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二十三章 苦悩の正者‐fault‐(2)

「そ、そんな事ないよ!」
「嘘だ!」
 慌ててターヤは反論するも、即座に今度こそ激怒を顕にされてしまう。彼は同時に椅子を蹴倒すようにして立ち上がっていた。
「精霊の時だってそうだったでしょ! 彼らもちゃんと生きてるんだって事、ぜんぜん解ってなかったよね!?」
 そのままの勢いで少年は反論する。
 彼の言い分は二人のずれを違う方向に解釈してしまった故のものだったが、人と精霊とを明らかに悪い方向で区別してしまったどころか、精霊を軽んじるような言い方になってしまっていた事は事実なので、自覚のあるターヤは返す言葉も無い。膝に乗せた手を握り締めて、ぐっと押し黙るしかなかった。
 それを見たマンスの怒りはヒートアップしていく。
「ほら! おねーちゃんは違う世界の人だから、ぼくらの事なんて解らないんだよ!」
 その言葉に、ターヤは強い衝撃を受けた。おまえは結局は他人でしかないのだと言われた気がした。
「そこまでだ」
 だが、そこでこれ以上は見ていられないと思ったのかエマが止めに入る。
 制止されてしまったマンスはまだ何事かを言いたそうにしていたが、渋々と言った様子で黙り込む。それからターヤを一瞥して、すぐにぷいと顔を背けてしまった。
 対して、ターヤは意気消沈してしまっていた。腰を下ろした姿勢のまま、すっかりと蒼白になってしまった顔を俯けている。
 そんな彼らを見て全くどうしたものかと思ったエマだったが、そこでふとレオンスとアシュレイ以外にも居ない人物がいる事に気付く。反射的に生じた溜め息は表には出さず、心の中に止めておいたが。
(全く、アクセルにも困ったものだな)
 一方、アシュレイは一人で裏路地に居た。この町の宿屋についてから、すぐに《元帥》へのとある報告をすっかり怠っていた事を思い出し、慌てて、それでもエマにはあくまでも定期報告としてその旨を伝えて部屋を後にしたのである。
(どうしよう、まさかすっかり忘れてたなんて……あたしが、よりにもよってニールからの命令を忘れてたなんて……!)
 表情どころか内心でも動揺しきってしまった彼女は、一心不乱に通信状態に入らせた魔導機械を握り締めていた。速く、速く繋がれ、と何度も声には出さず睨み付けるように念じる。それくらい、彼女は焦燥感に駆られていた。
『――はい?』
「! ニール!?」
 待ち望んでいた声が聞こえた為、思わず最低限の軍人らしい対応も態度も忘れてアシュレイは叫ぶように名を呼んでしまう。
 彼女の声を聞いた通話の主は、途端に声色を変えた。
『あっちゃんか~、久しぶり~』
「え、ええ、久しぶりね。その、すっかりと報告を忘れてた件についてなんだけど……」
 相手の口調は通常のままだが、その声色には若干の怒気と呆れが見受けられて、益々アシュレイの気持ちは先走る。何とか穏便に済ませたいと言う本音も隠せぬまま、取り繕ったり誤魔化したりするべきではないとの考えから、すばやく本題に入った。
 そんな解りやすい部下を内心で面白がりつつ、ニールは気付かないふりをする事にした。
『ああ、そう言えばあっちゃんったら、全く連絡くれなかったよね~。わつぃ、何かあったのかと心配してたんだよ~?』
 無論、幾ら軽くパニックを起こしているからと言って、アシュレイの注意力が完全に散漫している訳ではない。だからこそ、彼女は彼のその言葉を白々しいと感じた。それでも、彼に対して何かが言える筈もなかった。
「いえ、何も無かったわ。あたしのミスよ、ごめんなさい」

『そっか、なら良かったよ~。で、報告があるんだよね?』
 す、と瞬間的に声の調子が変貌する。
「え、ええ」
 反射的に肯定するも、すぐには声が出てこなかった。それでも軍人としての矜持と、染み込まされた道具としての反応から言葉が形成され、口から飛び出す。
「……その、彼女は……《神子》、だったわ」
 ひどく躊躇いがちに告げてから、ふと我に返った。本当にこれで良かったのだろうか、と。
 以前ユベールを通じてニールに召還された時、アシュレイは彼からターヤを監視して、何か異変が起これば逐一報告するようにと命じられていた。あの時から彼は、おそらく彼女が《世界樹の神子》である事に、確証は無くとも気付いていたのだろう。
 実際のところ、アシュレイは〔軍〕に居た頃は一度も《神子》という単語を耳にも目にもした事は無かったが、ターヤがそうだと知った後は、ニールが求めていたのはこの情報だったのだろうと確信めいたものを覚えてはいた。
『ふーん、やっぱりか~』
 案の定、ニールは彼女が齎した事実だけに触れてきた。
『じゃあ、あっちゃん。ようやくわつぃの勘も当たったところで、次の命令を良いかな?』
 確認するかのような問いかけだったが、元から肯定以外を求めていない事をアシュレイは知っていた。現に口調がわざとらしいくらいに緩いものから、素のものへと変化している。
 そして、これから彼が口にする『次の命令』は、確実に彼女を戻れない位置まで押し進ませてしまうのだという事も。
「……ええ」
 それでも、彼女には頷くしかできなかった。それしか、許されていなかった。
 素直に従った部下に少しだけ気を良くしたようで、先程よりも僅かに嬉しそうな声でニールは、告げた。
『じゃあ、なるべく速やかに《巫女》様をわつぃのところまでつれてきてね。あ、障害があるようなら蹴散らしちゃって良いから』
「!」
『じゃあね~』
 その内容にアシュレイがぎょっとすると同時、通信がぶつりと切れる。
「待っ――」
 何事かを言うよりも速く通信は完全に途絶えてしまい、アシュレイの言葉もまた中途半端に途切れる。魔導機械を手にした姿勢のまま、彼女は動けなかった。頭の中では、今し方耳にしたばかりの命令が何度も反芻している。
(障害を蹴散らして《神子》様を速やかにつれてこいって事は、どんな手を使ってでもターヤをつれてこいって事で、ニールは彼女に平和的に協力してほしい訳じゃないって事……)
 そう命じた際のニールの声にも口調にも、聞き分けの悪い部下に言い聞かせるような威圧さが含まれていた。冗談の類ではなく本気なのだと、そこから痛感できる程の。
 やはりもう戻れないのだと、直感的に悟った。
(つまり、あたしにエマ様達を、裏切れ、って事だ――)
 そして、その一部始終を物陰から少しも気付かれる事無く窺っていたアクセルは、ただ静かに、けれど眉根を寄せてアシュレイを見つめていたのだった。
 更に同時刻、ヴァッサーミューレ郊外の斜面に座り込みながら、レオンスは小川の傍でからからと回る水車を眺めていた。
 水流の力で回転しながら動くそれは、魔道具や魔導機械が流通している現在では風車と同じく古めかしく不便な物にすぎないが、それでもこの町ではシンボルとしてずっと大切に扱われている。寧ろ、そこが良いとして見にくる観光客もぼちぼち居ると耳にする程だ。
(俺は、あの水車と同じで、あの日から時が止まったままなのかもしれないな)
 ぼんやりとした思考で、そのような事を考える。それから、ふと思い立って後方に立つ人物へと声をかけた。
「なあ、オーラ」

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