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二十三章 苦悩の正者‐fault‐(3)

 唐突に話しかけられて、彼から少し離れた場所でその背中を見ていたオーラは思わず驚きを顕にする。一度も自分の方を見なかった上に反応も見せなかったので気付いていないかと思っていたのだが、どうやらレオンスは最初から気配で彼女が居る事を知っていたらしい。
 あの彼女を少しでも吃驚させられた事を若干嬉しく思いながらも、レオンスは独り言のように続ける。
「俺はさ、ずっと家族は全員居なくなったものだと思っていたんだ」
 いきなりすぎたかと思ったが、オーラは何も言ってこなかった。立ち去る気配も無かったので、そのまま耳を傾けていてくれる事にしてくれたのだと知る。頬が緩むのが、自分でも手に取るように解った。
「けど、そんな中であいつに会えた。嬉しかったんだ、一人でも家族が生きていると解って」
 ちょうど今現在そのような事態となっているかのように、心の底から嬉しそうな様子でレオンスは言う。けれども、すぐにその表情は沈んだ。
「……だけど、あいつから憎まれるのかと思うと、俺は名乗り出る事ができなかった。案の定、あいつは目の前に居るとも気付かずに、俺を捜していたみたいだったからな」
 自嘲気味に嗤う。
「それに、俺はまた、感情のままに人を手にかけてしまったんだ。こんな俺は、あいつに――」
「レオンスさん」
 ゆったりとした、それでもしっかりと遮る意味を持った呼びかけだった。
「それを語るべきは、私に対してではないでしょう?」
 振り向かなくても笑みを湛えている事が判る諭すような声色で、オーラはレオンスを促す。いつまでも同じ場所に立ち止まったままではいけないのだと、彼女は暗に告げていた。
 重要な部分に入っていく前に牽制されてしまった事で彼は言葉を失くすが、それでも彼女の言う事は尤もだと思えた。自分と同じ轍を踏んでほしくないのだとも、言われている気がしたのだから。
「……そうだな」
 その言葉に背中を後押しされた気がして、レオンスはゆっくりと息を吐き出した。それから即座に立ち上がって踵を返す。そのまま皆の居る場所まで戻ろうとして、ふと何事かを思い出したように彼女の方へと足を向けた。
 すぐにでも戻るものかと思っていた彼女は、本日二度目の驚き顔を彼に見せてしまう。
 よくもまあこの短時間で二度も貴重なものが見れたものだと内心苦笑しつつ、レオンスはしっかりと彼女を真正面から見据える。おそらく相手にされないであろう事は承知の上だったが、それでも今のうちに伝えておきたかった。
「ありがとう、オーラ。君が俺の『聖域』で本当に良かった」
 やはりこの発言には奇しくも数秒前の彼同様、苦笑するしかないオーラだった。


「……で、これはいったいどうなっているんだ?」
 覚悟を決めて戻ってきたは良いものの、いざ足を踏み入れてみれば室内には陰鬱とした空気が漂っており、レオンスは面食らう形となっていた。
 彼とオーラが戻ってきた事には気付きつつも、この雰囲気を形成した一因たるターヤは二人に声をかける事も答える事もできない。ただ、二人を見て曖昧に笑ってみせるだけだった。
「おかえり、二人とも」
 二人に応えたのは空気を呼んだエマだった。
 現状では彼に問うのが最善だろうとすぐさま判断し、レオンスは彼に視線を移す。
「なあ、いったい何があったんだ?」
 するとエマはすばやくターヤとマンスを続けて見て、それからレオンスとオーラに視線を戻した。
 それだけで二人には何となく察しがつき、そこに気付いたエマもまた先は言わない。
「つまり、何かあったんだな?」
「そういう事だ」
 あくまでも二人の問題なので第三者に話して良いのか迷っているエマは、自分からは説明しない道を選んだ。

 彼を見てから少年少女を見て、そしてレオンスはオーラを見た。彼女が頷くのを確認するや否や、彼は入口付近で立ち止まったままの状態から前進し、二人に近付いていく。
「マンスール、ターヤ、いったい何があったんだ?」
 率直に訊いたレオンスにはエマが目を丸くしたのは言うまでもない。
 反対に、当事者二人は戸惑ったようだった。互いに互いを確認し合い、しかし視線が交わると即座に逸らしてしまう。
 もう一度マンスの方をこっそりと窺いながら、答えるべきなのかとターヤは思案した。実のところ、自分がちゃんと理解しているのだという事を提示して謝ればそれで終わりだとは思うのだが、今のマンスの怒りようでは話すら聞いてもらえる気がしなかったのである。
 二人の様子を見比べたレオンスは、ふむ、と声には出さずに何となく理解した。
「マンスール、何があったんだ?」
 そうして、おそらくは意地を張っているのであろう少年へと直接問いかける。
 だがしかし、少年は言いにくそうに口を噤むだけだった。
 仕方がないか、とレオンスは脳内で溜め息をつく。
「マンスール」
 僅かに力を込めて名を呼ぶと、親に叱られた子どものようにマンスは縮こまった。
「……おねーちゃんが、言ったんだ。精霊を、人じゃないからって、軽く見てたところがあった、って。だから、おねーちゃんは違う世界の人だから解らないんだ、って言ったんだ」
 端的で簡潔ではあったが、それだけでだいたい何があったのかレオンスには理解できた。
 ターヤはと言えば、改めて聞いてみると酷い言い分に、自身の発言ながら更に沈みそうになる。もしも彼女に動物の耳がついていたとしたら、へにゃりと垂れ下がってしまいそうな落ち込みようだった。
 そちらを一瞥しながらも、レオンスはマンスに確認の意を込めて問う。
「だから、今はターヤと喧嘩状態にあるという訳なんだな?」
 こくりと頷いた少年をしかとその目で見ると、彼は手助けしてやるべく口を開いた。
「マンスール、確かにターヤは俺達とは住んでいる世界が違うから、価値観も違うのかもしれない。けど、だからと言って、それだけで決めつけるのは良くないと思わないか?」
 レオンスの言葉は正論だと解っているのか、マンスは押し黙ったまま反論しない。
 これならば一歩踏み込んでみても大丈夫だろうと思い、レオンスは続ける。
「それに、ターヤはもうとっくにその事に気付いていると思うな。だから、おまえに怒られても言い返そうとしてないんだろう?」
 この言葉には、何かに気付いたようにマンスが顔を上げた。
 思った通り、教えてやれば理解できる少年にこっそり安堵したレオンスである。
「けど、おまえが大切な精霊を軽んじられたような言い方をされて頭に来たのは事実なんだろう? それなら、そこについてはターヤが悪いな」
 そう言って今度はターヤに視線を移したレオンスに、彼女もまた言い返す事はしなかった。小さく、こくりと頷く。
「だから、今回は二人とも悪いな。喧嘩両成敗だ」
 暗に仲直りしろと言っているレオンスを見て、そしてマンスはターヤを見た。あれだけ非難してしまったので言いにくかったが、それでも何とか声を紡ぐ。
「……おねーちゃん、その、あんな事言っちゃって、ごめんなさい」
 気まずさのあまり、顔は下方に向け気味になってしまったが。
 そして年下であるマンスに先に謝らせてしまったのだから、ターヤもきちんと謝罪をしない訳にはいかなかった。まずは首をしっかりと横に振ってみせる。
「ううん。わたしの方こそ、全然解ってなくてごめんね。ちゃんと精霊も人も同じ大切な命なんだって理解できたから、もうあんな事は言わないよ。本当に、ごめんなさい」
 椅子から立ち上がり、腰から身体を折って深々と頭を下げた。ゆっくりと頭を上げて、それから手を差し出す。
「仲直りしよう、マンス」
「うん」
 伸ばした手を握られて、握り返す。そこまで来て、ようやくターヤはマンスとの間に流れていた居心地の悪い空気が払拭され、安心できた気がした。

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