を跳ね上げて顔を背けてしまったアシュレイだが、彼は気にせず口を開く。
「話しにくいのならば、無理に話さなくとも良い」
「え……?」
 驚きで、再び首が彼の方へと回る。ぽかんとした表情になった彼女を彼は苦笑気味に見て、そして再度微笑んだ。
「ただ、一人で抱え込むのは良くはないのだから、打ち明けられる相手には相談しておいた方が良い。貴女はまだ何も行ってはいないのだから、今なら事情を話せば皆も解ってくれるだろうからな」
 この言葉で、頑なに閉ざそうとしていた扉の鍵が緩んだ。彼にならば相談できるのではないかという思考が生じたかと思えば、急速に膨張する。同時に反射的に身体が動いていた。
 縋るように服を掴んだアシュレイと、驚いたようなエマの視線が合う。

「エマ様――」
 言いかけて、そこでアシュレイはこちらに近付いてくる第三者の気配を察知した。即座に首ごと眼を動かして、それがアクセルだったと知る。彼は軽く息を切らしながらも、どこか呆然としたような表情で二人を見ていた。
「あんた……」
 相手が彼だと判った瞬間、邪魔をされた事に対する文句と来てくれた事に対する安堵とが、ごちゃ混ぜになって面にまで浮上した。自分の思考ながら、後者が理解できなかった。
 それに勘付いたエマは、そっと彼女の傍から離れる。
 逆にアクセルは二重の意味で動揺していた。
「何で、あんたがここに来るのよ……!」
 苦虫を噛み潰したかのような顔で叫ぶや否や、アシュレイは瞬間的に立ち上がると同時に駆け出し、アクセルの横を風の如く通り過ぎて消え去った。
 その背中を見送る為に振り向く事すら、アクセルはできなかった。
 そして場には二人の青年だけが残される。
「アシュレイのことが気がかりだったのは解るが、もう少し空気を読む事だな」
 彼に付き合う道理も無かったので、エマは言っておくべき言葉だけを口にして自身もまた宿屋に戻ろうと歩き出す。
 しかし、斜め向かいまで来たところで相手もまた言葉を紡いできた。
「おまえは良いよな、アシュレイのことをちゃんと理解できてんだからよぉ」
 明らかな嫉妬と羨望とで彩られた声と、同様の感情を宿すあまりくしゃくしゃに歪められた顔だった。
 発言の内容自体は最初から予想できていたものだとは言え、どうしてかエマは返す言葉が思い浮かばなくなる。そのまま何事かを言い返そうともせず、彼は相棒を残して彼女を追うように街の中心へと入っていった。
 結局来た時と同じく一人になった青年は、しばらくその場に突っ立っていた。


 翌朝、ターヤが起きてみると、昨夜と変わらず同室の二人の姿はなかった。ただし綺麗に整えられていたベッドのうちの片方は掛け布団がくしゃくしゃになっており、その上で誰かが寝ていた事を表していた。
 もしかして、と思いながら用意を済ませて部屋を後にし、隣の男子部屋の扉を叩く。
「――はい?」
 中から飛んできたのはエマの声だった。
「あ、ターヤだけど、入っても大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
 許可を貰えたので中に入ってみれば、そこにはエマとスラヴィとアクセルとマンスしか居なかった。しかも前者二人は普段通りだが、後者二人は不機嫌そうにあらぬ方向を向いていた。マンスは解るとして、アクセルがそうしている理由がターヤにはさっぱりだった。
 ともかく、アシュレイも居るのかと予測していたので眼を瞬かせる。
「あれ? アシュレイとレオンは?」
 不思議そうな顔のまま問えば、エマから同じような顔が返された。
「アシュレイが戻っていた事に気付いていたのか?」
「だって奥のベッドがくしゃくしゃになってたから、そこで寝てたのかなって」
 正直なところアシュレイだという確証は無かったが、オーラならば几帳面に直しそうな気がしたし、何より彼女はマンスに気を遣って帰ってこなさそうな気がしていた。
 なるほど、と返したエマは最初の疑問に答える。
「アシュレイは起きると同時に、また宿の外へ出ていったようだ。レオンスは一晩中ずっと街の入り口付近でオーラを待っていたようだな」
 ここまで聞いたところで嫌な予感を覚えた。
「もしかして、今も?」

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