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二十三章 苦悩の正者‐fault‐(5)

「そこまで憎んでるっていう自覚があるのね」
 意外と冷静な部分もある少年に密かに舌を巻きつつ、態度にも顔にもその心情は少しも露出せずにアシュレイは彼の言葉が意味するところを口にした。誰かに誤解しないよう伝えようとしているかのようだった。
 その目論見通り、彼が本気ではない事を知ったターヤは安堵を覚えていた。
 一方、少年の言葉に思うところのあったエマは、できるだけ柔らかい声を紡ぐ。
「マンス。貴方の感情を無理にでも押し込めろと言いたい訳ではないが、復讐は止めた方が良い。例えその人物を殺したところで貴方の両親が帰ってくる訳でもないし、寧ろ心が空しくなってしまうだけだ」
 まるで経験則のようなこの言葉には、弾かれるようにしてアシュレイが彼を振り向いた。
 彼女同様、マンスは彼を見る。その目には図星を突かれたような色と、隠しきれない不満とが宿っていた。
「おにーちゃんの言う通りかもしれないけど……でも、きっとそんな簡単にはいかないんだよ。おにーちゃんだって、もしそうだったら、そうなると思うよ」
 マンスとしては苦し紛れの言い返しだったが、少年の言葉はエマの胸にしっかりと突き刺さっていた。思わず胸元に手をやった彼へと心配そうに視線をやるアシュレイだったが、声をかける事はできなかった。
 彼の異変には気付かず、ターヤは彼女と似たような表情でマンスを見ていた。何となく、本当に何となくではあるが、少年が危うい位置に立っているように感じられたのである。
「まあ、その時になってみないと解らないだろうけど、俺はマンスールの復讐を止める気は無いよ」
 突然の問題発言とも取れる言葉には皆が愕然とし、すばやくアシュレイが発言者たるレオンスを睨みつけた。
「あんた――」
「けど、エマニュエルの言うことは尤もだ。そこはちゃんと理解しておけよ?」
 同意するかのような態度に一度は頬が綻びかけたマンスだったが、続く言葉には再びばつが悪そうに縮こまってしまった。
 そんな少年を苦笑いしながら見ているレオンスへと、思い出したようにアクセルは尋ねる。
「そう言や、おまえ、どうしたんだよ? この町に来てからずっとどっか行っちまったし、しかもそいつと一緒だったみてぇだしよ」
 ちらりと視線を向けられたオーラは普段通り微笑んだままだ。
 問いを向けられた方であるレオンスは、これでようやく本題に入れると言う顔になる。
「ああ、そこについてはもう問題ないよ。迷惑をかけて悪かったな」
「レオン、もう大丈夫なの?」
 確認するように問うたターヤに、ああと肯定の意を返してから、レオンスは一同を見回した。
「それと、頼みたい事があるんだ」
 アシュレイはいろいろと個人的に納得がいかないのか、未だレオンスをじっとりとした目付きで凝視している。だがしかし、それが理不尽である事は理解しているので何も言わないのだろう。
 全員を見たという事は、この場に居る皆に共通する用があるのだろうとエマは踏んでいた。
「どこか行かなければならない場所でもあるのか?」
「ああ、行きたい場所があるんだ」
 その言葉に、なぜかマンスは緊張したような感覚になった。


 同時刻、メイジェルは久々にウィラードと会うべく流通中心街カンビオに来ていた。友人だと認識している彼と久方ぶりに会える事、そして朝から降っていた雨がつい先程になってようやく止んだ事もあり、その足取りは軽い。彼と〔屋形船〕の面々にと用意してきたお土産の入った袋を抱えながら、メイジェルは鼻歌交じりにカンビオの大通りを歩いていた。
「おお、メイジェルちゃんじゃないか!」
「まーた〔屋形船〕に用があるんだろ?」
「ちょっと寄っていきなよ! お安くしとくよ!」
 すると、彼女に気付いた脇に連なる店の店主や従業員達が口々に声をかけてくる。
 仕事でも私用でも何度もカンビオに足を運んでいるうちに、持ち前の明るさもあってか、気が付けばメイジェルはこの街では〔屋形船〕と同じくらい有名に、そして人気者になっていたのだ。

 思わず反応しそうになるも、約束の時間に遅れる訳にはいかないと思い出し、せっかくのお誘いだったがメイジェルは断る事にした。
「ありがと! でも今日はお察しの通り先約があるから、また後でね!」
 彼ら全員に纏めて応えるようにしてから、彼女は歩みを再開する。ちゃっかり街の雰囲気も堪能しながら、それでもしっかりと足は目的地へと向けられていた。
 と、そこでメイジェルはふと、なぜか視界の端に目を引かれた気がした。不思議に思いつつも、気になるのでそちらへと首を動かす。
「!」
 そして、その視界に入ってきた人物に驚愕した。山吹色の髪は記憶の中よりは短く、逆にその背丈は大きくなっているが、彼女をメイジェルが見間違える筈が無いのだ。
 まさか、と言う思いが渦巻く。引っ張られるかのように駆け出した。
「――セレス!」
 衝動のままに名を呼べば、弾かれるようにして同様の顔が振り向く。その顔を見て、メイジェルは自身の予測通りだったと確信した。
「……メ、イ……?」
「やっぱり! セレス!」
 これ以上無いくらいに驚いたような呆けたような顔をしている、久方ぶりに再会できた唯一無二の親友――セレステ・キラ・アトキンソンへと、構わず感情に任せてメイジェルは跳び付こうとした。
 だが、寸前で我に返ったセレスに避けられてしまう。
「えっ……な、何で?」
 今度はかわされてしまった方であるメイジェルが驚く番だった。
 セレスは、答えない。
「アタシのこと、覚えてないの……?」
 ふるふると、首が横に振られた。つまりは覚えているという事だ。
「じゃあ、何で――」
「メイ」
 しっかりとした、通る声だった。
 遮られたメイジェルは、そのまま続けられなくなってしまう。
「あたしね、もう駄目なの」
 彼女が何を言っているのか、メイジェルには全く解らなかった。理解したくもなかった。故に、引きつったような笑みになってしまう。
「何、言ってるの、セレス?」
「ごめん、メイ」
 けれどもセレスは彼女に認めさせようと、目を逸らさせないようにしようとしていた。
「あたし、もう戻れないのよ――みんな、殺しちゃったから」
 それが、決定打だった。だからもうあの時のようには居られないのだとセレスが暗に告げている事に、メイジェルはすぐに気付いた。彼女の言う『みんな』が誰を指すのかも。
「……それに」
 それだけでもメイジェルが目を見開くには充分だったが、躊躇いがちに続けられる言葉があった。
「メイは……あの日、確かにあたしの目の前で、死んだ筈なのに……どうして?」
 生きているのかと、声無き声が問う。悪意でも敵意でもなく、ただただ純粋な意思だった。
 腹部を鋭利な刃で刺されたかのような強い衝撃に襲われ、メイジェルは言葉を失くす。
 そんな彼女を名残惜しそうに見ながら、それでも無理矢理振り払おうとするかのようにセレスは即座に踵を返し、そして走り去っていった。
 取り残されたメイジェルは、呆然と立ち尽くしていた。
 そんな彼女を嘲笑うかのように、再びぽつりぽつりと雨が降り始める。そのまま雨足は強まっていき、すぐに土砂降りとなった。
 それでも彼女は微動だにもしない。
「――メイジェルさん!」
 それから少しして、いつまで経っても来ないメイジェルを心配して飛び出すように捜しにきたウィラードは、カンビオの大通りで雨に濡れたまま立ち尽くしている彼女の背中を発見した。
「大丈夫ですか?」
 見つけられた事に安堵しながらも駆け寄り、その頭上と雨との間に傘を差し込んでやる。
 しかし、彼女からの反応は無かった。

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