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二十四章 重なる冷熱‐exposure‐(10)

 スラヴィは話に加わる気も聞く気も無いようで、歩きながらくるくると緩く回転していた。器用だなと思う以前に目が回らないのかと心配したターヤとは対照的に、マンスは凄いと言いながら瞳を輝かせて見ている。
 アクセルもまた、どこか呆れたようにそちらを一瞥してから続けた。
「オーラの方は想像できねぇけど、何かできちまいそうな気がするのが恐ぇところだよな」
「あら、トリフォノフさんは私をいったい何だと思っていらっしゃるのですか?」
「うおっ!? 驚かすなよ!」
「び、びっくりした……」
 前触れもなく背後から声をかけてきたオーラには、アクセルだけでなくターヤもまた驚く。
「あら、それは失礼いたしました。私の名前が聞こえてきましたので、反応するべきかと思いまして」
 全くもって発言のようには思っていなさそうなオーラの声にアクセルは呆れる。
「いや間違ってはいねぇんだけど、だからって背後から声をかけられても吃驚するっての」
「そうか?」
「っておまえもか!」
 今度は誰も驚かなかったものの、背後から声をかけてきたレオンスにはアクセルがツッコミを入れる。その顔には、この似たもの夫婦め、とせめてもの足掻きが書かれていた。ただしオーラにしか効かなさそうではあるが。
 ターヤはと言えば、この二人が相手だとアクセルはボケじゃなくなるんだな、と一歩下がった位置から状況を観察していた。そして先導である筈のレオンスが、なぜか自分よりも後ろに居る事を不思議にも思った。
「あっ」
「ざまぁ」
 だが、思考に意識が集中してしまったせいか見事なまでに足を水溜りに突っ込み、アクセルに盛大に吹き出された。勿論むっとしたターヤは彼に突っかかり、アクセルに優勢な口論が始まる。
 そんな最中、先頭のアシュレイは前方に人影を発見した。軍服に軍帽という、いかにも軍人らしき格好の人物である。また、眼の良い彼女には、この距離からでも相手の判断が付いていた。
(あれは……ヒューデック兵長?)
 あそこまで深く帽子を被っている軍人も今は珍しいので、判別はすぐに終わった。訝しげに眉根を寄せたまま、アシュレイは確かめるべく近付いていく。
 そうすれば相手もこちらに気付いたらしく、眼前へと向かって足を進めてきた。
 ターヤとアクセルの口論に意識を取られている面々は前方には気付いていなかったが、すばやく察したオーラだけは音を消してさりげなく後方へと下がっていく。
 後方は気にせず、アシュレイは互いに顔が良く見える距離まで来ると、立ち止まって相手と対峙する。その距離、約数メートル。
「ヒューデック兵長、こんなところで何をしてる訳?」
 不審と警戒とを存分に込めて、アシュレイはその男性へと問いかけた。言外に、クンスト橋の件に関する仕事もしていないようなのに、と付け加えながら。
 しかし、その男性ことウィレム・ヒューデックは、彼女の問いに答える事も反論する事もしなかった。
「スタントン准将、あなたはこの先には行かない方が良い」
 ただ淡々と、彼女に警告にも似た言葉を向けただけだ。
 無論、アシュレイには意味が解らない。
「はぁ? それってどういう――」
「忠告はしました」
 伝えるべき事はそれだけだとばかりにヒューデックは自ら話を終わらせると、そのまま向いている方向へと歩き出す。
 納得のいく筈が無いアシュレイだったが、声をかけたところで彼は止まりそうにもないと解っていたので、憮然とした表情で見送る事にした。
 ウィレム・ヒューデックとは、そういう男なのだ。与えられた仕事は一応こなすが、命令以外の人の話は聞かず、やる気があるのか無いのかも判らない、上司への敬意も感じられない人物なのである。

 そこでようやく他の面々もアシュレイが少し離れた先に居る事を知り、その横を通り過ぎるかのように一人の人物が向かってくるのにも気付いた。その服装と体格から軍人の男性だとは判断できたが、帽子を目深に被っているので顔までは解らない。
 ただ、ターヤは何となく彼に既視感を覚えていた。
(あの人、どこかで見た事があるような……?)
 そんな彼女の視線から逃れるように、男性は軍帽の唾を片手で掴んで引き、更に顔を隠そうとする。
 けれども首を傾げてみたり頭を捻ってみたりしたところで、一向に思い出す事はできなかった。その理由を、もしかすると元の世界での知人に似ていたのかもしれない、とターヤは結論付けた。
 その間にも、その男性は一行の横をも通り過ぎ、彼らの視界から去っていった。
 彼の視界から上手く逃れられた事に内心では安堵しつつ、オーラは何事も無かったかのようにレオンスの陰から出る。
 一連の彼女の行動に気付きつつも、レオンスは気付かなかった振りをした。
 そしてターヤは、アシュレイへと問いかけていた。
「アシュレイ、今の人って――」
「いいえ、何でもないわ。行きましょう」
 だがしかし彼女は質問も追及も許さず、再び歩き出した。隠す程の事ではなかったのだが、彼についての思考を纏める為に邪魔をされたくなかったからである。
 彼女の様子を不思議に感じつつも、ターヤ達もその後に続く。それでもしばらくすれば、再び他愛も無い話に花が咲き始めていた。
 先頭となって先へ進みながらも、アシュレイの脳内はヒューデックに対する考察で埋められていた。
(元々、あいつはどうにも不審な行動が何度か見受けられてたし、これは一度ニールに相談してみた方が良いのかもしれないわね)
 もしや〔騎士団〕か〔教会〕辺りのスパイなのかもしれない、と思った時だった。
「!」
 またしても彼女は前方に人影を発見したのだ。だが、その人物を特定した瞬間、今度は軽く安堵を覚えてもいた。
「アジャーニ中将!」
 その正体を知って彼女が上げた再びの驚き声に気付いてか、その人物ことアジャーニが振り向く。
 同様に今度こそ意識を奪われた一行もまた、そちらに視線を動かす。
 しかし、アジャーニがアシュレイに向けた目はそれまでとは全く異なっていた。今までの尊敬や憧憬の入り混じった主人に尻尾を振る犬のような瞳ではなく、蔑みや落胆、失望と言った感情で構成された目付きだった。
 あまりの急激な変化に驚いたアシュレイが思わず固まる。
「……この、裏切り者が!」
 そこに追い打ちをかけるようにしてぶつけられたのは、唐突な叫びだった。言葉通り裏切られたかのような悲愴感が含まれた、喉の奥から絞り出したような声だ。
「……え?」
 あまりに脈絡がなさすぎて、アシュレイが間の抜けた表情でそのまま停止する。そのくらい突然の事だったのだ。それでも彼女は軍人としてのプライドから、即座に動揺を押し隠して表情を正す。
「アジャーニ中将、それはいったい――」
 尋ねかけて、そこでようやくアシュレイはその理由を察した。瞬時に顔から色が消え失せていく。
 逆に事情の解らない面々は、驚きを顕にアシュレイとアジャーニを見比べるしかない。
 アジャーニは感情的な側面を仕舞うと、軍人としての面を引っ張り出した。
「貴方がいつまで経っても命令を実行しないので、元帥の命令で私が代わりに《巫女》をお連れしに来たまでです」
「「!」」
 その言葉で、アシュレイに驚愕の色を宿した視線が集中する。当事者たるターヤはぽかんと間の抜けたような顔をしていたが、アクセルが浮かべたのは苦々しげな表情だった。

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