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二十四章 重なる冷熱‐exposure‐(6)

 一気に騒がしくなった周囲には気付かず、ただただマンスは感情のままに心中を吐露する。
「精霊を何だと思ってるのさ! おにーちゃんたちみたいな人が居るから……!」
 彼の叫びに呼応して、四精霊もまた雄叫びを上げる。
 大地が、空気が――世界が震えたように、その場に居る全員が錯覚した。
「な、何これ……!?」
 驚き忙しなく周囲に首ごと視線を向けるターヤとは対照的に、エマは一見落ち着き払っていた。
「四精霊は、世界の基礎たる四大元素を司る存在。と言う事は、彼らの怒りに世界自体が反応しているのか」
「しかも、それを引き起こしてるのがマンスの怒りなんだろ……」
 補足するかのように言い、アクセルが後方の少年をかなり警戒しながら見る。頬を冷や汗が伝った。
 マンスの憤怒は収まるところを知らないようで、彼の形相は未だ進化している。
『オベロンさま! だめですっ!』
 左肩では一生懸命にモナトが彼に呼びかけていたが、その声すら届いていないようだった。
 そして、彼の怒りを真正面から受け止めさせられた〔ウロボロス〕のメンバーはと言えば、子どもとは思えないその迫力に負けてすっかりと怯えてしまっていた。慌ててこの場から逃げ出そうという思考にすらなれないようで、その場で立ち竦むか、腰を抜かしてしまっているありさまだ。
 彼らよりは動じていないものの、《精霊使い》もまた常に変わらなかった表情を大きく動かして驚愕の面持ちとなっている。いつの間にか《鉄精霊》の姿は見当たらなくなっていた。
(だめだ……このままじゃ、マンスがあの人達を殺しちゃう!)
 一行に止まる気配の無い少年の激情を見て直感的に悟ったターヤは、彼を止めるべく〈無〉を使おうと杖を構えたが、それよりも速く少年の許へと向かってくる人物が居た。
 ターヤが思わず彼の名を口にする間も無く、その人物ことレオンスはマンスの眼前に辿り着くや否や、その左頬を思いきり平手打ちにしていた。
 強い衝撃を受けた少年の顔から怒りの感情が吹き飛ぶ。
 その直後、まるでそれまでの大気の震動など嘘であったかのように全てが収まり、そして追い返されるようにして四精霊はその姿を消した。
 自分達を襲う重圧から解放された〔ウロボロス〕のメンバーはその事に気付くや、我先にと逃げ出そうとする。
 だが、そこに一つの声が飛ばされた。
「――ああ、そうそう。尻尾を巻いて逃げ出すんだったら、ついでにその男を置いていってちょうだい」
 堂々と嫌味を口にしているのは他ならぬアシュレイで、彼女の視線の先には捕虜となっている〔暴君〕の男が居た。
 彼女がこれを口実に〔暴君〕に借りを作ろうと考えているなどとは露知らず、とりあえずは眼前の脅威から逃げ出す事が先だとして〔ウロボロス〕は素直に男を置いて逃走していった。無論《暴走豹》の指示に従ってしまった事にも小馬鹿にされた事にも、幸か不幸か彼らの頭は回らなかった。
 ただ一人《精霊使い》だけは残ってマンスを呆けたように見ていたが、我に返ると即座に魔術でその場から消え失せた。
 まるで嵐が去った後のような状況に取り残される事となった一行は呆然とする。
「……何で、止めたのさ」
 けれども、そこに地を這うような低い声が聞こえてきた。見れば、左頬を押さえたマンスがよろよろと立ち上がってレオンスを睨みつけていた。
「あんな、精霊に酷い事する奴らなんて、死んじゃえば良かったんだ! だいたい、おにーちゃんは海底洞窟の時だって――」
 そこまで言いかけて、はっとなったようにマンスは口を噤む。海底洞窟でも同じような状況下で彼を罵倒した事を思い出したのだ。それが、行き場の無い感情から生じた八つ当たりであった事も。
 レオンスは先程から険しい顔付きで少年を見下ろしたままだったが、そこで口を開く。
「おまえは、大嫌いな殺人鬼と同類になり下がるつもりだったのか」
 静かな、けれど低く怒りを孕んでいる声だった。

 思わず少年は縮こまる。身体の動きどころか声すらも封じられた形だった。
 そこにレオンスは追い打ちをかけるようにして事実を突き付けた。
「大好きな精霊の手を、自ら貶めるつもりだったのか」
「……!」
 ようやく理解した少年の顔色が激変する。
(そっか、ぼくはみんなに……サラマンダーたちに、人殺しをさせそうになったんだ。あんなにおとーさんおかーさんたちの仇を捜して、人殺しをするやつの気持ちなんて解らないって言っておきながら……ぼくは、大好きな精霊たちに同じことをさせようとしてたんだ……!)
 瞬間的に面は蒼白になり、強い後悔の波がどっと押し寄せた。自然と顔が下がってしまい、気まずさから上げられなくなる。それでも、そのまま逃げたくはなかった。決意を胸に頭を上げて、左肩へと視線を動かす。
 白猫は、未だそこに居て少年を見ていた。
「モナト、その……ごめん」
 何をしたから、とは言えなかった。
 しかし、すぐさま少年の言を否定するように首を振った白猫は、怒っても悲しんでもいなかった。ただ、少年へと微笑みかけていた。
『いいえ! モナトは、オベロンさまがモナト達の為に怒ってくれた事が嬉しかったです』
「……!」
 その言葉でモナトの方がよほど強くて大人だったのだと知った時、マンスは涙腺が緩むのを止められなかった。次いでぼろぼろと堰を切ったように涙が溢れ出す。
 突然泣き出したマンスにはモナトの方が慌てた。
『オ、オベロンさま!? 大丈夫ですか!?』
 つい直前までのしっかりとした様子が嘘のようにおろおろと狼狽するモナトを見ていると、涙も引っ込む気がして思わずマンスは笑う。
「ごめん、だいじょぶだよ」
 伸ばした右手で頭をゆっくり撫でると、モナトは気持ち良さそうに声を上げた。そんな白猫を愛おしそうに見ながら、マンスは本心からの言葉を口にする。涙はとっくに引っ込んでしまっていた。
「ありがと、モナト」
 そうして一通り撫でてから、次にそっと窺うように視線をレオンスへと向ける。彼の表情は変わっていなかったが、もう本気で怒っている訳ではない事はマンスにも解った。
「その、おにーちゃん。怒ってくれて、止めてくれて、ありがと」
 若干言いにくかったが、ちゃんと伝えなければと思えば口は動いてくれた。
 するとレオンスの表情が和らぐ。
「いや、おまえがちゃんと解ってくれる子で良かったよ」
 微笑みながらそう言ったレオンスの顔は、まるで父親のようだった。


 その頃、ユリアナ・コルテーゼはベッド上で目を覚ましていた。ゆっくりと上半身を起こしてから、最初にここが自室である事を確認する。続いてそれまでの記憶を呼び覚まそうとし、まずは〔君臨する女神〕の使いとして機械都市ペリフェーリカまで依頼品を取りにいった事を思い出す。それから、無事に荷物を受け取った帰りに、何かに引かれるようにして父の墓を見つけてしまったのだと回想すれば、途端に心中が再び荒れ始めた。脳裏で父の墓が鮮明に思い浮かぶ。
「……あ、あぁ――」
 口から悲鳴を上げかけたところで、扉がノックされる音がした。それにより我に返ったユリアナは、導かれるようにしてそちらを見る。再度のノック音を耳が捉えた。
「おーい、起きてっかー?」
 次いで、聞いた事があるようで無いような声も聞こえてくるが、彼女の声は先程とは異なり、喉の奥に張り付いてしまったかのように出てこない。
 その内にまだ寝ているものだと判断したらしく、声の主は音を立てないよう注意しながら扉を開けてきた。

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