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二十四章 重なる冷熱‐exposure‐(7)

 ユリアナは、その光景をただ無心で見ていた。そうして入ってきた一人の青年の姿を目にした瞬間、あ、と小さな声を零す。彼はペリフェーリカまでの道中、彼女を助けてくれていた人物だったからだ。
 その青年ことセアド・スコットもまた、彼女が起きていた事に驚いていた。しかし、すぐにその表情は安堵へと転じる。
「お、目が覚めたんだな」
 そう言いながら彼は入室してベッドの傍まで来るとしゃがみ込み、そっと伸ばした手で彼女の額に優しく触れた。
 人見知り且つ異性への免疫も低いユリアナは思わず硬直するが、その手はすぐに離れていく。
「熱も無さそうだな。具合のわりぃとことか、ねぇか?」
 確認するように問いかけられた為、ユリアナは首を横に振った。
 するとセアドは笑みを浮かべる。
「そっか、なら大丈夫そうだな。けど、油断は禁物だからもう少し休んでろよ。んじゃ、何かあったら呼べよ」
 伝えるべき事だけ伝えると、セアドは退室していった。
 そこでようやく、自室の扉が最初に開けられたままだった事をユリアナは知る。よく知らぬ男と二人きりにならないよう気遣ってくれていたのだと気付き慌てて礼を述べようとするも、その時には既に彼の足音は遠くにあった。
 そして、彼女は父親の死を現実として認識してしまった事への恐怖が、すっかりとどこかに行ってしまっている事にも気付いた。
 それから、しばらくして見舞いにやってきた同僚のメイドたるフィロメーラの口から、ユリアナは取りにいった荷物が無事にヌアークの手に渡った事、そして彼が自らをここまで連れ帰ってくれた事と、今ここに居る理由を聞かされた。そうなれば居ても立ってもいられなくなって、彼女は自室を飛び出して彼を捜していた。行く先々で出会う人に声をかけられる度に彼の所在を尋ねていた結果、ようやく彼女は孤児院の外へと辿り着く。
 捜し人は、エスペランサの出入り口付近で二頭の龍と何事かを話しているようだった。声をかけようとしたところで何と言えば良いのか解らなくなり、ユリアナはただ楽しそうな様子の彼を眺めるだけになってしまったが、やがて龍達の方が先に彼女の存在に気付いた。かなりの迫力を持つ巨体と視線がかち合い、反射的に彼女は全身を竦ませてしまう。
「ん? 何だ、どうかしたのか?」
 けれどもそこでセアドが声をかけてくれた為、その緊張は比較的すぐに解れた。意を決して、連慮勝ちにユリアナは彼らへと近付いていく。
 彼女が近くに来て口を開くまで、彼は無言で待っていた。
「あ、あの……」
「ん?」
「その、いろいろと、ありがとうございました」
 まずは今までの全てをひっくるめた礼を伝えるべく、ユリアナはしっかりと腰を折って深々と頭を下げた。
 相手の言いたい内容を察したセアドは、大した事ではないとばかりに軽く手を振ってみせる。
「良いって、気にすんなよ」
 どうやら迷惑には思っていなかったようだと知り、ユリアナはまずそこに安堵した。それから、次にフィロメーラから聞いた話について確かめようとする。
「それで、その……」
 だが、喉から出かかった言葉は途中で閊えてしまった。このような事を訊くのは自意識過剰ではないのか、勘違いだったなら恥ずかしすぎる、などという思考が台頭してきたのだ。
 何かを言いかけて黙ってしまった彼女をセアドは不思議に思うも、先を催促する事はせず気長に待つ。
 どうしたものかと軽い混乱に陥りかけてしまったユリアナだったが、このままでは埒が明かない上に相手にも申し訳無いのだという思考に変化した。そうともなれば若干の自棄が入り、当たって砕けろの精神で彼女は口を開く。

「その……スコットさんは、私達に協力、してくれるんですよね?」
「あぁ」
 確認するかのように問うてきた彼女に益々疑問を覚えつつも、セアドは頷く。
 対して、ユリアナはそこで一旦言葉を切った。ごくりと唾を飲み込んでから、恐る恐る本題へと触れる言葉を発する。
「それで……その、その理由が……あの、私を気に入ってくれたからだ、って、同僚から、聞きました……」
 しかし結局は羞恥が一気に膨れ上がってしまい、最後の方は萎んでいく形となってしまった。
 一方のセアドは呆気に取られたような顔になってしまう。
「……曲解されてんなぁ、それ」
「えっ、すっ、すみません!」
 その言葉に羞恥を通り越して戦慄にも近いものを覚えたユリアナは、弾かれるようにして再び深く頭を下げていた。先程のものとは異なり、今度は謝罪の意味でだ。
 これにはセアドの方が慌てる。別に失礼だとも失言だとも思わなかったからである。
「あ、いや、全然違うっつー訳じゃねぇからな!」
「え……?」
 弁解するかのように言葉を紡げば少女は小さく声を上げ、顔色を窺うかのようにそっと顔を持ち上げてきた。
「あのな、オレはどうにもキミがほっとけなかったんだ。危なっかしくてほっとけねぇし、すぐ崩れちまいそうだしな。……さっきペリフェーリカで気を失うくらいショックを受けてたのも、見たくねぇもんを見ちまったからなんだろ?」
「!」
 躊躇いがちに紡がれた声により、ユリアナの脳内に再び父の墓が蘇る。
「……あ――」
 またしても強い恐怖に襲われ飲まれかけるが、その前にセアドに抱き締められていた。突然の事に目を見開く程驚いてしまい、出かけていた悲鳴と涙はそこで停止する。
「わりぃ、やっぱ言わねぇ方が良かったな」
 彼女を抱き締めたセアドは、今にも泣き出しそうな赤子をあやすかのように、その背中を優しく労わるようにして撫でる。厭らしさなど一遍も無い、親が子に――あるいは兄が妹に行うような、そんな行動だった。
 その感覚が気持ち良く、一瞬前までの恐怖も忘れて無意識のうちにユリアナは彼にすり寄っていた。
「お、意外と良い甘えっぷりだな」
「!」
 しかし、セアドのこの言葉で溶け始めていた意識が一転して急浮上し、ユリアナは爆発的な速度で顔を離す。それに応じるかのように背中をあやしてくれていた腕は解けた為、彼女は彼から少しだけ距離を取った。
「何だ、もっと甘えても良いんだぜ?」
 若干のからかいを含めた顔で両腕を広げながら、けれどセアドは残念そうだった。
 逆にユリアナはつい先程まで自身が取っていた行動を思い出し、茹で蛸の如く顔を隅々までも真っ赤にしていた。思わず縮こまってしまう。
「す、すみません……」
「気にすんなって。それに、君は少しくらい他人に甘えるっつー事をしてみた方が良いと思うぜ? まだ二十歳にもなってねぇんだろ?」
 言葉通り全く気にしていない様子でそう言うセアドだが、ユリアナは困ったように答えるしかない。
「それは、そうなんですけど……」
「オレのことは兄とか父親だと思ってくれて構わないんだぜ?」
 そうは言われても、ユリアナにはよく解らなかったしぴんとも来なかった。

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